第三章 真夏の夜の悪夢〈30〉
胸部の高低差において圧倒的敗北を喫した女陰陽師のこめかみに怒りの血管がうきあがる。
「なめるな、退儺六部衆っ!」
女陰陽師の怒号……と云うより殺気に反応して一閃した〈蜘蛛切〉の太刀のさえざえと光る刃が女陰陽師の首もと紙一重のところでとまった。
退儺師たちの頭上を無数の細長いなにかが包囲し、ロックオンしていた。
雷華や明日香が闇に目をこらすと、彼女たちを空中からロックオンしていたのは朱塗りの割りばし鉄砲だった。
〈これは連射型砲撃式神・弾弑!? ……おまえ、ガトリング・トマトか!?〉
「ガトリング・トマト? なにそれ?」
真知保がエコーロケーションで頭上の脅威を認識しつつ、気づかぬふりで雷華の〈念話〉を口にした。
「私のことを知っているたあ、さすがは退儺六部衆と云うところか?」
〈ガトリング・トマト〉とよばれた女陰陽師が、首もとをつたう冷や汗にくちびるをゆがませながら強引な笑みをうかべた。
〈……ガトリング・トマト。この方が〈悪魔殺し〉の十一御門当麻斗さんなんですね〉
明日香が〈念話〉で千草と真知保へつぶやいた。
十一御門家は陰陽師をたばねる土御門家の遠縁にあたる名家であり、十一御門当麻斗は、13歳の時に10匹の悪魔を12秒でみな殺しにしたと云う逸話をもつ若き天才陰陽師である。
朱塗りの割りばし鉄砲を依り代とした連射型砲撃式神・弾弑は、十一御門当麻斗オリジナルの式神だ。
「そんな有名人がなんでこんなところにいんのよ?」
皮肉っぽい口ぶりで虚勢を張りながら、千草も内心感嘆していた。
おそらく、退儺師(たいなし)たちをとりかこむ黒づくめの下っぱ陰陽師たちは、退儺師を包囲している理由がわからないはずだ。
凡庸な陰陽師であれば、いまだ〈忌人符〉の結界内で死んだ酒真里たちのことを意識することができないからだ。
しかし、十一御門当麻斗は〈忌人符〉の影響をうけず、決然とした目的をもって酒真里を追っている。若き天才陰陽師と称されるだけのことはある。
「……トマトさん、その人たちになにをしているんですか!? 式神を退いてください!」
十一御門当麻斗の背後から対決を制止する声がひびいた。ふりかえる当麻斗の挙動に雷華と明日香が人影を視認し、耳のよい千草が声の主に気づいた。
「その声……って、西尾さん!?」
かけよってきたのは、金龍斎のもとで修行している若き女陶芸家の西尾舞であった。
「ライカさんも刀をおさめてください! この人は敵じゃありません!」
暗闇のなか、必死で手話をあやつる西尾舞の言葉が見えたわけではないが、千草の〈念話〉中継で話をきいた雷華がすこしだけ刀をひくと、頭上をおおいつくしていた無数の朱い割りばし鉄砲が消えた。雷華もしずかに〈蜘蛛切〉の太刀を鞘へおさめる。
「みなさん、こんな夜ふけになにをなさっているんですか!?」
困惑した表情で問いかける西尾舞の姿に十一御門当麻斗が頭をかいた。
「退儺師の結界で状況が理解できてねえか……」
当麻斗がつきたてた右手の人差し指と中指で空中で文字のようなものを描くと、西尾舞の額へ軽くおしあてた。陰陽の術で〈忌人符〉の影響下から解きはなったのだ。
西尾舞の表情が微妙に変化し、ひとりごちた。
「……トマトさんたちがここへいらっしゃると云うことは、朱都理酒真里が〈905〉を解錠したんですね」
(西尾舞。……よもや陰陽師のスパイだったとはね)
〈牡丹の間〉の酒宴で酔いつぶれていたはずの女陶芸家の正体を看破できなかった雷華が己れの不明を恥じた。
「トマトさん! 酒真里は!?〈905〉はどうなりました!?」
「さあてね。それがわからないから、こいつらにご教授ねがっていたところさ」
西尾の問いをうけた当麻斗がけだるげに退儺師たちへあごをしゃくった。
「……西尾さん。さいしょに確認しておきたいんですけど、あなたたちは酒真里の敵で、私たちの味方なんですよね?」
千草の言葉に西尾がうなづいた。
「ええ。誓って私はあなたたちの味方です。私は悪い陰陽師から師匠、……金龍斎先生をひそかに警護する任についていました」
「じゃあ、どうしてそこの小娘はいきなりケンカ売ってきたわけ? 私たちに」
「だれが小娘だっ……!」
「トマトさんっ!」
真知保の云いまわしにいきりかけた当麻斗を西尾が一喝してだまらせると、退儺師たちへ頭を下げた。




