第三章 真夏の夜の悪夢〈26〉
〈呪謡師〉の謡が土鬼蜘蛛へとどくと、土鬼蜘蛛たちが闇のなかで痙攣した。
マイクロ波を照射された物質のようにゆさぶられ、レンジでチンした生卵のように内がわからビシャッ! と爆ぜた。
爆発した3匹の土鬼蜘蛛は緑色に光ると、ブラックホールヘ吸いこまれるかのように、まるく収縮して消えた。明日香と雷華も冥い山影に小さな緑色の光が明滅するのを視認した。
「……土鬼蜘蛛3匹消失」
土鬼蜘蛛の波動を感知していた千草が〈念話〉で明日香と雷華に報告した。
「アハン。ご静聴ありがと」
〈呪謡師〉鞍崎真知保が山奥にむかって優雅に一礼した。
伝説の退儺六部衆〈呪謡師〉は感知退儺師にして技闘退儺師でもある。
本来、感知退儺師は土鬼蜘蛛への攻撃能力をもたないが、〈呪謡師〉鞍崎真知保は特殊な歌唱法に退儺の波動をのせて土鬼蜘蛛を退治することができる。
これはおなじ退儺六部衆の超級感知退儺師である〈張界師〉亀鞍要や〈百眼〉椎名季武にもマネできない技術だ。
「さ、とりあえずおウチにかえりましょ。……ここでなにがおこったのか、くわしいことは道々きかせてちょうだい、ライカ」
〈……ああ、そうだな〉
真知保の言葉に雷華が大きく肩で息をついた。
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4人の退儺師は20分ほどかけて金龍斎のアトリエまで山道をおりてきた。登り窯をおおう三角屋根が視界に入る。
「アハン、痛った~い。靴ずれできちゃったじゃない。ライカがおんぶしてくれないから」
〈……勝負服だか戦闘服だか知らないが、山にピンヒールでくるマヌケの尻ぬぐいなんざできるか〉
甘えた声でごねる真知保の戯れ言を雷華が一蹴した。ことの顛末を語るため、真知保と〈念話〉をつづけていた雷華だが、本当は話をするのも億劫なほど疲弊していた。
明日香と千草も同様である。金龍斎の死と云う残酷な事実も彼女たちの心に暗いかげをおとしていた。ふたりは重い足をひきずりながら生ける屍のように無言で雷華たちのあとへつづく。
雷華は今回の異常な一件をどこまですなおに追儺局、あるいは退儺師のトップへ君臨する〈五古老〉へ報告すべきか考えあぐねていた。
室町時代から生きながらえていた上に明宏の父でもあったと云う人儺。
およそ100年もの間、退儺師をだしぬき人儺と結託していた陰陽師。
旧陸軍の呪術的戦略総合研究所〈905〉。
そして〈905〉の関係者であり、人儺とも面識があり、そのすべてを自分の命とひきかえに闇へ葬った退儺六部衆〈創譜師〉金壺金龍斎。
陰陽省特別監察官・朱都理酒真里の言葉を信じるなら〈905〉の残党はいまだ政府の手先として暗躍し、土鬼蜘蛛の兵器利用をもくろんでいた。
退儺師の所属する追儺局が〈905〉の残党と連携している可能性は皆無と云えよう。しかし、陰陽師の所属する陰陽局がどこまで〈905〉の残党と関係しているかは不明だ。
土鬼蜘蛛兵器製造の要となる半土鬼蜘蛛の〈土鬼蟲〉と人儺が〈905〉跡地ごと消滅したことで、おそらく〈905〉の残党は土鬼蜘蛛の兵器利用を断念せざるをえまい。
〈905〉の残党が退儺師とかかわる理由もなくなるわけだが、計画を阻止され、仲間を殺された〈905〉の残党が雷華たちへ報復をしかけてこないともかぎらない。
問題は〈905〉の残党、すなわち敵組織の規模と実態がわからないことだ。
「国家の密命をうけた」とする酒真里の言葉が欺瞞で〈905〉の残党がごく一部の狂信的過激派にすぎないのであれば、追儺局と陰陽局で連携して対処することも可能だが、酒真里の言葉が真実であれば、雷華たちは陰陽局や国家を敵にまわして闘うこととなる。
目下、雷華たちの有利は、消滅した〈905〉一帯が金龍斎の〈忌人符〉で世俗から隔離されていることだ。
〈905〉の残党に酒真里以外の陰陽師がいたとしても〈忌人符〉の結界を感知することはできない。〈忌人符〉の結界内にあるものは人の意識にのぼらなくなるためだ。
〈905〉跡地が意識されないと云うことは、〈905〉跡地でおきた人儺や酒真里の死も意識されないことを意味する(周辺住民も蕨生山の異常には気づいていない)。
〈忌人符〉を効かせているあいだに〈905〉の残党の全容を洗いだし、対抗策を練ればよい。




