第三章 真夏の夜の悪夢〈24〉
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雷華と対峙する酒真里の視界のすみで、金龍斎が部屋の中央にしつらえられた手術台に手をかけてよろよろと身をおこした。
金龍斎は酒真里の死角を這いずりながら部屋の扉がわへ移動していた。手術台をはさんで雷華の左ななめうしろにいる。
「式神蟲!」
酒真里がふたりの退儺六部衆へ大量の呪符を投じた。宙を舞う呪符が体長1mほどのグロテスクな飛行生物へと姿をかえて、雷華と金龍斎へおそいかかる。
式神蟲のおおくは金龍斎へむかっていた。雷華を金龍斎の援護にむかわせ、時間をかせぐのがねらいだ。雷華へはなった数匹の式神蟲は雷華が金龍斎の苦境を無視した時の牽制をかねている。
〈くそっ!〉
雷華は酒真里の意図を看破していたが、金龍斎を援護しないわけにはいかなかった。眼前の式神蟲を〈蜘蛛切〉の太刀でなぎはらうと、バク宙で手術台をとびこえた。
酒真里はその隙に人儺・光寿の召喚杖にはりついた〈鬼縛符〉へ〈レンオアムの牙〉をつきたてて焼滅させた。足元の氷も瞬時に溶かす。身体の自由をとりもどした人儺・光寿が小さく肩や首をまわした。
金龍斎サイドへ舞いおりた雷華がミツバチのようにむらがる数10匹の式神蟲を斬りまくった。金龍斎も手にしたグリップソードで応戦するが、数匹の式神蟲に体中をかまれてたまらず床へころがる。
〈ジジイ!〉
金龍斎の背中へ牙をたてた式神蟲を斬りふせ、雷華が金龍斎のかたわらへひざをついた。
〈ジジイ! しっかりしろ!〉
這いつくばるようなかたちでなんとか身をおこした金龍斎が左手を力なく宙にさまよわせると、雷華のダイナマイトな右乳をむにゅっともんだ。
〈はひっ……!? ってジジイ、てめえ、一体こんな時になにしやが……!〉
完全に不意をつかれて狼狽する雷華の豊満でやわらかな胸をもう1度やさしくもむと、その胸をしずかに手のひらでおした。
たてひざをついていた雷華が中腰のまま、なにかにひっぱられるようによろよろと後退し、扉の外へ尻餅をついた。雷華がトンネルへまろびでると室内が金色の閃光につつまれた。金龍斎の〈罠〉が発動したのだ。
「ぐあっ!」
「な、なんだこれはっ……!?」
扉の内がわが見たことのない光の結界でとざされていた。室内には電光がとびかい、ビリビリバチバチとはげしい音をたてている。
〈ライカ、はよう逃げろ! そう長くはもたん!〉
結界のなかから雷華の脳裏に金龍斎の〈念話〉がきこえた。
〈バッカやろう! てめえ、さいしょからこのつもりで……!?〉
〈きゃつらとともに〈905〉を滅する。このあたりには数日前から〈忌人符〉を配しておいた。ここへ突入する前に〈忌人符〉を発動させておいたで、一般人がまきこまれることはないじゃろう〉
雷華が踵をかえすと、トンネルの出口へむかってかけだした。金龍斎の覚悟に水をさすことはできない。
〈多少、山が陥没して地すべりがおこるはずじゃ。まきこまれぬよう早々にアトリエまで避難せい〉
〈……くそっジジイ!〉
金龍斎へむかって云いたいことは山ほどある。しかし、雷華は冷徹にたずねた。
〈ジジイ。〈905〉に関する資料は?〉
〈麻鈴に呪符をたくしておいた。おぬしらの泊まっている〈燕子花の間〉にかざられた大皿に1冊だけ封印してある。大皿に呪符をはり、呪句を記せば封印はとかれる〉
〈その呪句は?〉
〈エロエロアザラシじゃ〉
〈……なんだと?〉
〈きこえんじゃったか? も1度云うぞ。エロエロ……〉
〈私が疑ったのはてめえのセンスだっ! どこまでふざけりゃ気が済む……〉
〈ぐはっ!〉
雷華の脳裏に金龍斎の苦悶がひびいた。結界内の重力が増大し、あらゆるものがおしつぶされようとしていた。酒真里と人儺・光寿も身うごきがとれず、ひざをついている。
「くそっ……! このおいぼれが……」
酒真里が床へはいつくばった金龍斎をメガネごしにらみつけながら、右手の黒い手袋をはずそうとじりじりあがいていた。
そんななか、金龍斎の身体が糸でつられたあやつり人形のようにゆっくりおきあがった。作務衣のはだけた上半身には黒々とした呪文が刻印されている。
70年前、先代の〈創譜師〉金壺龍炎斎よりほどこされた禁忌の鬼道譜、人体を依り代とした〈黒穴譜〉である。
〈黒穴譜〉と化した金龍斎の身体が宙を舞う呪符のように結界の中央へゆらりとひきよせられた。もうすでに金龍斎自身で身体をうごかせるほどの余力はない。
〈ライカ……おぬしもいつか母となれ。だれかを心から愛し、子を産み育て、未来へと命をつなげ……〉
〈……ジジイ!?〉
〈あのコたちを……一馬をたのむ〉
金龍斎が雷華へそう告げた刹那、金龍斎の眼球や爪が身体の中へぐしやりとめりこんだ。体中の穴と云う穴から鮮血がほとばしり、金龍斎の身体が内がわからバリバリとひしゃげ、小さな赤黒い肉塊へと収斂し……。
そして結界内のすべてが消滅した。




