第三章 真夏の夜の悪夢〈20〉
雷華が明日香の手から〈蜘蛛切〉の太刀をうけとると人儺めがけてかけだした。
〈人儺は私が殺る! ジジイは酒真里を牽制しろ!〉
雷華は金龍斎の返事もまたずに人儺へ2枚の鬼道符を投じた。その気配を察した金龍斎が酒真里へむきなおる。
人儺が雷華の投じた鬼道符を手にした杖ではらうと小さく爆ぜた。
(ああっ! ライカさん、自分で〈鬼爆符〉はつかうなって云ってたくせに!)
明日香が内心ツッコミを入れるあいだに人儺への距離をつめた雷華が〈蜘蛛切〉の太刀をふりおろす。
人儺は手にした杖で〈蜘蛛切〉の太刀をいなすと、かえす刀で雷華の死角となる右半身へ杖をはねあげた。
(なにっ!?)
あわててひざをおった雷華がうしろへたおれこむように人儺の攻撃を間一髪でかわした。そのままバク転で後退し、人儺とすこし距離をとる。
人儺はやみくもに杖をふるったわけではなかった。下段からのすりあげなど剣術の素人にできる芸当ではない。
雷華の動揺を感じとった人儺・武光光寿の口元がほころんだ。明宏の父でもある人儺・光寿は、明宏も学ぶ〈鬼眼一刀流〉免許皆伝の腕前である。
「これならどうかな?」
人儺の背中から生えた土鬼蜘蛛の腕が大きな弧をえがいて雷華の右半身へおそいかかった。隻眼である雷華の視野から土鬼蜘蛛の腕が消える。
耳のきこえない技闘退儺師に死角からの気配を察知することはむずかしい。
土鬼蜘蛛の腕の軌道に気をとられて顔をうごかしたすきに、人儺の杖が雷華ののどへするどい突きをみせた。
(くっ……!)
雷華は〈蜘蛛切〉の太刀の鍔元で人儺の杖をふせぐと同時に宙を舞い、地面と平行に身体を回転させつつ土鬼蜘蛛の腕へ斬りつけた。
下半身をひねって器用に着地し、青眼のかまえで人儺と対峙する。ワイヤーアクションさながらの機敏な動作である。
「あれをかわすか。〈羅刹姫〉の異名もダテではないらしい」
傷ついた土鬼蜘蛛の腕を収納しながら人儺・光寿が瞠目した。
(なんつー厄介な相手だ。何百年も惰性で生きてたわけじゃなさそうだな)
人儺・光寿の本気がまだこんなものでないことを看破した雷華も人生最大の難敵に舌を巻いた。
彼女がこれまで闘ってきた土鬼蜘蛛は巨大かつ獰猛とは云え、知性にとぼしいバケモノである。
しかし、人儺・光寿は策を弄して雷華の死角をつき、人の剣術と土鬼蜘蛛の力で攻めてくる。どちらか一方なら雷華の敵ではないが、どちらもと云うのはいささか分が悪い。
人儺が人間形態で土鬼蜘蛛の腕をだし入れできると云う情報は『人儺記』にもない。
人儺・光寿はまだ土鬼蜘蛛の腕を1本しかだしていないが、最悪4本(あるいは6本?)の土鬼蜘蛛の腕で攻撃してくる可能性も考慮しなくてはならない。
(さて、どう攻めるか……?)
間断なく人儺とにらみあう雷華の脳裏に金龍斎からの〈念話〉がひびいた。
〈ライカ、罠をしかけた。あと10分もたせい!〉
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雷華が人儺へさいしょの〈鬼爆符〉をたたきこんだ時、金龍斎も朱都理酒真里へ攻撃をしかけていた。
人儺を背にするかたちで酒真里と対峙していた金龍斎が酒真里の右手へ弧をえがいてかけだした。
右手で鬼道符を数葉はなち、人さし指と中指をたてた左手をこめかみにあてて念をこめると、鬼道符が100本の金属矢に変化して酒真里を強襲した。
(……すごい!)
その姿を遠目からかいま見た明日香が息を呑んだ。金龍斎のはなった鬼道符には上端へ「飛」と云う文字しか記されていなかった。ひらたく云えばほぼ白紙、ただの紙きれである。
そもそも、鬼道符(譜)は対土鬼蜘蛛の呪符であり、人間(陰陽師)に反応して殺傷する威力はない。
しかし、明日香が手話に、雷華が〈蜘蛛切〉の太刀にイメージを集中させて攻撃を創りだすように、金龍斎は白紙にイメージを集中させて一瞬で対人間(陰陽師)相手の鬼道符を創りだした。
一般的に技闘退儺師の現役はみじかい。20歳前後からはじめて30歳前にはほとんどリタイアしてしまう。原因は集中力の低下だ。
瞬間的に鬼道譜(符)へ念をこめる土鬼蜘蛛退治は精神的にかなり疲弊する。1回の戦闘で寝こむ技闘退儺師もいるくらいだ。
すでに術式のえがかれた鬼道譜(符)をもちいてもそれくらい消耗ははげしい。にもかかわらず、90歳近い老人の金龍斎は白紙に念をこめて100本の金属矢を具現化させた。
明日香ですらおよびもつかない強靱な精神力に畏怖をおぼえた。




