第三章 真夏の夜の悪夢〈19〉
「ぐっ、……グガアアアアアアアッ!」
「明宏っ!?」
目の見えない感知退儺師の千草だけが明宏の異変に気づいた。
もともと退儺師たちの位置から手術台のむこうがわに倒れた明宏の姿は見えていないし、土鬼蜘蛛のはなつ閃光でさらに視界がさえぎられる。
また、千草の〈念話〉中継がきられているため、技闘退儺師の雷華と明日香に明宏の咆哮はとどいていない。
「グガアアアアアアアッ!」
土鬼蜘蛛の光がまばゆさを増すにつれて、明宏の咆哮もはげしさを増した。全身の皮膚が裂けて血がふきだすような痛みにおそわれると、体表がとげとげしいウロコのような外殻でおおわれだした。
雷華と明日香がその姿を目のあたりにしていたら、明宏が飛儺へ変じていくと思ったであろう。それはまさに人間型の土鬼蜘蛛だった。
巨大なガラスの調整槽のなかで、焼成中の陶器のようなオレンジ色にかがやく土鬼蜘蛛のカタチがぐにゃりと変化した。
目もくらむような光を浴びながら酒真里が満足げな笑みをうかべると、足元から微細な振動が這いあがってきた。
ヴォンボボ、ボボボボ! と、けたたましい爆音がトンネル内へこだまする。
〈……バイク!? ふたりとも扉からはなれて!〉
エンジン音に気づいた千草が〈念話〉で雷華と明日香へ警告した。ふたりが千草をかばいながら左壁面へ身をひるがえすと、黄緑色のオフロードバイクが室内へつっこんできた。
ウィリーしたバイクが後輪をひっかけて手術台の上へ乗りあげると、そのままのいきおいで朱都理酒真里へむかっていく。
「こざかしい……!」
光のなかで酒真里が左の黒手袋をはずすと、見えないなにかがバイクをはじきとばしてグシャグシャにした。
鉄塊と化したオフロードバイクが重い音をたててガツンと部屋のすみに落ちる。
手術台の上へ小さなかげがおりたった。オフロードバイクの乗り手は酒真里へバイクをぶつける直前にバイクからとびおりていたのだ。
〈待たせたの〉
手術台の上から雷華へ〈念話〉で語りかけたのは、作務衣姿の小さな老人だった。
てっぺんはげに短い白髪。白く長いあごひげ。退儺六部衆のひとり〈創譜師〉金壺金龍斎である。
〈……ジジイ!? て云うか、待ってねえし〉
金龍斎に雷華の軽口へつきあっている余裕はなかった。
「グガアッ!」
手術台の足元に座りこんでいたTシャツ短パン姿の人間型土鬼蜘蛛が、かぎ爪と化した左腕をふるって巨大なガラスの調整槽を斬り裂いた。
調整槽のガラスが粉々にくだけ散り、なかをみたしていた未知の液体が床へぶちまけられた。人間型土鬼蜘蛛がその液体に足をとられてころぶ。それは理性あるもののうごきではなかった。
調整槽の中で光りかがやく土鬼蟲は、先端にカギのような突起のついた1mほどの杖へかわっていた。その杖を手にした男の姿に金龍斎が瞠目した。
〈……痴外禅師!? 酒真里め、人儺どのを覚醒させていたかよ!〉
金龍斎と目のあった人儺・痴外禅師こと武光光寿がしずかに目礼した。
金龍斎が手術台の足元へ目を転じると、床へはいつくばっている人型土鬼蜘蛛のうしろに退儺の刀を確認した。
(そう云うことであったか! ……因果の糸とはこれほどまで断ちがたいものであったとは!)
金龍斎は手術台からとびおりると、退儺の刀を拾って躊躇なく人型土鬼蜘蛛の背中へつきたてた。
「ガハアッ!」
人型土鬼蜘蛛が小さくうめくと、退儺の刀が人型土鬼蜘蛛の体内へすいこまれ、明宏が人間の姿へもどった。
気絶している明宏の身体を手術台の上へかかえあげた金龍斎が雷華へ命じた。
〈ライカ! 小僧をたのむ! おぬしらは退け!〉
明日香へ〈蜘蛛切〉の太刀をあずけて手術台へ走る雷華がこたえた。
〈わかった! ……じゃねえだろ、ジジイ! てめえひとりでなにができる!?〉
〈こいつは儂がカタをつけなきゃならん罪じゃて〉
人儺と酒真里のあいだにたつ金龍斎が左右を睥睨した。
〈気どるなオイボレ! てめえから罪とか罰とか恥とかとったら、なにがのこる!?〉
〈ぬかせ! 馥郁たるエロスがのこるわい!〉
〈……ったく、どこまでもタチの悪い!〉
手術台から明宏の身体をかかえおろした雷華が明日香と千草のところまでひきずった。気絶している明宏に明日香が色をなくす。
(……明宏さん!?)
〈ふたりとも少年をたのむ〉




