第三章 真夏の夜の悪夢〈18〉
「さよう。どうやら光寿さまは応仁の乱のさなかに人々を山と喰らい、人儺へ進化されたようでございます」
〈応仁の乱って……室町時代!? それじゃ『人儺記』で退治された人儺は?〉
『人儺記』は江戸時代 (天明3[1783]年)の文献である。応仁の乱(応仁元~文明9[1467~77]年)はそれよりおよそ300年前の話だ。
「光寿さまは江戸時代に退治された人儺のことをごぞんじですか?」
明日香の〈念話〉をきいた酒真里が武光光寿へ水をむけた。人儺に〈念話〉はきこえていないらしい。
「江戸時代……。穴森鬼十郎に斬られた人儺のことか。あれは人儺と変じてからも人を喰いすぎた。〈蜘蛛切〉の太刀で斬られた人儺の骨から退儺の刀を研ぎだし、穴森の血にたくしたのは私だ。よもやその刀を明宏がうけつぐことになろうとは夢にも思わなかったが」
「……退儺の刀をつくって、子孫の伊織さんへひきつがせた? なに云ってるんだよ、父さん!」
なんとか上体をおこした明宏が混乱してさけんだ。死んだはずの父との再会も、父が500年以上生きている人儺だったと云われても理解できるはずがない。
明宏の言葉に一瞬、明宏の父・光寿の瞳がさびしげに光ると、光寿のわき腹から不自然に生えていた土鬼蜘蛛の腕が収納された。
それと同時に千草の感じていた人儺の波動も消えた。千草は必死に人儺の波動をさぐるも、まったく感知することができなかった。
(……これじゃ人儺が人間界にまぎれこんでいてもわかるはずない)
愕然とする千草だったが、多少の収穫はあった。
人儺が人間としてふるまっている時は存在を感知できないが、土鬼蜘蛛の姿や力を発現する時は人儺の波動を感知できる。
千草がずっと感じていた土鬼蜘蛛の波動は、人儺の光寿がガラス容器のなかで身悶えする土鬼蜘蛛へそそぐなんらかの力に反応したものだった。
「人儺は不老長寿ですが、人儺と人のハーフの寿命はさだかではありません。太平洋戦争末期、仮死状態で放置された実験体の命が尽きる前に〈呪法具〉をつくらねばならなかったため、私どもも強引な手段をとらざるえなかったのでございます」
〈人儺と人のハーフ? 実験体? それは一体なんのことだ?〉
酒真里の言葉に雷華がイヤな胸騒ぎをおぼえてたずねた。
「調整槽にいるのは、厳密に云うと土鬼蜘蛛ではございません。実験のため、光寿さまが罪人の女に産ませた人儺と人のハーフ〈土鬼蟲〉とよばれる半土鬼蜘蛛でございます」
〈半土鬼蜘蛛!?〉
「技闘退儺師の協力者がいたとは云え、感知退儺師のいない状況下で、追儺局に極秘で土鬼蜘蛛を捕獲するなど〈905〉でも至難の業。そこで人儺・光寿さまのご助力により人工的に土鬼蜘蛛をつくりだす研究をおこなっていたのでございます」
〈905〉では罪人の女をつかって人儺の子を孕ませる非人道的な実験がたびたびおこなわれた。醜悪な土鬼蜘蛛を産んだ女たちは狂死し、産まれた土鬼蜘蛛たちも数ヶ月ともたずに死んだ。
ただし、ごくまれに例外があった。
〈905〉の存続した約40年の間に人の姿で産まれた子どもが3人だけいた。しかし、5~7歳の間に身体のほとんどが土鬼蜘蛛化し、知性のないバケモノとなりさがった。
「……調整槽の〈土鬼蟲〉をよくごらんなさい」
口角をVの字につりあげて悪魔のように嗤う酒真里の言葉に目をこらすと、外殻の背中に隆起するするどい突起にまぎれて細く白い子どもの腕が生えていた。
昆虫のようなうしろ足からも触手のように小さな足がぶらりと力なくたれさがっている。そこにはたしかに人間だったころの痕跡が奇怪にへばりついていた。
あまりのおぞましさにさすがの雷華もまゆをくもらせ、悪酔いしていないはずの明日香もうっすら吐き気をもよおした。
「明宏、悪いことは云わん。退儺の刀をもってさがれ」
巨大なガラスの調整槽に左手をかざしたまま、光寿が明宏の顔も見ずに云った。
(……?)
光寿の言葉の意味をはかりかねた明宏が困惑していると、酒真里が楽しそうに目を細めた。
「おわかりになりませんか? 武光明宏さま。その〈土鬼蟲〉は母こそちがえど父はおなじ。60ほど歳のはなれたあなたのお兄さまなのです」
「兄……これが?」
酒真里はわざとらしく間をとると、退儺師たちの心へふかく刻みこむように残酷な真実を告げた。
「あなたも人儺と人の間に産まれた子ども。……いつ〈土鬼蟲〉に化けてもおかしくないのですよ」
退儺師たちが絶句し〈土鬼蟲〉の醜悪な姿にすいよせられた明宏の目が恐怖で凍りついた。
「……さがれ」
光寿が明宏にしかきこえない声でささやくと、巨大なガラスの調整槽にうかぶ土鬼蟲の身体がまばゆい光をはなった。
雷華と明日香の目がくらみ、土鬼蟲からはなたれた未知の波動に千草が動揺した。
「ちょっ……コレなんなのっ!?」
土鬼蟲の光を浴びた明宏の心臓がドクンと強く脈打った。身体中の血流が沸騰し爆発しそうな感覚にとらわれて苦悶し咆哮した。




