序章〈4〉
5~6mはあろうかと云う巨大なバケモノが、緑色の光の中から完全に姿をあらわすやいなや、見えない力で全身を斬りきざまれた。
「キシャァァァァ!」
土鬼蜘蛛が苦悶すると白い血をまきちらした。〈鬼斬譜〉のトラップを踏んだのだ。
「これにて一件落着なのです!」
土鬼蜘蛛からもっとも遠いところで待機している美千代の無邪気な歓声を明宏が制した。
「いや、まだだ!」
土鬼蜘蛛はかなりの深手を負っていたが致命傷ではなかった。白い血にまみれた巨体がじりじりと起き上がる。
一馬がベストのポケットからこまやかな紋様の描かれた小さな和紙を数枚ぬきだすと、土鬼蜘蛛へ投げつけた。
和紙はツバメのような勢いで土鬼蜘蛛へ向かって飛び、その身体に触れると爆発した。〈鬼爆符〉である。
土鬼蜘蛛が痛みで激しく身をよじった。大きなハサミをもつ腕がムチのようにしなって退儺師たちへおそいかかる。
しかし、退儺師たちは冷静だった。退儺の刀をもつ明宏が土鬼蜘蛛の2本の腕をまたたく間に一刀両断した。
「アスカ、よろしく!」
千草の言葉にぬばたまの黒髪を風になびかせて少女が動いた。
少女の右手がたちのぼる炎のような動きで優雅に舞う。その手を土鬼蜘蛛へ向けてはらうと、すさまじい炎が巨大な土鬼蜘蛛を包みこんだ。
「ゲヒィィィ……!」
激しい炎に焼かれて土鬼蜘蛛が断末魔の悲鳴をあげた。肉の焦げるイヤな臭いがあたり一面にひろがる。
土鬼蜘蛛は緑色に光ると、ブラックホールヘ吸いこまれるかのように、まるく収縮して消えた。
炎の熱気もヒドイ臭いも白い血の痕も瞬時に消え、巨大なバケモノのあらわれた痕跡はまったくのこっていなかった。
先刻、3人のチャラい若者にかこまれて困っていた清楚可憐な美少女が、眉ひとつ動かさずに体長5~6mははあろうかと云う巨大なバケモノを焼き殺した。
特一級技闘退儺師にしか使えない〈手詞鬼道〉通称〈手鬼舞〉とよばれる大技である。
美少女の名は霧壺明日香。明宏や千草と同じ、私立台和高等学校2年生である。
4
「……これがホントの一件落着ってなもんよ」
自分の手柄であるかのように起伏のとぼしい胸を張る千草の背後から、拍手と〈念話〉が響いた。
〈まずまずの手際だったが、一馬と云ったか?〈鬼斬譜〉への念のこめかたが甘いな〉
明宏以外の退儺師たちが緊張した。
土鬼蜘蛛を退治すると土鬼蜘蛛の張った結界は消えるが、いまだ〈忌人符〉の発動している状況下で、ふつうの人間がこの場所へ近づけるはずはない。
彼らのもとへ歩みよってきたのは、意外な人物だった。
背の高いモデルのような金髪美女である。
けだるげにかき上げた長い前髪の下から左目の上にハートを斬り裂く刃の刺繍された黒い眼帯がのぞく。隻眼である。
ターコイズブルーのアヤシげな刺繍が全体にほどこされたピンク色のジャージに、皮製の黒く長いバットケースを肩にかけていた。
一見すると、時代錯誤なレディース(女暴走族)の総長だが、彼女たちは一度だけ共闘している。
伝説の超級技闘退儺師、退儺六部衆のひとり〈羅刹姫〉桐壺雷華である。
「あ、ライカさん、先日はありがとうございました。……今日は、どうしてこちらへ?」
千草が桐壺雷華への〈念話〉を声にだしてたずねた。彼女のクセであり、明宏へ対する無意識の配慮でもある。全員、桐壺雷華へ頭を下げる。
「……ひょっとして、ミチヨたちの加勢にきてくださったですか?」
〈……たかが1匹の土鬼蜘蛛相手に、わざわざ私がでばるわけないだろう? ちょっと刀の少年に興味があってな。方相寺へ行ったら、土鬼蜘蛛退治へでかけたって云うから〈創譜師〉のジジイがこしらえた新作の〈忌人符〉も見てみたかったし、よってみた〉
「明宏クン。ライカさんはあんたに用があるんだって」
〈念話〉の聴こえない明宏へ千草が通訳した。
「……ぼくに用ですか?」
自分を指さしてみせた明宏へ〈羅刹姫〉桐壺雷華が婉然とほほ笑んだ。