第三章 真夏の夜の悪夢〈10〉
(はやく着がえなきゃ)
自分のつかったカゴの位置をおぼえていた明日香は迷わずブラジャーを発見した。
Tシャツを脱ぎ、ブラジャーをつけ、うしろのホックをかけるべくすこし顔を横へむけた時、露天風呂の扉がひらいて全裸の明宏と目があった次第である。
「……なっ、ア、アスカさんっ!?」
(……!?)
明日香も声にならない悲鳴をあげると、あわててTシャツで胸元をかくした。まだホックをかけていないのでブラジャーの肩ひもがずりおちる。
明宏もあわててうしろを向むいたが、股間かくして尻かくさずである。わたわたとタオルをひろげて腰に巻くと脱衣所から露天風呂へ逆もどりした。
曇りガラスの扉ごしに背をむけて待機する明宏のシルエットがうつる。
明日香はTシャツをあごでおさえて胸元をかくしたままブラジャーのホックをかけおえると、うしろをむいてTシャツを着こんだ。
チラと明宏へ目をむけると、明宏はまだそのままの姿勢でじっとしていた。明日香は曇りガラスの扉をこぶしでコンコンと2回たたくと、脱兎のごとく脱衣場をたち去った。
明日香のノック音に気づいてふりかえった明宏は、曇りガラスごしに遠ざかる白い人影を視認すると、ふたたび5つ数えてから脱衣所へ入った。
いろんな意味で動悸のおさまらない明宏であった。
一方、脱衣所をあとにした明日香が〈念話〉で千草へやつあたりした。
〈もうっ、千草ちゃんのバカあっ!〉
〈……はにゃ? どったの、アスカ?〉
心あたりのない千草が〈燕子花の間〉で首をかしげた。
9
明宏が玄関をでると千草、明日香、桐壺雷華が待っていた。
雷華はガムテープでぐるぐる巻きの鞘におさめられた〈蜘蛛切〉の太刀を杖にしゃがみこんでいた。千草以外はヘッドライトを装着し、懐中電灯を手にしている。
「おそくなってゴメン。……大丈夫ですか、ライカさん?」
明宏が千草へあやまると、ぐったりしている雷華を心配そうにのぞきこんだ。
〈おのれ清水萌絵、あの酒豪女、底なしか……〉
「なにかあったら〈念話〉でおよびしますから、ライカさんはひとまずこちらで待機されていた方がよくないですか?」
千草の言葉に雷華がゲロゲロゲロゲロ……! と、滝のような嘔吐でこたえた。
「うわっ!」
突然のマーライオンに思わず明宏たちもあとずさる。ひとしきり吐きおえ、ポケットタオルで口元をぬぐった雷華がすっくとたちあがった。
〈う~、よっしゃ、復活ぅぅ!〉
そう〈念話〉で宣言したものの、腰からくたりと力がぬけてよろけた。まだ本調子とは云えないが、吐いてすこしは楽になったようだ。
「それじゃいこっか。とりあえず、あるきながら話すわ」
千草の言葉に明日香が千草の手をひいてあるきだした。〈蜘蛛切〉の太刀を杖に明宏の肩へ手をそえた雷華たちもふたりのあとへつづく。
「どこへ行くの?」
「アスカに確認してもらったら、さっきの肝だめしの終点っぽい」
「鉄の扉の洞窟?」
明宏の問いに千草がうなづいた。
「土鬼蜘蛛がででくるまでどれくらい?」
異界からやってくる土鬼蜘蛛がこちらの世界へあらわれるまで、およそ10~30分かかる。退儺師はその間に土鬼蜘蛛の出現地点へ罠を張り、でてきたところを退治するのだが、千草のこたえは意外だった。
「それがもう、でてきてるっぽい」
「それって一体……!?」
「わかんない。私もはじめての感覚なの」
一級感知退儺師の千草が土鬼蜘蛛の気配を感じて目ざめたのはついさっきのことだ。
ふつうは土鬼蜘蛛が異界から空間の狭間へ進入した気配を感知するのだが、千草が感じたのは、すでにこちらの世界にいる気配だった。しかも土鬼蜘蛛の結界が張られていない。
「さいしょはかんちがいかと思ったんだよね。それに気配が明滅してる」
それはあたかもホタルの光のようについたり消えたりしている感じなのだと云う。
千草はまず〈念話〉で美千代へたずねてみたが、美千代は泥酔していて応答がなかった。
退儺師は各地域ごとに存在しているが、千草はこの地区を担当する退儺師と面識がない。すなわち〈念話〉で連絡をとることができない。
そこで、一馬の母、元三級技闘退儺師・大久保麻鈴を〈念話〉で起こすと、この地区を担当する感知退儺師へ通報・確認してもらうことにした。
千草の感知が正しければ、土鬼蜘蛛はこちらの世界へあらわれている。結界を張り、人間を捕食する土鬼蜘蛛が人里はなれた山奥にいると云う状況も不可解だが、放置しておくわけにもいくまい。
大久保麻鈴はもとより、退儺六部衆のひとり〈創譜師〉金壺金龍斎も戦力外である。一馬も絶賛泥酔中で役にたたない。
一般的事例なら千草たちがでばることなく、この地区を担当する感知退儺師へまかせておけばよいが、異例な状況のため一刻もはやい確認の必要があった。




