第三章 真夏の夜の悪夢〈8〉
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明宏は〈菫の間〉へもどると寝巻の浴衣に着がえ、自分と一馬の布団をしいた。一馬が魔女たちの酒宴から生還できる可能性は皆無だったが、気は心である。
クーラーの効いた涼しい部屋であかりを消して横たわると、窓からさしこむ月あかりが美しかった。窓外に鬱蒼とおいしげる黒い木々の隙間からのぞく清冽な光に魂の清められる心地すらする。
(なんだかんだで、あっと云う間の1週間だったな……)
今年の夏合宿はいつにも増して新鮮で楽しかった。登り窯の窯焚き見学や詩緒里以外の女の子たちとの海水浴もはじめての経験だ。
しかし、今年は欠けているものがあった。明宏の両親だ。
明宏の両親は3ヶ月前に飛行機事故で亡くなった。表むきは原因不明だが、実際は土鬼蜘蛛との接触事故によるものだった。
明宏の両親をのせた飛行機は離陸直後に大破し、海中へと没した。事故現場から遺体はおろか遺品すら発見されなかった。
明宏は突然ふってわいた両親の死をうけいれることができなかった。それがつらくかなしくさびしいことだと頭では理解しているものの、実感がともなわない。
両親の死後、明宏をひきとってくれた穴森大膳一家はいとこである。
詩緒里の母・伊織は、亡くなった明宏の母・百合香の姉であり、明宏の父・光寿も若いころから鬼眼一刀流を学んでいた大膳の親友であった。
大膳は入り婿で鬼眼一刀流・第12代師範の座をついだが、鬼眼一刀流の開祖・穴森鬼十郎の血統をうけつぐのは詩緒里と明宏である。
もともと家族同然のつきあいをしていたので、明宏はごく自然に穴森家へうけ入れられた。一緒に暮らしはじめて3ヶ月しかたっていないが、ずっと前から一緒に暮らしているような気がする。
その上、明宏は転校先の私立台和高等学校で明日香や千草と出会い、今では退儺師として土鬼蜘蛛や飛儺とよばれる化け物と闘う非日常的生活までおくっている。疾風怒濤の3ヶ月だったのだ。
それだけになおさら両親の死を実感する余裕もなかった。
(本当ならここに父さんと母さんもいたはずなんだよな……)
父・光寿は会社員だったので合宿に合流するのは2日ほどだったが、それでも毎年欠かさず顔をだしていた。
道場で木刀をふりながら、ふととなりに父のいないふしぎを思うこともあったが、いつの間にかふつうに海水浴などを楽しんでいる自分がいる。
(やっぱり、ぼくは薄情なのかもしれない……)
そんな明宏に大膳は云った。
「こう云う突然の死をうけ入れるには時間がかかるんだと思う。自然にくらしていればいつかきちんと両親の死をうけ入れて、両親のために泣いてやることもできるだろう」
詩緒里の母・伊織も云う。
「明宏クン、私が飛儺に殺されたと思った時、私のために泣いてくれたじゃない。それに私が生還した時も泣いてくれた。明宏クンは薄情でも冷淡でもない。やさしい子よ」
パラソルの下であぐらをかく水着姿の詩緒里があきれ声で云った。
「バッカじゃない、明宏? 泣けないからかなしくないなんて、きまってるわけないじゃん。かなしいから泣けないことだってあるんだよ」
汗まみれでびしょびしょのTシャツ姿の千草が、下じきで起伏にとぼしい胸元をあおぎながら云った。
「明宏クンは大っきな喪失感にのみこまれてるんだよ。明宏クンは自分のことふつうだと思ってるかもしれないけど、私に云わせりゃぎこちないって云うか、感情のどっかを冥くてふかい穴のなかに落っことしちゃってる感じがするんだよね」
「……でも大丈夫。心配しないで」
そう云って明宏の両手をやさしくつつみこむようにふれたのは明日香だった。
「明宏さんがどんなにかなしくてつらい時でも、私がついていてあげますから」
明日香がうつむきながら明宏の両手を自分のやわらかな胸におしあてた。薄い布地ごしに小さな突起物のふれる気配がある。
(ちょ……ちょっとアスカさん!? なんでノーブラ……)
はげしく動揺する明宏に気づかぬようすで明日香が顔もあげずにつぶやいた。
「明宏さんのかなしみもいたみも私がひきうけます。だから……」
(……?)
「オネ~サンとガッツリ呑みましょ~っほっほ!」
ガバッ! と顔をあげたのは、長い髪をふりみだし、目を血走らせた万年アル中保険医・清水萌絵だった。
「うわあっ!」
悲鳴をあげてとびおきた明宏は冥い室内に自分が両親のことを想いながらうたた寝していたことに気づいた。
かんがえてみれば、伊織は土鬼蜘蛛のことも知らなければ、飛儺とかかわった記憶もない。詩緒里たちへ両親の死にたいする自分の心情を吐露したこともない。
安手の怪談みたいなオチの夢に明宏は自嘲した。




