序章〈3〉
3
「千草さん、おそくなってゴメン」
姫鞍千草、大久保一馬、八千代美千代の待つ広場へもどってきた少年が声をかけた。
「ほんっと、ギリだよ」
千草が云った。彼女たちは陰陽省追儺局第三課所属の土鬼蜘蛛退治専門家である。
陰陽省の前身である陰陽寮は平安時代より〈魔法〉を用いて日本を陰ながらささえてきた秘密組織だが、現代では歴代総理大臣ですらその存在を知る者はいない。
彼女たちがこれから闘おうとしているのは、土鬼蜘蛛とよばれる巨大なバケモノである。やつらは異界から人を喰らうためだけに、この世界へやってくる。
感知退儺師の千草や美千代は、異界の狭間を越えてくる土鬼蜘蛛の波動を感知することができる。感知範囲内であれば出現場所も事前に特定することができる。
土鬼蜘蛛の到達時間はまちまちだが、およそ10~30分と云うところだ。そのあいだに技闘退儺師が〈鬼爆譜〉や〈鬼斬譜〉とよばれるトラップを張り、土鬼蜘蛛をむかえ撃つ。
「土鬼蜘蛛の結界、きたです!」
千草の言葉へかぶせるように、美千代がさけんだ。
土鬼蜘蛛は出現1分前に直径約20mの結界を張る。運悪く、その中へいた人間が土鬼蜘蛛の餌食となる。結界の外にいる人間は結界に気づくことも入ることもできない。それができるのは退儺師の能力をもつ者だけだ。
「明宏、退儺の刀は?」
「大丈夫、用意できてる」
千草の言葉に少年がうなづいた。彼の右手には青磁のように淡くやわらかい光沢を放つ鍔のない刀がにぎられていた。
少年の名は武光明宏。私立台和高等学校2年生。ウラの肩書きは技闘退儺師補助と云う。
武光明宏は目が見えないわけでも、耳が聴こえないわけでもない。退儺師としての力はもつていないのだが、どう云うわけか土鬼蜘蛛の結界へ出入りすることができる。
また、彼は右腕に退儺の刀を宿していた。土鬼蜘蛛を斬りさくことのできる武器である。そのため、例外的に認められた〈退儺師見習い〉なのだ。
「しっかし〈忌人符〉って、ハンパないみたいね」
おちこちへ顔を向けながら、チッチッと舌打ちした千草が云った。千草の舌打ち(打舌音)は反響定位のためのものだ。
音を反射させてモノの位置や大きさなどを把握する能力である。感知退儺師の特殊能力ではなく、訓練次第ではだれでも習得できる技術だと云う。
先刻まで人でごったがえしていた甘粕市立中央公園は閑古鳥が鳴いていた。すなわち、今この公園にいるのは、退儺師の5人だけだ。
「さすがは退儺六部衆〈創譜師〉金壺金龍斎の新作なのです」
「こりゃ〈結界符〉以来のヒットかもかも」
千草と美千代の言葉に、なぜか三級技闘退儺師の大久保一馬が得意げにうなづく。
彼はふたりの感知退儺師の指示をうけ、土鬼蜘蛛出現予想地点に大判の〈鬼斬譜〉を数枚配置していた。
千草と美千代の読みどおり、土鬼蜘蛛が1匹なら充分すぎるトラップである。
「土鬼蜘蛛、くるですっ!」
広場のなにもない空間に小さな緑色の光がほとばしる。その光の先から、じわじわと土鬼蜘蛛のブキミな巨体がせりだしてきた。
それはまさに異形だった。
爬虫類と昆虫のハイブリッドとよぶのが適当かもしれない。
灰色にぬめぬめと光る外殻。長い尻尾から背中にそってびっしりと隆起するかぎ爪。
ジュゴンのような丸い頭は愛嬌がないとも云えなかったが、大きくさけた赤い口の中からサメのようにするどい歯がのぞいていた。ザリガニのような巨大なハサミまである。地球上では類を見ないデタラメな造形と云えよう。
〈なんか、ふつうの土鬼蜘蛛よりデカくないか?〉
大久保一馬の〈念話〉がもれる。
〈念話〉は思念だけで会話する能力である。
目や耳の不自由な退儺師コンビがコミュニケーションをとるためには必要不可欠な能力である。
しかし、退儺師としての資質に欠け、修行もしていない明宏だけは〈念話〉ができないため、大久保一馬のつぶやきは聴こえない。
「……オンブバッタってことはないよね?」
目の見えない千草が明宏へ確認する。
「大丈夫。それはないみたい」
本来、土鬼蜘蛛はやみくもに人を喰らうだけの知性にとぼしいバケモノである。
しかし、まれに2匹の土鬼蜘蛛がびったりとひっつき1匹をよそおってやってくる。その状態を便宜的にオンブバッタとよぶ。
土鬼蜘蛛がそのような奇策を弄する前例などなかったのだが、彼らは1ヶ月前このオンブバッタ状態の土鬼蜘蛛に遭遇し、手痛い目にあっていた。




