第三章 真夏の夜の悪夢〈3〉
「痛った! なんだろ?」
詩緒里が足元へ目をむけるとヘッドライトのあかりが示したのは、さびついた大きな錠前だった。
「……錠前?」
「詩緒里ちゃ~ん、さっさとテニスボールとって帰ろ~」
「あ、はい、そうですね」
詩緒里が鉄の門扉の足元をてらすが、テニスボールのかげもかたちもない。
「あれ? おっかしいな、どこだろ?」
あたりをきょろきょろ見まわすと、鉄の扉からすこしはなれた草の根元にテニスボールがころがっていた。
「こんなところにあった。一馬さんっていじわるですね」
テニスボールを拾いあげた詩緒里が千草へそれをにぎらせた。
「どこにあったの?」
「わきっちょの草の根元です」
「ウソ。一馬さん、鉄の扉の前にふたつならべておいといたって云ってたじゃん。風でうごいたのかな?」
「なんか動物がとおってけとばしたとか?」
事前にイノシシやサルがでるときかされている。さっきは見まちがいだったが、蛇やネズミなどの小動物が跋扈していてもおかしくはない。
「もう1個のテニスボールは?」
明宏・明日香ペアがついた時、テニスボールが見あたらないとかわいそうだと思った千草が、黄色いボールを手のなかで器用にクルクルまわしながらたずねた。
「どこだろ?」
詩緒里がヘッドライトと懐中電灯で周囲をでたらめにてらしながら、洞窟の鉄の門扉の前を横切った時、ちょっとした違和感をおぼえた。
「あれ?」
懐中電灯の光を鉄の門扉にはわせると、かんぬきをとおす丸金具になにもかかっていなかった。
「ちょっと、さっきの錠前って、ここにはめとくものじゃ……」
詩緒里がきた道をふりかえると、背後の鉄の門扉が小さくギイイ……ときしんでひらく音がした。
「うっぎゃああああっ! でたああっ!」
「ちょ、ちょっと詩緒里ちゃん、なにっ!? おどかさないでよっ!」
詩緒里が眼前をかけぬける気配がすると、洞窟の方からギイイ……と、鉄の門扉のひらく音が千草の耳にもとどく。
「ぎにゃああああっ! し、詩緒里ちゃん、どこっ!? 待って! おいてかないでっ!」
パニクる千草の悲鳴でわれにかえった詩緒里があわててかけもどると、千草の手をとって一目散に走り去った。
5
明宏は困っていた。
明日香の手をとりながら闇のなかをあるくこと数分。冥い足元や周囲に気をくばり、意識すまいとするのだが、明日香の手のやわらかさとぬくもりが気になってしかたない。
時おり明日香へふりかえり、ヘッドライトの光を手でさえぎりながら、
「大丈夫? こわくない?」
などと口のうごきだけでたずねるが、すこしうるんだ瞳で小さくうなずく明日香がこわがっているのかてれているのか判然としない。
こんな時、明宏は歯がゆさをおぼえる。自分に〈念話〉ができれば、もっと手話ができれば、明日香が今なにをかんがえているのかわかってあげられるのに、と。
明日香とふつうに会話できれば、表情やしぐさの読みとりづらい闇のなかでも意思疎通できる。
明日香がおびえていれば、冗談のひとつでも云って気をまぎらわせてあげることもできよう。勇気づけてあげることもできよう。
しかし、この状況下では手話でもそれがむずかしい。それがもどかしい。
一方、明日香はすこしこわくて、とても嬉しかった。
千草とは異なり、耳のきこえない明日香はかまびすしい虫のすだきに気が散ることもなければ、山道をそれたやぶのなかからガサガサときこえるなにものかの気配にいちいちおびえることもない。
その分、明日香は夜のふかさに全身をからめとられる心もちでいた。闇がほのかな湿気とまじりあい、肌から身体へ浸透していくような錯覚にとらわれる。
よしんば、ここへひとりでいたら荘厳な闇に圧迫される恐怖で、その場にへたりこんでいただろう。
ただ、明日香の目の前には明宏がいる。剣術でごつごつとかたいマメのできた男らしい手でそっとにぎられるあたたかさがライトの光より明日香の心をあかるくてらす。
幼い頃、名前も知らぬ明日香を猛犬からかばってくれた小さな背中。そして先日、豪雨のなか、飛儺や土鬼蜘蛛から守ってくれたたくましい背中。
明宏と出会うまで、明日香は小さな不安と恐怖を奥歯でかみ殺しながら土鬼蜘蛛を退治してきた。
戦闘力のない感知退儺師の千草を守るために、1秒でもはやくケリをつける。そんな想いでなんとか自分をふるいたたせていた。
しかし、明宏とともに闘うようになってから、明日香は自分が以前ほどおびえながら闘っていないことに気づいた。一馬や美千代のバックアップも心強いが、やはり、明宏の存在が一番大きい。
だれかに背中をあずけて闘えること、だれかが自分を守ってくれると信じながら闘えることが、とてつもない勇気を安心をあたえてくれることを、明日香ははじめて知った。
明宏がそばにいてくれれば、なにもこわいものはない。そう想えることが明日香にはとても嬉しかった。




