序章〈1〉
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「たは~、せっかく期末試験もおわって、ようやく羽をのばせると思った矢先にコレだもんね~」
灰色の瞳をもつ全盲の少女がトホホとばかりにつぶやいた。愛くるしいショートボブがほっそりと美しい首のラインをきわだたせている。
彼女の名前は姫鞍千草。私立台和高等学校2年生。ウラの肩書きを一級感知退儺師と云う。
試験休みへ突入し、夏休みを間近にひかえた日曜日の午后であった。
ゆたかな緑をたたえる甘粕市立中央公園は、ピクニック気分の家族づれやカップルがお弁当をひろげるなどして、ごったがえしていた。
「……意外と試験がおわるまで待っててくれたのかも」
冗談めいた口調で応じる少年の声に、そこはかとないいらだたしさがまじっていた。彼の焦燥はまもなく〈戦場〉となる公園に、いまだたくさんの人がのこっているためである。
「あ、一馬さん、お帰り~」
少年よりも先に目の見えない千草が気づいた。
少年が顔を向けると、迷彩柄のベストにカーゴパンツと云う自衛隊くずれか格闘オタクにしか見えない青年が歩みよる。
彼の名前は大久保一馬。20歳。ウラの肩書きは三級技闘退儺師である。
一般に感知退儺師は目が見えず、技闘退儺師は耳が聴こえない。
一馬が和気あいあいとした公園の人ごみをキョロキョロと見わたすと、白杖をもつツインテールの童女が彼の無言の疑問にこたえた。
「まだ〈忌人符〉は発動していないのです。アスカちゃんがもどってきていないのです」
彼女の名前は八千代美千代。どこから見てもかわいらしい中学生にしか見えないが、一馬と同じ20歳。れっきとしたレイディである。ウラの肩書きは三級感知退儺師と云う。
「せっかくの新譜、はやく試してみたいのにな~。……ちょっと、なにやってんの、アスカ?」
千草が灰色の瞳を空へ向けると、だれもいない空間に向かって語りかけた。ややあって千草が苦笑する。
「たは~、美少女はタイヘンだ。……明宏クン。アスカがバラ園の前でトラブってるから、ちょっくら行ってきてくれる?」
「トラブって……?」
トラブルの内容をききたかったが状況は切迫していた。明宏とよばれた少年がすなおにうなづく。
「わかった。土鬼蜘蛛があらわれるまで、あとどれくらい?」
「7~8分てトコなのです」
美千代がこたえた。少年はスマートフォンで時刻を確認する。
「なんだったらアスカより〈忌人符〉優先でお願い」
千草の言葉に少年が微苦笑した。
「また、そう云う云い方をする。……ムリなツンキャラはやめなよ」
少年はそう云いのこしてかけだした。千草がだれよりも明日香を想っていることはみんな知っている。
走り去る少年の背後で千草が照れかくしに拗ねた。