笹野 広畑のための前奏曲
少年はかつて、アイドルになろうとしていた。
中学卒業してすぐのことである。単純にお金が欲しかった、それも多額の。
母子家庭だから、早く母を楽にさせてやりたかった。
しかし、彼にはアイドルになくてはならない資質、異能力というものが備わっていなかった。
それでも少年は「武器さえあれば異能者にも勝てる」と考えていた。
実際にそれを言えたのは、ある小さなプロダクションの社長一人だけだった。他は全て、面接に行く前に落とされた。その社長は言った。
「だとしてもアイドルにはできない」
当然の話だった。
しかし社長はこうも言った。
「焦って良いことなんてないよ。それにキミのそれは、ポーズみたいなものだろう?」
図星だった。
働き口が欲しいならアイドルである必要はない。
異能力すら持っていない身でアイドル、そんな不可能な道を選ぶ意味などまるでない。アイドルに興味があるわけでもない。
ただ、人生を一発逆転できるような、何かが欲しい。
この閉塞感を打ち破る何かが。
そのために、何かをしているフリをしているだけだった。
宝くじを買うのと変わらない。努力ですらない。
少年は所詮、子供で、極めて愚かだった。
少年はアルバイトをしながら高校を卒業し、また同じプロダクションに、今度はプロデューサーとして入社した。
かつて少年だった彼の名は、笹野広畑と言う。
そして彼は一人の新人アイドル、三杭香歌を任される。
「あの……わたしは、どうしたら」
どうやら、それが彼女の口癖らしい。
笹野は何度聞いたかわからない。対戦相手が決まれば言い、ライブ見学に連れて行けば言い、トレーニングの日も言う。
なにせ新人である、右も左もわからなくて当然。それに彼女自身、その癖を治したくて、この業界に飛び込んだと言う。
それができる人なら、きっと大丈夫だろう。
自分よりも遥かに上等だ。
笹野はそう思い、問われれば、必死に考えて幾つかの選択肢を提示し、できるだけ彼女に選ばせた。やがて自分で選択肢を考えられるようになるだろう。
十九の小僧なりに考えてのことだった。
一年が過ぎた頃、当初Eクラスだった香歌は、Cに上がっていた。
とても順調である。ただ、Cに辿り着くだけなら、費やす時間の差はあれど、難しくない。
そこからが真に難しい。CとBの間には想像以上の壁がある。
故にCクラスアイドルが最も多いのだ。
翌年もCだった。香歌はやはり言う。
「わたし、どうしたら、良いんでしょう?」
口癖は未だ治らず。
笹野は明確な選択肢を提示できなかった。
閉塞感を覚えながら、ある日、同僚に提案される。
同僚は名を葉山理彦と言い、共に入社した仲である。彼もまた担当アイドルは一人だけで、最近Cに上がった。
「人には、合う、合わないがある」
そんな切り出しから、彼はつまり、担当アイドルの交換を申し入れてきた。
「果たして、自分のもとで充分な力を発揮できているのか。疑問に思ったことないか? 自分の方針、指導は彼女に合っているのか」
「それは……」
「現状の打破には、環境を変えるのも一手だと、俺は思っている。お前はどうか知らないが」
分からない理屈ではない。
ただ自分がずっと見てきた子を手放すのは、やはり、抵抗もある。
だが結局のところ、決めるのは彼女だろう。
笹野はそう考えた。
そして彼女は選んだ。
その二ヶ月後、香歌はBクラスに昇進した。
「おめでとうございます」
笹野が社内ですれ違う際に言うと、彼女は曖昧な笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます」
新たな担当となった葉山にも、笹野は同様に祝う。
すると彼は
「笹野に少し話がある。申し訳ないが、先に行っていてくれるだろうか」
と言った。
「はい。わかりました」
彼女が見えなくなってから、笹野は「それで?」と訊く。
「いや、なに。俺もお前に礼を言いたくてな。申し出を受け入れてくれて。感謝している」
「結局は彼女が選んだことですから」
「そうか。……あの子は、そうは思っていないようだがな」
「はい?」
どういう意味か本当に分からず訊き返す。
「お前に見捨てられたと思っている。一緒に頑張ると言っていたのだろう?」
「それはそうですが……ちゃんと説明もし、何も強制したわけでは」
「あの手の人間はな、そもそも選択ということができないんだ。いつだって誰かの顔色を窺い、こっちを選んだら喜ぶだろうか、それともこっち……そんなことを考えている。責任を取ることが怖いんだ。自分の選んだ結果だと、思いたくない」
「三杭さんは、そんな自分を変えたくて、アイドルになったんです」
「今はその話ではない。……Cで燻る自分、そんなときにプロデューサー交代の提案、彼女の目には、どちらを選べばお前は喜ぶと映ったのか。そういうことだ」
笹野は押し黙った。そんな風に思われるなど、考えてもみなかった。
葉山が鼻を鳴らして続ける。
「自分を変えたくて。……立派だ。しかし人は変わらない。生まれ持った素質が全てだ。三杭は元々Bに行ける素質の持ち主。だが素質は一つではない、複雑に絡み合う。だから、お前の下ではBに行けなかった。三杭に必要だったのは、穏やかな命令だ。何がどうなってもお前に責任はないと安心させてやることだった」
「しかし、それは……彼女の目標に反します」
「俺たちはプロデューサーだ。素質ある者をあるべきところに連れて行かずどうする。なに、これで自信がつけば、もうちょいマシになるだろう」
「……津積さんの、あるべきところは、私ですか?」
香歌と代わりに、笹野の担当となった少女のことである。
「いや、誰でも良かった。あの子はD止まりだからな」
「Cです」
「そりゃあCまでは行く、よっぼとの人材でなければ。だが、維持し続けるのは実際難しい。やがてDに舞い戻り、Cに上がり、またD。だから津積はD止まりの素質だと言える」
つまり、と言いながら葉山は欠伸をした。
「あの子はもう終わった問題だ。片づけた問題に、いつまでも取り組むのは時間の無駄だろう。だが担当を増やしたいとの要望は通らなかった。三年目だからまだ早いと思われたか」
「そういうこと、だったんですか」
「ああ。だから俺が無理矢理にアイドルを交換させた、そういう風に三杭には言っておいた。気まずさはまだあるんだろうが、とにかく、見捨てられたという誤解についてはフォローした」
「その点についてだけは、感謝しておきます。しかし──」
笹野はじっと葉山を見て言った。
「人は変わります、きっと」
少なくとも中学校の頃よりも自分はマシになっている。
そう思っていた。
「俺がお前に思うところは──」
葉山の目が細められる。
「三杭と同類。人に選ばせ、自分は選ばない。責任から逃げる卑怯者だ。悪いとは言わない。それが生まれ持った素質というものだ。俺とは合わないようだな」
その後。葉山は三杭香歌の他にもアイドルを担当するようになる。
一方、笹野は津積問だけを担当し続けた。
問はDとCを行ったり来たりしたが、最後の年はずっとCに居続けた。
「すみません。もっと上に行かせてあげたかったのですが……力不足でした」
引退の日、笹野が謝ると問はからからと笑う。
「あたしの方だよ。でも楽しかった。葉山サンより自由にやらしてくれたしね」
あのように言われても、葉山のようなやり方をする気にはどうしてもなれなかった。
人は変わらない。
確かに、その通りなのかもしれない。
「……笹野サンは良いプロデューサーだよ。あたしが保証する。あたしみたいな、D止まりの子でも真剣になってくれた。香歌ちゃんもおんなじように思ってると思う」
「ありがとうございます。最後に、アイドルに励まされるようでは、やはりまだまだですね」
「最後くらい良いじゃーん。……んで、次はどんな子なの?」
「それはまだ分かりませんね」
「じゃあ、一人おすすめのアイドルがいるんだけど」
「それはつまり、引き抜きということですか。そんなこと、我が社に出来るかどうか」
「いやー、心配はいらないよ。だって、その子、引退になるとこだし」
「……素行に問題が?」
「弱いから。でもあたしは、噛み合わなかったんだと思うんだ」
「お知り合いなのですか?」
問は首を横に振る。
「んーん。一回、闘っただけ。なんか応援したくなる子なんだよねー。だから、お願い!」
「最後のお願い、ですか。わかりました。その方の、お名前は?」
問がにっこり笑った。
「虎嶽黄子チャン!」
【ENDE】




