第6羽-5 けど今週で、最後かもしれない
黄子、葉波耶、凪子から教授を受けた後、紗弓は最後の一週間に突入した。
OTNプロダクションのプロデューサーたる笹野広畑は、日曜であるにもかかわらず、早朝、出社するや否や仮眠室へ向かう。
しかし、そこに担当アイドルの姿はなかった。
適当な同僚に訊いてみるも所在不明。
スマッチで連絡を取れども無反応。
やや顔青くして事務所内を早歩く。
プロデューサールーム、資料室、社長室……どこにもいない。
もしや既にスタジアムに行ったのだろうか。
そう考えて一階へ降りるエレベーターに乗ったところで、笹野は思い直し、地下一階へのボタンを押した。
レッスンルーム。
果たして、そこに紗弓はいた。
ジャージ姿で、部屋の中央で大の字に横たわっている。
笹野が駆け寄ってみれば、微かに寝息が聞こえてきて安心した。
「生実さん。生実さん、起きてください」
とりあえず呼びかけてみるが、紗弓はすやすやと気持ち良さそうに眠ったまま。
やむなく笹野はしゃがんで彼女の肩を掴むと、ゆさゆさ揺らし始めた。
「生実さん、朝です」
「んにゅ……」
まだ起きない。
笹野は少し考えてから「ライブバトルの時間ですよ!」と大きな声で言ってみた。
途端に紗弓が目をパチッと開いたかと思えば勢いよく跳び起きた。
「ライブ!? 相手は!?」
「冗談です」
「え……あれ? 笹野プロデューサー? ここは?」
「レッスンルームですよ」
紗弓はまだ自分の状況がわかっていないようで、キョロキョロと辺りを見回す。
笹野は呆れたように肩をすくめる。
「生実さん、寝るときはちゃんと仮眠室でと言ったはずですよ。こんなところでは身体を痛めてしまいます」
紗弓が気まずそうに微笑んだ。
「あー……すみません。自分でもいつ寝ちゃったのか、覚えてなくって」
「今日は家に帰りましょうね」
「はーい。……その次はまたこっちでも良いですか?」
「学校をお忘れですか? もうゴールデンウィークは終わりましたよ」
「……あはは、そうでした」
その後、笹野は彼女にひとまずシャワーを浴びるよう指示を出し、自身は朝食をコンビニで購入しに向かった。
会社の前でジャージから私服に着替えた紗弓と落ち合い無人自動車を停めて乗り込む。
「ドちらへ行キましょウ」
とイントネーションにやや違和感がある合成音声で言ったのは、運転席及びハンドルやアクセルとおよそ一体化した、黄色い光沢を放つヒューマノイド・ロボットだ。
笹野が運転席の背面にある入力パネルに、いつものスタジアムの住所を打ち込めば、自動運転車は静かに滑り出して行った。
もっともロボット運転手がハンドルを回しアクセルを踏んだわけではない。
彼は、空っぽの自動車が街を走る様が怪奇的であるから、形式上置かれているに過ぎない。
運転そのものは自動車内部のコンピューターが行っている。
「生実さん、こちらを。軽いものですが」
「わぁっ、ありがとうございます」
紗弓に買ったばかりのサンドイッチを渡すと、すぐに包装を解いて食べ始めた。
よほどお腹が空いていたのか、食べ終わるのも早かった。
「まだありますが、どうします?」
「あ、じゃあ、貰っても良いですか?」
念のため他にも買っておいて良かった、と笹野は思った。
「どうぞ。それから飲み物も……緑茶、紅茶、それからコーヒー牛乳があります」
「コーヒー牛乳ください」
「はい。……昨晩は、ちゃんと食べましたか?」
その質問に紗弓は、朝と同じ笑みを返すばかりだった。
笹野は顔に出さないよう努めたものの、内心は呆れと不安があった。
(執着心が空回りしてしまっている、か……?)
確かに根野にぬ奈は、無茶を重ねなければ、いや重ねても勝つことが難しい相手。
笹野もそう思うが、対決まで一週間ある。
このままでは対決前にバテてしまいかねない。
「生実さん」
釘を刺す思いで口を開く。
だが「すみません」と紗弓が先んじて頭を下げてきた。
「お願いします。今日はこのまま……お願いします」
本日の予定は、スタジアムでのライブバトル五本だけ。
(それも目的は新しい蹴り技の試運転と聞いています。大丈夫でしょう、たぶん)
笹野は少しばかり嫌な予感もしていたが、気のせいだろうと判断した。
「なにも、今すぐ帰れとは言いませんよ。事務所に泊まるのは駄目ですが」
そう答えたことを、数時間後、笹野は少し後悔することになる。
と言うのも、紗弓は当初申請していたライブバトル五本では満足出来なかったのか、スタジアムで出会ったアイドルに片っ端から、それこそ誰彼かまわず対戦を挑んだのだ。
合間の休憩は二十分あっただろうか。
最長でも昼休みに三十分くらいだ。
勿論、笹野は止めた。
しかし言うことを聞かなかったし、
「お願いします! あと一回だけ試したいんです!」
その言葉に押し切られてしまった。
実際に技を試した回数は、片手で数える程だったが。
帰りの自動運転車の中、隣に座る紗弓は本当に申し訳なさそうに縮こまっていた。
「怒るわけではありませんが」
「……はい」
「いくらなんでも無茶しすぎです。昨日にしろ、今日にしろ。身体が持ちませんよ」
「でも……」
「勝てるものも勝てなくなってしまう」
「違うんです」
紗弓がぽつりと言った。
「わたしは経験が足りないから、特訓だけじゃなく実戦もした方が良いかなって思ったんです。けど今週で、最後かもしれない。そう思ったら、もっと、もっとやりたいって思ったんです」
笹野は返答に窮し、代わりに訊ねる。
「……明日のご予定は?」
「えっと、昨日と同じ感じで、朝から夜まで自主特訓……」
「ですから学校を……もしかしてサボるつもりでした? 忘れていたわけではなく?」
紗弓はばつが悪そうに小さく頷いた。
「忘れてたことにしたら、大丈夫かなって」
「それはいくらなんでも」
「お願いです、笹野プロデューサー。あと一週間、舞闘者でいたいんです。舞闘者だけで」
未だなお、紗弓は縮こまっていたが、その声音には力強さがにじみ出るようだった。
頭によぎるは先ほどまでの彼女。
ステージの上の彼女は、本当に楽しそうだ。
勝つにしろ、敗けるにしろ。
アイドルが本当に大好きだから、何をするのも楽しくてしょうがないのだろう。
そして、その楽しさを、にぬ奈にも分かって欲しい。
その情熱こそ紗弓の強み。
それを、にぬ奈も薄い、勝ちへの執着心に転化できれば、彼女との力量差を少しは埋められるだろう。
笹野はそう考えていた。しかし、これほどまでだとは、思ってもみなかった。
アイドル候補生だったときでも、ここまでの無茶は言わなかった。
今ここに至って、笹野は悟る。
自分は自分で、生実紗弓というアイドルを見誤っていた。
笹野が見る紗弓は、冷静の底に熱意を沈めている人だった。
なればこそ、対にぬ奈の作戦を考え、そのための特訓を続けてきた。
なればこそ、まず確実にアイドル候補生となるために、OTNプロダクションを選んだ。
熱意を支えにすれど、決して熱意を先行させる人ではない。
だが本当は、噴き上がる熱意に冷静で蓋をしているのではないか。
それが普段で、彼女の本質というものは、候補生の最後の日に見せた、大跳躍の一瞬にこそ表れていたのではないか。
鍋が噴きこぼれるが如き、あの一瞬こそが。
(暴走めいた危うさを感じないわけではない……しかし今回は、彼女の選択を尊重すべきか)
笹野は改めて紗弓に問う。
「ご家族には? 学校を休むと言って許されますか?」
「それは大丈夫です。ちゃんと昨日言いましたから。ママは『やるだけやってみな』って」
この行動の早さには舌を巻く。
家族を説得という仕事がなくなってしまった。
「でしたら、良いでしょう」
「え?」
紗弓が驚いた顔で、こちらを見た。
笹野は頷きを返して続ける。
「ただし二日に一度は自宅に帰ることです。毎日、社に泊まるのは駄目ですよ」
「い、良いんですか?」
「そうしたいのでしょう? なら、出来る限りの補佐をします。生実さんでも根野さんでも、虎嶽さんたちでも。それがプロデューサーの仕事というものです」
「あ……ありがとうございますっ!」
「生実さんを疑うわけではありませんが、あとでご家族の方には、私からも連絡を入れさせてもらいますね。それから事務所に泊まるときは、ちゃんと食事と睡眠を採ること。破ったら即帰宅です」
「はいっ」
「もう一つだけ。対決前日は、特訓にしろライブバトルにしろ、午前中で切り上げて休むこと。よろしいですね?」
「はいっ!」
紗弓の顔に、いつもの明るさが戻った。
──二人のアイドル人生をかけた決戦の日まで、残り七日。




