吸血鬼サマの餌
雨柚、初の短編です。
感想を頂けたら嬉しいなあ…と思っています。
「マスター」
少女が声をかけると、少女の首筋に顔を埋めていた青年が顔を上げた。
「………何だ」
青年は甘く掠れた声で少女の耳に囁きかけたが、少女は特に気にした風もなく続ける。
「痛いです」
「………そうか」
ムードも何もない発言に血を吸っていた青年――吸血鬼であるヴィルフリートは眉根を寄せた。
そんな彼に、少し言いにくそうしながらも血を吸われていた少女――モニカは問いかける。
「前から思ってたんですけど、マスターって吸血下手なんですか?」
「………………」
◇◇◇
モニカは吸血鬼のエサだ。
……こう言うとヴィルフリートが怒るので、主思いのモニカは心の中だけで言っている。
正確に言うと、モニカは人間と餌族のハーフである。
餌族というのは、吸血鬼が血を吸うために、人間を元にして創り出した種族のことで、その多くは吸血鬼に飼われている。その反面、吸血鬼の中にはパートナーとして扱う者も少なくはない。
見た目は人間と変わらないが、血を吸われると倒れる人間と違い、餌族は血が多いため血を吸われなければ倒れる。
まさに、吸血鬼のエサである。
豪奢な部屋で四人の男女が向かい合って話している。
「アンタ、まさかホントに“それ”言ったの!?」
金髪の美女――モニカの友人であるヴィオラが声を上げた。
彼女もモニカと同じ餌族であり、吸血鬼の恋人がいる。
「うん。だって、ホントは吸血って痛くないんでしょ?だからマスター下手なのかなぁって」
「……うわぁ」
あちゃーと言うように顔を手で覆った美青年――ベルナルドはヴィオラの恋人の吸血鬼である。
彼の仕事はモニカの主であるヴィルフリートの補佐であり、古くからの友人でもある。
ちなみに、モニカは自分の主が何の仕事をしているのかよく知らない。
「そのせいで機嫌悪かったのね、ヴィルフリート様」
「そうなんだよねぇ。言ったら何でか落ち込んじゃって」
ヴィオラが心底気の毒だとでも言うように溜め息を吐いたが、モニカはあまり分かっていないようだ。
呑気に首を捻っている。
「あはははっ!モニカ様サイコー!…ヴィルフリート様がそれ言われるってすっげぇ笑えますね」
そう言いながら爆笑している人狼の青年はセシリオ。
ヴィルフリートがモニカに付けた護衛だが、一緒に座って茶を飲んでいるところからして、真面目とは言い難い。…客人の前で主を笑える強心臓の持ち主でもある。
「セシリオ、笑い事じゃないよ。アイツ機嫌悪いんだか落ち込んでるんだか知らないけど、いつにも増して無口無表情で鬱陶しいんだよね」
うんざりといった口調でベルナルドが話す。
ヴィルフリートと付き合いの長い彼でもヴィルフリートが何を考えているのかは分からないらしい。
ただ単に、面倒臭いだけかもしれないが。
「屋敷でもそんな感じですよ。でも、いつものことですよね?」
「今回はもっと酷いよ。…まあ、同じ吸血鬼として、言われた言葉には同情するけど」
セシリオの言う通り、モニカを溺愛しているヴィルフリートが彼女の言動で一喜一憂するのはいつものことである。
しかし、珍しくベルナルドが彼に同情的だ。
“吸血が下手”だというのは吸血鬼にとって大変不名誉なことらしい。
ヴィルフリートは齢五百を越える高位の吸血鬼であるため、余計そうなのかもしれない。
「ええっと、私の所為かな?」
モニカはヴィオラにこっそり問いかけたが、他の二人にもしっかり聞こえてしまっていた。
いつも無口無表情のヴィルフリートの心情を読み取れるモニカだが、彼女には部外者でも分かる、彼が落ち込んでいる理由が分からないようだ。
「当たり前でしょ」
「ま、そーですね」
モニカの間の抜けた問いかけに、ヴィオラとセシリオが間髪いれずに返した。
そう言われても、モニカには自分の言葉の何が悪かったのか分かっていないようで、やっぱり首を傾げている。
そんな彼女に、ベルナルドは溜め息を吐いて向き直った。
「あの鉄仮面男の落ち込む理由なんて、君しかいないよ。
………ってことで、さっさと何とかしてくれるかな?辛気臭くて敵わない」
ベルナルドは笑顔だが、色々溜まっていたのか若干黒いモノが出ている気がする。…補佐というのは大変な仕事なのだろう。
ヴィオラとセシリオはその笑顔を見て顔を引き攣らせたが、モニカはどこ吹く風である。
「でも私、痛いの嫌いなんですよね」
……彼女は誰よりもマイペースだった。
この後、モニカがヴィオラやベルナルドから聞いた話によると、吸血鬼の吸血は“痛みを緩和させ、快楽を与える力”を使用するため、痛みを感じないという。特に、ヴィルフリートのような力の強い者の吸血が痛いはずがないと。
そこまで聞いて、“でも痛いし。やっぱりマスター下手なんじゃ…”と思ったが、その話には続きがあった。
どうやら、モニカは特異体質らしい。
極稀にだが、人間や餌族には彼女ようにその吸血鬼特有の力が効かない体質の者が生まれる。
そんな体質の者でも痛みを感じない吸血方法があるらしいが……。
「ここから先は、君のマスターに聞くと良い」
そう言われてしまった。
◇◇◇
モニカはヴィルフリートを探して廊下を歩いていた。
名案が思い浮かんだのだ。…彼女にとっての。
ヴィオラやレイナルドが聞いたら“どうしてあそこまで話して、そんな結論になるんだ!?”と頭を抱え、セシリオは爆笑すること請け合いの案である。
「マスターっ!!」
遠くに見えるヴィルフリートの背中に声をかけた。
モニカだと気付いたのか、彼はすぐに振り向き、彼女の傍まで来る。
「…………何だ」
彼はいつも“何だ”か“そうか”しか言わないが、何だかいつもより声のトーンが低い。…これはモニカにしか分からない変化だろう。
彼女の主は友人達の言っていた通り、まだ落ち込んでいるようだ。
「私、良いこと思い付いたんです!」
「…………そうか」
モニカの“良いこと”……ヴィルフリートには悪い予感しかしない。
しかし、彼が考えていることなど知らず、モニカは“名案”を話し出した。
「もう、私から血を吸わなければ良いんですよ!」
「………………は?」
彼女の声は弾んでいるが、ヴィルフリートの心にはブリザードが吹き荒れている。…今の彼を彼の部下達が見たら、倒れるかもしれない。
モニカは自分の考えで頭がいっぱいなのか、彼の様子には気付いていない。
「痛いの嫌なんで、マスターは別の人から血をもらってください。私ハーフだから、吸われなくてもあんまり血が溜まらないし」
そういう問題ではないのだが。…彼女はとことん鈍いようだ。
ちなみに“血が溜まる”というのは、餌族特有の状態で、血が増えすぎて倒れることである。
ハーフも血が溜まることはあるが、その頻度は高くない。それに、いざとなれば他の方法で血を抜けば良いだけだ。
間違った方に主思いなモニカが“これならマスターも落ち込まないよね!”とトンチンカンなことを思っていると、ヴィルフリートが動いた。
「えっ!?えぇ?…マスター??」
いきなり抱え上げられ、気が付いたときは、もう彼の私室だった。
二人がいた廊下と部屋の距離を考えると、ヴィルフリートが転移魔法でも使ったのだろう。
ヴィルフリートは何も言わず、モニカを寝台に押し倒す。
「………………」
「……どうしたんですか、マスター?」
モニカは訳が分からないと言うように彼を見上げたが、彼の表情からは何も窺えない。
「………………」
「………………」
しばらく二人で見つめ合っていると、突然ヴィルフリートが口を開いた。
「…お前は、私を嫌っているのか」
思ってもみなかったことを聞かれたモニカは目を瞬かせる。
ずっと彼女を見つめているヴィルフリートは無表情だが、どこか辛そうな瞳をしていた。
「ええっと…私、マスターのこと好きですよ?何でそんなこと聞くんですか?」
モニカが彼を嫌う訳がない。
彼女は困惑しつつもそう答えた。
「…私に血を与えたくないのだろう」
「ええっ!?違いますよ!…私は痛いから嫌って言っただけです」
「……………そうか」
そう言いつつもヴィルフリートの顔色は優れないままだ。
そんな彼に、モニカは思わず手を伸ばしていた。
「マスター。私、自分が痛いのよりも、マスターが悲しそうな方が嫌です。
――だから、そんな顔しないでください」
ヴィルフリートの頬に手を当てながらにっこりと微笑むと、彼は虚を衝かれたように目を見開く。
「………良いのか」
何が、とも言わずに彼が問いかけた。
「良いんですよ」
「……そうか」
モニカが答えると、ヴィルフリートはうっすらと微笑んだ。
その笑みを見て、嬉しそうに彼女が言う。
「…でも、やっぱり痛いのは好きじゃないんで、痛くない方法で吸ってください。
痛くない吸血の仕方、あるんですよね?」
そう言いながら小首を傾げるモニカを見つめ、彼は溜め息を吐いた。
「…この状況でそれを言うのか」
「………?」
何の話か分からないのか、彼女は危機感なくぼんやりとヴィルフリートを見上げている。
そんな彼女を数瞬見つめてから、彼は彼女に顔を近付け、囁いた。
「…お前にはまだ早い」
◇◇◇
モニカの問題(爆弾?)発言から二年後。
「マスター」
「……………」
「…ヴィル様」
モニカは、自分を抱き締めている恋人――ヴィルフリートに声をかけた。
名前を呼ばないと返事をしないあたり、存外子供っぽいようだ。
「………何だ」
彼女に答える彼の声はこれでもかというほど甘い。
…甘いのだが、やっぱりモニカは気にした風もなく文句を言った。
「痛いです。…腰が」
「………そうか」
恋人になったばかりなのだから、もう少しムードがあっても良いのではないか、とヴィルフリートは思う。…モニカらしくはあるが。
「そういえば、何で“あのとき”じゃなかったんですか?」
彼女の言う“あのとき”というのは、二年前のことだ。
あの後、彼が忍耐の限界に挑戦し、モニカは子供扱いされて少々拗ねていた。
「…お前はまだ成人していなかっただろう」
人間の成人は十八歳である。
ヴィルフリートがモニカを拾ったのは、彼女が十二歳のときなので、今はそのときから六年ほど経っている。
「それって、人間の成人年齢ですよね?…餌族は十五で成人ですよ?」
「………………」
どうやら、彼は知らなかったようだ。
《人物紹介と作中に出なかった設定》
ヒロイン:モニカ。
ぼんやりボケ。餌族と人間のハーフ。16歳。吸血嫌い。てか、痛いの嫌い。力が効きにくい特異体質。スラム育ち。十二歳の時にヴィルフリートに拾われる。
元々王城で暮らしていたが、「広すぎて落ち着かない」と言ったら、ヴィルフリートが今の屋敷を建てた。以降、その屋敷に住んでいる。
ヒーロー:ヴィルフリート。
高位の吸血鬼…どころか実は王様。五百歳越え。無口無表情で鉄壁の理性の持ち主。別に吸血は下手じゃない。セリフは基本「何だ」か「そうか」。
モニカを溺愛している。実は、モニカに付けている護衛・セシリオはかなりの実力者。
側近:ベルナルド。
吸血鬼。ヴィルフリートの友人。黒い笑顔。
友人:ヴィオラ。
餌族。ベルナルドの恋人。モニカの友人。気が強い。
護衛:セシリオ。
人狼。ヴィルフリートの部下でモニカの護衛。適当な性格だが実は近衛騎士。