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「ようこそ、月の巫女姫……方」
……予感ってのは当たるものだ。というか、ここまで完璧な異世界召喚はねーよ、と言いたくなるぐらいのテンプレートな異世界召喚だった。
三半規管をぶち壊すような上下左右が不明な真っ白の空間をくぐり、激しい嘔吐感が収まった頃に、ようやく私達は地面らしい地面に脚をつけられた。貧血の時のようなモノクロの世界にだんだん色彩が舞い戻り、やっと辺りを視認する。
そこは、小さな石壁の部屋だった。大して広くもない、十二畳ほどの窓のない薄暗い部屋。私たちの正面には金髪碧眼の壮年の男性が立っており、まるでRPGか何かに出てきそうないかにも『王族』らしい重厚な衣装をまとっていた。
王族。私の見立ては間違っておらず、その男性は自分がフィー……フィーなんちゃら王国の国王であると名乗った。それからダラダラと挨拶を交えた実にありがちな説明を始めたので、私は応答をすべて咲夜に丸投げした。
さくっと説明するならば、ここは太陽系第三惑星地球のどこかではなく、全く別の次元に存在するいわゆる異世界であり、私たちは――いや、咲夜はこのフィーなんちゃら王国の魔術師達が魔法を使って召喚した『月の巫女姫』でと呼ばれる存在であるらしい。何十年かに一度行われる召喚術によってやってくる神の使い、それが月の巫女姫。
『――――、』
『――――――――』
部屋中の視線が痛い。
視線の理由は、多分あれだ。ここに私がいるせいだ。付け加えるならば『一人しかいないはずの巫女』の隣に私がいるせいだ。
どうも国王の話を聞く限り、巫女姫というのは本来一人だけであるはずらしい。しかし現にここには魔法陣をくぐってやってきた人間が二人いる、と。
私は咲夜とは違って、ごく一般な平凡顔しか持っていない。立っているだけでキラキラ光る能力なんて持ち合わせていないし、世界を超えるときに美少女化されてもいない。
美少女と平凡顔が並んでいる時点で、まぁ大体、どっちがその巫女姫でどっちがそのおまけなのかは分かるというわけだ。
実際、咲夜に腕を掴まれなかったら私はこの世界に来ることもなかったんじゃないかと思う。咲夜を恨んでいるわけではないけれども。
とりあえず、一般人は巫女姫の役割とかお仕事の説明には興味がないので、聞き流しながらぐるりと辺りを見回した。
そこまで広くない、タイルの床の部屋だ。召喚専用なんかではなく、とりあえず空き部屋を用意しました、というような部屋。
そのちゃちさにドッキリ説を立てようかと思いもしたが、やめた。あの光に飲み込まれた時の、何とも言えぬ感覚は今だ体に残っている。五感まで騙すような大掛かりなドッキリを、ごく普通の高校生二人組に仕掛けるなんてありえない。
しかも魔法陣らしきものが現れたのは公共の道路だ。ますますもってありえない。
足元に視線を落とすと、白い魔法陣があったがあった。座り込んでちょんちょんと指先でつつく。グラウンドのラインよろしく、石灰のようなもので書いているようだ。誰が掃除するんだろう。ここのメイドかな。ご苦労様です。
「千香ぁ……信じられないのはわかるけど、話聞こうよ」
「うんにゃ?話は聞いてるし、一応大体信じることにしたよ?あえていうならじっとしてられない的な」
だって、これはいわゆる、異世界トリップというやつなのだ。
たとえファンタジー小説ではよくありがちな展開でも、現実では常識的に考えてまず起こりえないはずの、異世界トリップ。それが今この目の前にある。この状況で興奮せずにいられるか。オタク文化ジャパンの民として、心が浮き立ってしまうのはどうしようもないことである。
非現実、それは面白そうなことの集合体。今まさに、私はとてつもなく面白そうな場所の入口に立っている。これは、これはテンションが上がる。しかもうまく脇役のようなので、うまくいけば厄介事に悩まされることもなく、異世界トリップの物語をすぐ傍で、リアルタイムで思う存分眺められる。最高だ。
にやにやし始めた始めた私が何を考えているかわかったのだろう。咲夜はため息をついて、再び国王に向き直った。
「――――だいたいお話はわかりました。ですが、ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「えぇ。何ですかな?巫女姫殿」
国王の呼び方に、咲夜は一瞬たじろいたような微妙な顔をしたが、すぐに気を取り直す。
「私たちは、元の世界に帰れますか?」
石灰のようなものから手を離して立ち上がった。今、おそらく一番重要なこと。
それは、この世界を「刹那の夢」か「第二の故郷」か決めるもの。
「――――、えぇ、帰れますとも。巫女姫殿にお役目を果たして頂ければ、すぐにでも」
役目、か。国王の言葉に、私は小さく目を細めた。
それから、私たち二人はこの世界の説明を真剣に聞いた。咲夜はもともと、だけど。
世界、しきたり、役目、その他いろいろ。ついでに私の立ち位置も「巫女姫殿のご友人」に確定した。
「失礼します、国王陛下、ご客人がたの部屋の準備が」
「おぉ、できたか。それでは巫女姫殿、そしてそのご友人殿。部屋を案内しましょう」
そう言って、国王は傍にいた騎士らしき男に声をかけた。
「アルフレッド、ラグナ、ご友人殿を案内しろ。私は巫女姫様を案内する」
私と咲夜は小さく眉をひそめる。
「待ってください。千香と私の部屋って、別々に案内しなければならないほど離れてるんですか?」
国王は眉を八の字に曲げて「申し訳ない」と一言言った。
「部屋が用意できないなら、同じ部屋でもいいです。私、あまり離れたくな……」
食い下がろうとした咲夜を軽く押さえる。
「まぁまぁ、せっかく用意していただいたんだし、ありがたく使わせてもらおうよ。お国にはいろいろと事情があるもんなんだよきっと」
「……そう、かなぁ……」
納得のいかなそうな咲夜に、「郷に入れば郷に従え、だよ」と笑って、咲夜の肩に手をかける。
「……まぁ、最初から警戒心バリバリな態度を取りなさんな。何かする気なら、わざわざ引き離さなくても女子高生二人ぐらい軽く押さえ込めるでしょ、無効は国家なんだから。下手に警戒して相手との距離取り続けててもいいことがあるとは思えないよ」
「そりゃそうだけど、警戒しすぎるに越したことはないよ。ここは日本じゃない、私たちの常識が通じるとは限らないし、味方だっていないに等しいんだよ!」
「だから今から作るんでしょーが」
ぴっ、と咲夜の口の前に人差し指を立てる。
「いいかね、巫女姫はいつでも心を乱しちゃいけないのだよ。寛大な心ですべてを包み込み、誰もかもを信用する根っからのお人よし。つい守ってあげたくなるちょっと天然が入ったキャラクター、それが巫女姫だ!」
「はい?」
意味が分からない、というように眉をひそめた咲夜に、私も苦笑する。
「無防備に見せかけて、懐に入り込んで様子見てろってこと。ここがどんなとこなのか、どんな人がいるのか、そもそも本当に異世界なのか、私達は今知らないことが多すぎるよ。だからしばらくは彼らに従って、情報をかき集めてから彼らが本当に信頼できるのかを判断すればいい。私は私で、いざというときの逃げ道とか元の世界への帰り方とか、本当に無いのか探してみるから」
むぅ、と咲夜は押し黙った。宥めるようにぽんぽんと頭を叩いて、私は振り返る。
「話し合いは終わったっぽいか?んじゃ、案内するぜー」
入り口近くに控えていた壮年騎士が、見た目に似合わぬラフさでそう言った。私は彼に、「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「それでは私たちも行こう。巫女姫殿」
「……はい」
部屋を出て、すぐの廊下で私たちは二手に分かれる。
別れ際軽く振り返ると咲夜と目があったので、私は軽く親指を立てて前を向いた。
――成功を祈る。