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「それじゃ、亜沙美。頑張ってね!」
「う、うん……」
夕方、学校から帰ってきたふたりが、私の傍らに立って話していた。
亜沙美のほうは、なにやら少々もじもじして緊張している様子がうかがえる。
「ほら、来たよ」
「うん」
亜沙美の背中を軽くぽんと叩くと、理乃はさりげなく離れ、百円ショップに入っていく。
それでもやはり気になるっているのだろう、店の中からチラチラと顔をのぞかせて外の様子をうかがっている。バイトの店員に、変な目で見られているのは、お構いなしのようだ。
私の横にひとりで取り残された亜沙美。
その前方から、男子学生が歩いてくる。
いわゆる美形という感じだろうか。体格はそれほどがっしりした感じではないが、筋肉のつき具合を見るにスポーツをしていることがひと目でわかる。
ぐっとこぶしを握り、よし! と気合いを入れた亜沙美は、すっと、その学生の前に歩み出た。
「あの、浜崎先輩!」
上目遣いで相手を見据え、ひと呼吸置く。
浜崎先輩と呼ばれた学生は、一瞬キョトンとした表情を浮かべていた。
亜沙美は、意を決したように言葉を続ける。
「これ、読んでください!」
目をつぶり、両手でしっかり持った手紙を浜崎先輩の前に差し出した。
つまりこれは、ラブレターというやつか。
「あ……ああ。うん。ありがとう」
戸惑いながらも、浜崎先輩とやらはその手紙を受け取った。亜沙美は一礼だけして、そそくさと走り去る。
恥ずかしさで真っ赤になっている顔を見られたくない、とでも言うかのように、亜沙美は振り返りもせず遠ざかっていく。
そのあとを追うように、百円ショップから慌てて出てきた理乃も、先輩に一礼だけして走っていった。
男子生徒は、その様子を呆然と見送っていた。
彼は、ひとりきりになった交差点に立ち尽くしながら、ハートのシールで綴じられた封筒をじっと見つめていたが、やがてそれをカバンの中にしまい込むと、駅の方向へ歩き出した。
確か以前にも、浜崎先輩とやらについてあの女子高生ふたりが話しているのを聞いたことがあった。
バスケ部のエースで、背は飛び抜けて高いというわけでもないが、素晴らしいジャンプ力でダンクシュートもやってのけるのがカッコイイと話していたように思う。いわゆる、人気者の先輩という感じなのだろう。
それだけに、憧れる女子生徒も多く、私たちには手の届かない存在だよね、などと話していたと思ったのだが。
亜沙美は心の中でいろいろ葛藤しつつも、一大決心をしたのだろう。
パタパタパタ。
ほのぼのとそんなことを考えているうちに、亜沙美と理乃のふたりが足音を響かせながら交差点まで戻ってきた。
そして、走り疲れたのか素早くベンチに座り込むと、はしゃいだような声で話し始めた。
「はぁ、はぁ……。渡しちゃったぁ」
「ま、とりあえず受け取ってはくれたけどね」
「まだドキドキしてるよ……」
息を切らしながら話すふたり。
とくに亜沙美のほうは、いつもとは比べものにならないほど、テンションが高まっているようだ。
「幸せくんのご利益、あるかしらね~」
そう言いながらポンポンと私に触れてくる理乃。
「うん……」
亜沙美は少々うつむいて顔を赤らめていた。
そんな親友の様子を見ている理乃の瞳は、とても優しげなきらめきをたたえていた。
「でも、浜崎先輩かぁ~。確かにカッコイイとは思うけど、まさかラブレターまで渡すなんて思ってなかったよ。だいたい、あんたには、幼なじみの鳩山くんがいるのにさ」
若干呆れも含んだ物言いながらも、やはり瞳は笑ったままだった。
「え~、陸徒なんて駄目よ~。ガキだしぃ~!」
亜沙美はすぐに不満の声を上げる。
鳩山陸徒というのは、亜沙美の幼馴染みだ。
亜沙美本人いわく腐れ縁の仲で、もともと親同士が知り合いだった上、幼稚園から高校生となった今までずっと同じクラスらしい。
小さい頃から一緒に過ごしている時間が長いため、今でもお互い気楽に話しているだけだとか。
周りから見れば、その雰囲気はすでに恋人同士としか思えないと、理乃は言っていたが。
「まぁ、いいけどね。浜崎先輩みたいな人だと人気あるから大変だと思うよ?」
「う~、でもカッコイイからいいの!」
「はいはい。いい返事もらえるといいね」
「うん……」
亜沙美はラブレターを渡した余韻に浸りながら、理乃はその友人の様子を温かな瞳で見つめ続けながら、ふたりはしばらくその場で黙ってベンチに座っていた。
そのあいだも、ずっとこちらをうかがう、いつもの視線を感じてはいた。
だがその視線には、いつもとは違って若干ではあるが戸惑いの念がまじっているようにも思えた。
「お姉ちゃん、こんにちは~!」
交差点に突然明るい声が響く。
タッタッタッタ!
男の子が軽めの足音を立てながら、亜沙美と理乃のほうへ駆け寄ってきた。
「あっ、悠くん、こんにちは」
悠のほうを振り向く亜沙美。
と、その瞬間、
ドテッ!
道のデコボコに足を取られた悠は、派手な音を立てて転んでしまった。
「わっ! 大丈夫?」
慌てて亜沙美と理乃は悠に駆け寄った。目に涙をいっぱい溜めながらも、悠はゆっくりと体を起こす。
ヒザをすりむいてしまったようで、血がにじんできてはいたが、涙が流れ出すのだけはぐっと我慢してこらえている。
男の子なんだから、泣いちゃダメだ。そんなふうに考えているのだろう。
「う……うん、大丈夫!」
「悠! 大丈夫?」
買い物袋を手に持った母親も、ようやく息子の様子に気づいたようで、慌てて駆けつけてくる。
「亜沙美さん理乃さん、ごめんなさいね、私がちょっと目を離したすきに……」
両手の袋が邪魔なのか少々不格好な感じではあったが、深々と頭を下げる母親。
今日もまた、たくさん買い込んできたようだ。
「いえいえ。でも、泣かなかったもんね、偉い偉い」
亜沙美はそう言って悠の頭を撫でる。悠のほうは、えへへ、と笑顔を浮かべていた。
「悠! 気をつけなきゃ駄目だって、いつも言ってるでしょ!」
「うん、ごめんなさい……」
母親の注意に、しゅん、とする悠。
「まぁまぁ、お母さん。元気があっていいと思いますよ! やっぱり男の子はこれくらいじゃないと、ね!」
悠の頭を撫で続けながら、亜沙美は明るく諭す。その隣では、理乃も笑顔をこぼしていた。
「それじゃあ、私たちはこれで。悠くん、気をつけるのよ!」
「うん! バイバイ、お姉ちゃん!」
悠に手を振り返して去っていく亜沙美と理乃。ふたりをしっかり見送ったあと、母親と手をつないで悠も歩き出す。
辺りを赤く染め上げていた夕陽は、そろそろ町の影にその身を隠そうとしていた。




