第1話
平日、昼間のスーパーで、おっさんの姿はちょっと浮いていた。
「えー……ダイコン、料理酒、味噌、醤油。
サラダ油に、米5キロ。重てえなぁ。
あと“女性真理”? 恥ずかしい週刊誌買わせやがって……」
“妻さん”に命じられた買い物を、カートに突っこんだ。
「はい終わった終わった」と、酒類コーナーへ直行する。
新製品の販促をやっており、目をつけていたのだ。
「新しい“ピーチ・スピリッツ”、お試しいかがですかー」
ちょっとすてきな奥さん風の女性が、ニッコリ笑ってピンクの酒を勧める。
タダ酒。
がんばったおっさんにご褒美だ。何をがんばった? 買い物だろ?
ぐいっと一気にあおる。
おえっ、甘すぎ。ジュースかよ……と思ったけれど。
小首をかしげた奥さん、感想を待っている。
「そのぉ、おいしい、ですね……」
「よかったです! お気に召したのでしたら、もうひとつ、いかがですか?」
「いっ!? で、でも悪いし……」
「どうぞどうぞ。たくさんありますから!」
太陽のような笑顔に負けて、おっさんは飲んだ。6杯飲んだ。流れで6缶買った。
スーパーを出て縁石に座り、「こんなの買ったってバレたら、あいつブチギレるよな」と、6缶のピーチ・スピリッツをたて続けに飲み干した。
空腹に染みる、大地が踊る。
「あーこりゃ事故る」と電チャリ押して、“スーパー桃山”を後にした。
たった1割引きのために、わざわざ桃畑のひろがる郊外の丘を越えて、買い出しにきたのである。
このミッションを完遂しなくては、夕飯が有料になってしまう。
夫婦仲の悪い“妻さん”が、金を請求してくるのだ。
「バッカくせえ……やってんらんねえ」
丘の上で立ち止まり、美しい果樹園を見わたした。
桃の甘い香りが立ちこめて、思わず深呼吸する。
なぜか、酒類コーナーの奥さん風を思い出した。
でも甘ったるい酒より、甘い果実の方がよっぽどいい。
ちょうど、そこに実っているようなやつ。いかにもジューシーでさぁ……。
気がつくと、おっさんは桃を手にとって、かじっていた。
これだから酔っ払いはダメなんだよ、反省しろ。
と他人事のように思ったが、出てきた言葉は「うっま……!」
次の桃に手をのばした時だった。
けたたましくクラクションを鳴らしながら、軽トラが突っ走り、丘を駆けあがってくる。
「おいおい歩行者様に向かってなんだそれは。交通弱者だぞ……」
酔っ払いらしく説教して、偉そうに軽トラを指さした。
相手は逆にスピードを上げ、運転席のオヤジが何かを叫ぶ。
クラクションに交じって、「死ねこの桃ドロボー!」という声が聞こえた。
桃農家のオヤジの血走った目と、視線が合った。
次の瞬間――おっさんは宙を舞った。
軽トラの荷台に、枝切りばさみが載っている。
記憶が途切れた。
* * *
冴えないおっさんのゴローは、売れない漫画家である。
最後の連載が打ち切られてから、もう五年だ。
今はエロ画像を売っては日々の糧を得て、どうにか妻子を養っていた。
しかし、家族のためにどエロいイラストを描いてばかりいたせいだろうか。
『あれ? 俺が描きたかったのって、どんな漫画だっけ?』と、近ごろはそんなことも忘れる有様だった。
でも、エロ画像を描き続けなくては、生きてゆけない。
「くっそぉ……結婚なんてするんじゃなかったあ」
おっさんはつぶやいて、粗末な硬いベッドで上体を起こした。
石造りの、狭い部屋……。
「ほえー……つーか、ここどこよ……病院じゃあなさそうだけど……」
ガラス戸のない窓がひとつだけ開いており、そのむこうには桃の果樹園が広がっている。
外へ身を乗り出してみて、驚いた。
「なんだよ、ここ、塔か……?
刑務所でも、桃農家でもない。なんで指輪物語みたいな塔なんだ……」
しかも最上階で、地上から約20メートルといったところ。
ぶ厚い木の扉は外から施錠され、部屋から出る手段はない。
「幽閉じゃん、幽閉。
俺は桃園ユーヘー君。こりゃ参ったねえ」
自分の頭をポンと叩いて、笑った。
内心、困っていなかった。
酔いのせいだけではない。
わざわざ生かして監禁ということは、殺される心配はなさそうだ。
そして、家具といったらベッドしかない部屋にいる限り、もうエロいイラストが描けない。描かなくていい。買い物だってしなくていい。
妻子は困るだろうが、不可抗力だ。
ユミ、ヒナタ、強く生きろ。父は終わりだ。朽ち果てよう、桃の香りに包まれて。
「アディオス、野蛮な文明社会」
改めて景色を見ると、桃畑は美しく、この世のものとは思えなかった。
「うーん、ホテルだったら高い部屋だぞ……
にしても、きれーだなー……まるで“異世界”だ」
本当に異世界ではないかという疑念が脳裏をよぎり、そう考えたらいろいろ合点がいった。
「俺もトラックに轢かれるほどの男になったかぁ」
つまり勇者かもしれない。だがリアルな剣なんて見たこともない。どうでもいい。
「ペンはケンよりツヨシ君。ペンの奴ぁ女か、男か……ヒック。
まあいい、メシに桃の一つでも出してもらえりゃあ、上々だろ」
ゴロンと横になって居眠りしたら、いつのまにやら夕方だった。
ギギーッと重い音がして、部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、昼間の軽トラのオヤジである。
「ヤベっ」とたじろいだのも一瞬、オヤジはべつに怒った風でもない。
手にしたトレーには、ふかしたジャガ芋っぽいものがひとつと、水の入ったコップがあった。
おっさんは胸をなでおろし、厚かましくも言った。
「え……桃とか、ないんですか?」
「バカ野郎!
仕事もしない泥棒野郎に、桃を食わせると思ったか!!」
仕事?
何の話か分からない。分からないが、仕事をしろと怒鳴られるのは、ぜんぜん違和感がない。
なんだ、日常じゃないか。
「……はあ、異世界行っても、仕事仕事……」
オヤジは乱暴にトレーを置いた。
よく見ると、ひどい食事だ。芋は冷たく乾いていて、カビが点々とついている。
こりゃ妻さんのよりひどい。
おっさんはふと思いついた。
「あのぅ、農家のおじ……おにーさん」
「俺は農家じゃない!
魔法使いだ!!」
おっさんも、これには思わず苦笑い。
「えっ、魔法使い!?
ぶふふっ、魔法使いっすか! すごいっすねー!」
ところが、桃農家のオヤジは尻のポケットから短い木の枝を取り出すと、さっと振った。
ベッドの上に置かれた食事が、シュッと消えた。
「はあああ!? 消えたああああ!?」
桃オヤジはドスのきいた声で、静かに言った。
「この桃泥棒め。お前をどうしてくれようか。
奴隷として一生涯、碾き臼回しをさせるか。
生きたままペットの餌か。
女体化して性奴隷か。
どれがいい!」
女体化はちょっと興味あったが、この男の性奴隷はさすがにカンベン願いたいと思った。
同時におっさんは、そいつが女奴隷を望んでいるという事実を、チャンスだと思った。
賭ける価値はある。
「……あのぅ、俺のカバン、ちょっと返してもらっていいですか?
そしたら、いいものをプレゼントしますよ」
* * *
魔法使いの男は「うぅーむ!」と唸って、エロいイラストをじっと見つめていた。
おっさんがいつも持ち歩いている小さなスケッチブックに、即興でエッチな女の子の絵を描いたのである。
「もっとおっぱい大きい方がよかったですかね?」
「……お前は、何なのだ……よくもこんなものをッ!」
「あー、微乳の方がお好みで?」
魔法使いはスケッチブックをベッドの上に放ると、もごもごと呪文を唱え、木の枝をサッと振った。
刹那、ボン!と爆発して――そこに、女が立っていた。
「おおっ! イラストそっくりぃ……!!」
爆乳ちゃんが自分のバストを持ちあげて、二人に笑いかけていた。
嘘じゃない。
魔法使いは、ホンモノだった。
しかし、女はどこか綻んでいる。
全体的に歪んでいるし、周囲の空間との境界や身体の一部が融合していたりする。そもそも白黒だ。
もっと丁寧に描けばよかったと、おっさんは少し後悔した。
「すいません。ちょっとクオリティ低かったかも」
「お前の絵は……」
魔法使いはベッドの上の女を凝視した。
「……優れた媒体となるだろう」
「へ? バイタイ、って?」
質問は無視された。
「よし。
これを一日一枚、毎日描け。
そうしたら桃を食わせてやろう」
「マジっすか!? 一枚でいいの!?」
「二枚だ!」
「あ、一枚で。
すいません。そのぶんクオリティ上げていきましょうよ。ね?
せっかく実体化するのに、破綻しちゃったら水の泡。でしょ?」
ベッドに佇む幻の女は、空間ににじんで、早くも消失しはじめていた。
魔法使いはうなづいて木の枝を振り、立派な机と画材一式を出現させた。
ついでに桃を一個、机の上に出した。
こうして塔の上の桃泥棒は、一日一個の桃と引き換えに、エロいイラストを描くことになったのである。
* * *
絵を描きながら、おっさんはよく独り言を言った。
「けどなー。
ここに来る前だって、さすがに桃一個よりは稼いでたぞ。
俺、ぼったくられてるわ」
それは魔法の桃で、一個食べれば一日中お腹いっぱい。
でも見かけはただの桃だ。
他には何もせず、おっさんは毎日毎日、ただひたすらエッチな絵を描いた。
『頭ん中がお花畑』はよく聞くが、おっさんは『頭ん中が桃畑』。
日々、脳の芯までピンク色に染まっていった。
すると、やがて白髪三千丈、というか、ヒゲが20メートルにも伸びた。
ヒゲは伸びると毛色が変わることがあるが、おっさんは赤くなるタイプだった。いわゆる赤ヒゲである。
それについて、魔法使いは言った。
「俺が育てた魔力たっぷりの桃だ。
毎日食えば、異変はあって当たりまえ。
だが、充溢する魔力の御し方を身につければ、自然と収まり、あるべき形で力は発揮されるだろう」
正直、意味はよく分からない。
というか途中からどうでもよくなった。
そうして、このところ、中世っぽい小間使いの女の子が、屋敷の主人に悪いいたずらをされるシリーズが続いており、身の回りのいろんなもの――ペン、筆、卵、麺棒、ホウキの柄など――を使い尽くして、いよいよヤバめの物品を登場させなきゃなぁと、刺激のインフレを懸念していた。
このままじゃ手詰まりだ。そろそろ別の題材にすっか……でも女騎士はやった、女神官もやった。魔物にさらわれたお姫様も描いたし、お后の不倫ものも描いた。他にもいろいろエロエロ描いた。
じゃあ現代ものでリフレッシュか? あいつ、農家のおっさんだし、田舎に帰省してきた息子の嫁とか……
それほどにピンク脳になっていた。
リフレッシュが必要なのは、実際はおっさん自身だったのである。
そこで休憩がてら、「指先を使うのは脳にいいんだよ」と、赤ヒゲを三つ編みにしてみた。
まるでロープなので、窓から垂らしてみた。
「なんか釣れねーかなー……なんてなー」
しばらくすると、三つ編みを伝って、リスが登ってきた。
毛玉のような小動物はかわいらしく、おっさんは「待ってろ」と桃の種を砕き、中身を出してやった。
リスはそれをむしゃむしゃ食べた。
「こんなんでよけりゃ、いくらでもあるぞ。また来いよ」
左の耳に傷のあるそのリスを、おっさんはジョーと名付けた。
このオスかメスかも分からないジョーは、おっさんの心のオアシスになった。
彼は桃の種を砕き、中身をリスのごちそうにとっておいた。
* * *
塔の中には変化もないが、外ではもちろん日と夜が巡り、世界は音もなく運行している。
ある日、果樹園の外に広がる深い森から、一頭の白馬がやってきた。
馬の背にまたがっているのは、若く美しい王子。
辺境に奇妙な塔を見つけて足を止め、遠巻きに観察した。
「おかしい。
こんなところに塔とは。
魔法使いの領域に迷い込んだのかもしれない……」
にわかに風が吹いて、塔の上から一枚の絵が飛んできた。
王子は馬を下りて拾い上げた。
「こっ、これは……!」
みるみる顔が強張ってゆく。
「なんと……
……なんと、はしたないッ!!」
どエロい絵であった。
おっさんは慣れっこだから、「これじゃあ刺激が足らねえな」とボツにして、窓から投げたものだ。
あられもない乙女の姿。
長い赤毛を一本の三つ編みにして、悩ましい肢体に縄のように絡ませ、自分で自分を縛り上げていた。
表情は恍惚として、神の裁きを待っているようにも見える。
その身に怒りの鉄槌が下されようと、彼女は悦びをもって迎え入れるだろう。
魔の誘惑に負けた者の、これが末路か……
「あるいは……生け贄だ。
堕落した魔法使いめ……!」
王子は周囲に目を走らせると、こっそり小さなカバンにしまった。
「ふう。美しき乙女にこのような格好をさせる者が、あそこにいる。絵のモデルは今ごろ……」と塔を睨みつけた。
王子が塔のふもとにたどり着くと、果たして高い窓から赤い三つ編みが垂れているではないか。
「赤い髪。あの乙女と同じ……まちがいない。
この髪の持ち主は、魔法使いに幽閉されている!」
急がないと、もっとエロいことに……いや、もっと危険なことに、なるだろう。
王子は塔の周囲をぐるりと歩いたが、入口はどこにもなかった。
尋常な建物ではない。
そこで、赤い三つ編みを手に取った。
「今、助けてやるぞ」
長い旅の途中、迷い込んだ桃園の異界。
高い塔を見上げると、冒険の予感に胸が高鳴った。




