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囚われの宰相に救いの短剣を  作者: カーネーション


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第一話『囚われの元婚約者』

 エリミーナは手燭を照らしながら、地下の回廊を降りていった。前を看守が行き、目的の場所まで案内する。


 行き先は地下深くにある牢獄だった。公爵令嬢にはふさわしくない場所だ。


 それでもここにいるのは、元婚約者である宰相ヴァルディスが断罪されて、投獄されたためだ。


 告発者のひとりである王太子は、ヴァルディスが公的な金銀の横領、公文書の改ざんをしていたと証言した。


 ヴァルディスは王太子の執務を(ほぼすべて)請け負っていたため、それが可能だったとされた。


 裏付ける証拠も揃っていた。横領、改ざんは宰相の手によるもの。さらに謀反の計画を示す連判状には、ヴァルディスの署名が入っていた。


 ヴァルディスの母は王の妹に当たる。王族の血を引くものとして処刑は免れたものの、投獄は免れなかった。


 エリミーナは投獄される前に婚約破棄されており、罪を被ることはなかった。


 世間では直前で罪を免れ、運が良いとされた。エリミーナ自身はまったく喜べなかった。同じように牢獄に入れられてもいいとさえ思っていた。


 これまでを振り返っている間に、看守の足が止まる。目的の場所に着いたらしい。


 看守が手を出して待っていた。エリミーナはその手に銀貨が入った小袋を握らせた。


 エリミーナの置かれた境遇では金を稼ぐことは難しい。秘密裏に初めの婚約者から贈られたドレスや装飾品を売りに出した。


 看守を買収するくらいには事足りた。エリミーナは世間知らずで買収の相場はわからなかった。それでも彼の命のためならば、周りにあるすべてのものが無くなっても構わないと思っていた。


 看守はいなくなり、エリミーナとヴァルディスだけになった。


 エリミーナはずっと俯いていた。今更ながら、ヴァルディスに会うのが怖くなっていた。


 鉄格子を隔てた先で、小さなうめき声が聞こえてきた。


 ヴァルディスは今、死の淵に立っている。


 噂によれば、ヴァルディスは罪を認めようとはせず、過度な拷問を受けているという。


 国の法律では、罪人であっても、拷問は禁止されている。それにもかかわらず、王太子の恨みが強いのか、ヴァルディスには適用されていない。


 エリミーナは逃げるためにここに来たのではない。ヴァルディスを救うためにここに来た。その気持ちに揺るぎはない。


 エリミーナは意を決して顔を上げる。薄暗い場所へと、手燭を向ける。


 少し下げてみると、鉄格子の向こうには枷で両手を拘束された男がうつ伏せになっていた。


 頬を地面につけたまま、浅い息を繰り返している。眩しさに気づかないほど左目は潰れて、赤い血が地面にしたたっている。


 服も引き千切れ、布切れになっている。その隙間からは痛々しいほどの傷が見えた。


 いつも背筋が伸びて、前だけを向いて歩く人だった。おかげでエリミーナのことは見えていないようだったが、気高いヴァルディスは憧れだった。


 子供の頃からずっと恋慕を抱いていた。そのヴァルディスがこのような姿になるとは、見るに堪えなかった。力が抜けて、しゃがみこんだ。


「そ、んな、ヴァルディス様」

「う……うう」


 声すらまともに出せないのだろう。それでもヴァルディスは体を地面に擦り付けるように動かして、エリミーナの元にゆっくり近寄ってきた。


 エリミーナは手燭を足元に置く。鉄格子の隙間から、皮と骨だけになった頬に手を添えた。


 枷に繋がれた両手が震えながら前に出される。手の爪も剥がれていて、血が浮かんでいる。それだけで己も痛めつけられたかのように苦しい。


「私は、あなたを助けに来ました」


 そうは言っても、ヴァルディスがすんなりと応じないのはわかっていた。それでも信じてもらわなければならない。


「これを」


 エリミーナは名残惜しくも頬から手を離すと、大胆にドレスの裾をめくった。太腿に着けたベルトに縦長の嚢がついている。そこから金色の短剣を引き抜くと、ヴァルディスの前に滑らせた。


「どうか、この剣を己の心臓に突き立てるのです。お願いです。私を信じて。あなたを救いたいの」


 足音が聞こえてきて、短剣をヴァルディスの体の下に隠した。すぐに看守と王太子が現れた。エリミーナは気丈に立ち上がって、ヴァルディスをかばうように向き直った。


「エリミーナ!」


 王太子の声には怒りが滲む。エリミーナの腕を乱暴に取った。


「お前はここで何をしている? まさか、そいつに慈悲でも与えているんじゃないだろうな」

「そ、そんなことはありません」


 王太子はエリミーナの答えを鼻で笑う。


「どうだかな。お前は嘘ばかり吐く。夫になるはずだった男も、親友さえも、簡単に見捨てる。今頃、親友のフィオラは修道院で寂しくしているだろうよ。彼女を苦痛から解放できるのはこの俺だ。なあ、そうだろう?」


 鉄格子に手をかけて、王太子はわざと揺らした。ヴァルディスを見下ろすと、満足そうに笑みを浮かべた。

 

「愉快だな。ようやくすり寄ったはずのこの男も罪人に堕ちた。王太子妃候補だったお前がこんなにも堕ちるとはな」


 エリミーナは人生で二度、婚約破棄をされている。一度目はこの王太子のせいだった。


 公爵家の令嬢を裏切ったという醜聞は、王族に泥を塗ったも同じだった。一時は王太子の地位さえも危うくなった。


 愛する女との縁も切られて、その時は発狂したらしい。


 恨みを己に都合よく、宰相やエリミーナに集約させた。王太子は乱暴にエリミーナの顎を掴む。首を振って避けようとしても、力で無理矢理に抑えつけた。


「そんなお前にいい縁談があるらしい。歳はお前の父親くらいか、なかなかの金持ちだそうだ。お前は権力と金が好きだからな!」


 非難めいたうめき声がすると、王太子は鉄格子の外から冷酷な笑みを浮かべた。


「宰相、いや、ただの罪人だったな。苦しみながら、そこで死ぬがいい!」


 王太子は捨て台詞を吐くと、エリミーナの腕を乱暴に取った。もはや目的は果たした。抵抗する意味はない。


 エリミーナは大人しく王太子に従って歩く。


 どうか、ヴァルディスが救われるようにと。その願いを胸に、牢獄を後にした。


 程なくして、ヴァルディスの訃報を聞いた。その頃、エリミーナは輿入れ先にいた。


 エリミーナにとって幸運だったのは、その時には彼女の身体は病に侵されていたことだ。男との閨に耐えられるほどの身体ではなかった。


 程なくして、牢獄のヴァルディスのようにやせ細り、寝台から起き上がれなくなった。


 エリミーナは齢二十二歳という若さでこの世を去った。


 ふたりはそれぞれ別の場所で、死にゆく運命だった――。

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