34.秘伝をしまっておく
冷たい風が洞窟の入口を吹き抜け、初冬の山林の湿った息を運んできた。空は鉛色に覆われ、まるで天が息を潜めて、武林の運命を密かに書き換える者の足音を見守っているかのようだ──天龍。
彼は一歩一歩確実に、三年間隠遁していた秘密の山洞へと戻っていった。そこは彼が修行し、創造し、すべての武学を自らのものとして変えていった場所だ。
いくつかの炭火が燻る中、火の光が苔むした岩壁に反射し、18歳の少年の姿を映し出した。しかし、その瞳は年齢を遥かに超えていた。その深い瞳の中には、彼が自らの命を賭けて書き上げた血と汗の頁が広がっていた。
洞窟の奥深く、三度の曲がり角と隠された魔法陣の壁を越えた先に、最も秘密の場所があった──『玄心の石室』。
彼は身を屈め、大きな石をそっと引き、下に隠された黒光りする石の引き出しを取り出した。それは『虚無七玄陣』によって封印されており、この術を解けるのは彼だけだ。引き出しのすべてには精巧な機械式の鍵がついており、その中には天龍自身の血によって封印された符が配置されていて、彼の真気と共鳴することで主人を認識する。
> 「他の者が触れれば…その身体は瞬時に焼き尽くされるだろう。」
天龍は冷ややかな笑みを浮かべ、その目はまるで鞘から抜かれた刀のように鋭く輝いた。
不滅の武学書が一冊一冊、彼の手のひらで大切に保管されていた──『乾坤大羅掌』、『五極化無』、さらには『八卦残魂剣』、『神行超影歩』、そして彼自身の究極の武学『至高不滅心法』まで、それぞれが別々の引き出しに慎重に収められていた。
各書は貴重な獣皮で包まれ、表面には指で刻んだ小さな符号があり、正しい真気を流すと、自動的に文字が現れ、まるで生きているかのように動き出す。
天龍は『至高不滅心法』の表紙を軽く撫で、その瞳は深く沈んだ。
> 「三年間、血を流し、三年間、苦行し、三年間、道を悟った…すべてはこの一冊に込められている。」
> 「これは、世間のためではなく…私の夢を継ぐ者のためだ。」
彼は目を閉じ、空間の息吹を聞き、虎皮で縫った自分の衣を通り抜ける冷たい風を感じた。その瞬間、時が止まったように感じられた。
そして、過去の記憶が突然蘇った──かつて彼が武林をさまよい、数多の命を賭けてこれらの秘伝を手に入れ、幾度も死線を越え、無上の知識を得るために流した血と命の代償。
今、その秘伝は彼の心の中に宝のように保管されている。決して自己中心的なわけではなく、武道を守る意志からだ。
> 「もし愚かな者がそれを手に入れたら…それは武林の根幹を切り裂く刃となるだろう。」
> 「私は後継者を必要としない。」-彼は静かに言った-「ただ一人…ただ一人でいい…道心を持ち、勇気を持ち、痛みを知る者がいれば。」
石が閉まる音が洞窟内に響き、引き出しはすぐに純粋な氷霧で覆われた──これは時を封じる封印であり、その中の秘伝はまるで書かれたばかりのようにそのまま保たれる。
彼は石室を後にして洞窟の入り口に立ち、冷たい冬の日差しがその厳かな顔を照らした。
> 「秘伝はしまった。武道…その基盤は整った。」 「今こそ、私は頂点へと踏み出す時だ。」
彼は後ろを振り返ることなく進んでいった。彼にとって、必要なものはすべて心の中、血の中、そしてその呼吸の中にあったからだ。
そして、天龍──全ての武学を手にした者──はその無上の力を闇の中に隠し、光が本当にふさわしい者に届くように選んだ。
冷たい洞窟の中、風が静かに吹き抜け、天龍の頬を優しく撫でる。彼は深い思索に沈み、石の引き出しの前で立ち止まり、それらの秘伝を見つめた。その一冊一冊が時代を、命を、武道を包み込んでいた。
彼は急いでそれらをしまうことなく、その場に座り、足を組み、指で引き出しの亀裂をそっと撫でた──まるで生きている存在に触れるかのように。
> 「どれだけの血が流れたか…どれだけの命が落ちたか…ただ、私がこれらに触れるためだけに。」 「なのに今、私はそれを世間から隠している。」
その言葉に、彼の口元から小さな笑いがこぼれた。それは傲慢でも、悲しみでもなく、地獄を手にしていた者が、それを虚無のように放り投げる笑いだった。
> 「昔…私は思った。最強の武功を持っている者こそが頂点だと。しかし…今、私は知った。どんなに名剣を持っていても、英雄にはなれない。」
彼の目は穏やかになり、『乾坤太極倒化経』のページに目を落とした。この書は数百人の高手たちが争い、十死一生の戦いを繰り広げた『十死峡』で流れた血の中で手に入れたものだ。
> 「この部分は…」-天龍は囁きながら、軽く数ページをめくった-「...私は三箇所修正した。第十二招、まず「位倦穴」を逆転させ、それから真気を「任脈」に流すべきだ。さもなければ、火炎症で気が乱れる。」
彼は座ったまま、まるで秘伝と会話しているかのようだった。そのページはまるで弟子で、彼はその武道を教える師匠のように語っていた。
> 「誰がこれを全て理解できるだろうか?何人が正しく一歩一歩を修練することができるだろうか?」 「私は一つの言葉を間違えただけで命を落としかけ、三日三晩、真気が暴走して狂いそうになった。」
彼の声が静まり、その目に静かな痛みが一瞬浮かんだ。しかし、彼は小さく首を振り、それを払いのけるように。
彼はゆっくりと立ち上がり、その声はまるで天と地に刻まれた宣言のように響いた。
> 「これらの秘伝は…宝ではなく、刃である。」 「心が不安定で、手が汚れている者が触れるなら…結果は一つ、武学に呑み込まれるだけだ。」
彼の手が引き出しの表面に置かれ、柔らかながら深い真気が流れ込んだ。すると、引き出しが一斉に光り、岩に刻まれた符が浮かび上がり、龍と鳳が絡み合い、内部を解けぬ力で封じ込めた。
> 「私はそれを隠しているわけではない。」 「私は…この世にふさわしい者が現れるまで、ただ待つ。」
白い霧が岩の隙間から広がり、永遠に閉じ込められた秘伝を千年、万年封じ込めたかのようだった。
> 「しかし…」-彼は立ち止まり、目を深く沈ませ-「...もしいつの日か、ただ一人でも、名誉も権力も命も捨て、武道のためにすべてを捧げる者が現れたなら…」
> 「...私はその者に、すべてを託す。何一つ残さず。」
静寂。
風は依然として洞窟を吹き抜け、冷たい岩の隙間を通り抜けて、孤独な虎皮の衣を纏った天龍の姿を包み込んでいった。
天龍は振り返ることなく歩みを進めた。だが、彼が歩む一歩一歩には、地面が震えるかのように感じられた。
> 「隠すことは…否定ではない。」 「それはただ…待つことだ──待つ、ただ一人…この世にふさわしい後継者が現れる日を。」
夕暮れ時、太陽が灰色の雲の背後に隠れる。天龍は、山洞の前の高い崖の端に立ち、風に吹かれて虎皮の外套が戦旗のように揺れた。その外套は、数多の戦いをくぐり抜けてきたものだった。
彼は顔を上げ、冷たい光を放つ目で遠くを見つめた。
> 「さようなら、洞窟。」 「今こそ、現在の武林がどうなっているかを見てみよう。」
一歩踏み出し、強く地面を蹴ると、彼の体は雷のように空高く飛び上がり、巨大な気の波が広がり、岩を砕き、大地がひび割れた。天龍は空を駆け抜け、煙のように薄く、夕空を横切る姿はまるで幽霊のようだった。
高い空から、彼の目は雲を貫き、下に広がる中原の武林が徐々に明らかになるのを見つめた。
> 「玉女派…まだ山壁に灯りが点いている。」 「風雲邦…まるで蟻の巣のように人が多いな。あの連中は、相変わらず集まりたがって、自慢したがっている。」 「寒雲門…おお、新たに雪の殿堂を建てたか。あの武林の小姫たちは、また華やかな儀式を始めるのだろうな。」
彼は低く飛び、少し回りながら、かつて多くの戦が繰り広げられた少林山の空を舞った。金箔で覆われた仏像や、寺の屋根が、揺れる光を反射していた。
> 「天師少林…今でも、かつて俺と戦った者がどれほど残っているのだろうか?」 「禅法主…まだ死んでいないのか?残念だ。」
その声が空に響き、山の麓にいる小僧たちは空を見上げて、驚きと恐怖に包まれた。
天龍はさらに飛び、今度は北方の草原を横切った。そこはかつて「八部天将陣」の伝説があった場所。しかし今や、そこに広がるのは無限に広がる草原だけだった。
> 「ここは…かつて俺一人で七大高僧と三十六の護法を打ち倒した戦場だ。」 「風に吹かれて、骨が砕ける音が今も耳に残っている…」
突然、風が吹き、北の雪の香りが天龍を包んだ。彼は空中で止まり、まるで神のように降臨し、目を閉じた。
一つの記憶が蘇る――かつて若かった頃、道を学びに行き、秘伝を求め、師匠の前で膝をついて、指先を血が滲むほどに武技を写していたあの時期。今や、彼はすべてを見下ろす位置に立ち、まるで天の頂に立っているようだった。
> 「武林は変わった。」 「だが、俺は俺だ。」
彼はふっと目を上げ、視線を遠くの林安の塔に止めた。そこには、かつて誓った思い出がある。眉がわずかにひそめられた。
> 「林安…俺が最初に誓った場所。最強になると。」 「今振り返ると、その誓いは…本当に幼かったな。」
彼は軽く袖を振り、風のように山々を越え、過去の戦いの咆哮が響く土地を飛び去った。どこへ行っても、そこには交錯する感情があった――悲しみ、怒り、軽蔑、懐かしさ、時には冷たい孤独感も。
彼は地面に降りなかった。誰にも姿を見せることはなかった。
> 「ただ…一回りしてきただけだ。」 「今は武林をかき乱す必要はない。」
空は徐々に夜に変わり、最初の星が輝きを放った。
彼は荒れた崖に降り立ち、風は衣の端を揺らし続けていた。彼は軽く衣の裾を握り、南の方を見た。そこには、依然として暗闇の中で静かに存在する「冥天宗」の影があった。
> 「あの四人には…まだ会っていない。」 「彼らは…俺を覚えているだろうか?」
風は冷たく鳴り響きながら答えた。天龍はゆっくりと首を振り、意味深に微笑み、そして振り向いて闇の中に消えた。洞窟へ帰る準備を整える。
彼は数十の山を越え、最終的に玉女派のある「玉華山」近くの崖に降り立った。月光が彼の長い髪を照らし、北から吹くそよ風が虎皮の衣を揺らし、彼の目は少し悪戯っぽく輝いていた。
> 「久しぶりだな…あの小さな仙女たちが昔と変わらないか見てみよう。」
古木の上から、彼は身を縮め、煙のように軽やかに屋根に飛び降り、そこで禅の浴場に入っている女弟子たちを見つけた。水の音、透明な笑い声が湯気の中に響いていた。
天龍は虎皮のマスクを取り出し、顔の半分を覆って、獰猛な獣のように目を細めた。屋根の下、玉女派の弟子たちがそれぞれ水を浴びたり、静かに内力を練ったりしているのを見た。どの顔も春風に揺れる桃の花のように美しく、清らかだった。
> 「おお、なんて魅力的な光景だ…」
伝説の軽功を駆使して、天龍は音も立てずに降りてきた。彼は一瞬で通り過ぎ、手を空中に滑らせるように動かし、空気に冷たい異様な感触を残した。数人の女性は思わず体を震わせた。
> 「あ!冷たい風が…温泉にいると思ったのに?」
> 「誰か…触ったのかしら?!」
一人の女性が赤面して慌てて周囲を見回し、心臓がドキドキしていた。誰もが警戒の姿勢を取ったが、すでにその姿は消えていた。
天龍は柱の後ろで静かに笑みを浮かべ、手で口元を隠した。
> 「軽く触っただけで、あの子たちはまるで草を踏んだ小鹿のようだ。」
彼は長くは留まらなかった。少し楽しんだが、天龍は下衆な人物ではない。これもまた、長年の苦しみの中で少しだけ楽しむための遊びに過ぎなかった。
女弟子たちがまだ疑っているうちに、天龍は空高く舞い上がり、その姿は月明かりの中でぼんやりと光を残しながら消えていった。手の中で、虎皮のマスクはすぐに外され、きちんと畳まれていた。
> 「十分だ…からかうだけでいい、修行に戻ろう。」
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遠くの地平線に雷光が瞬き、風が優しく吹いている。その遠くから、玉女派の間で囁かれる噂が広がり始めた。
> 「何か見たか?」 「誰かがここに隠れていた、まるで鬼のように速く…」 「普通の人間ではないな。武功…少なくとも天才の域だ。」
夜の帳が降り、そよ風が松の木の枝を揺らし、まるで自然の囁きのように聞こえた。天竜は静かに山の洞窟の入り口に降り立ち、数年の間、隠遁してきた場所の一つ一つの石や木々を見つめながら、しばらく立ち尽くしていた。
虎皮のマントがほんのりと揺れ、彼は遠くを見つめながら、ふと、何故か山々の壮大な景色ではなく、先程の湯気の中に浮かんでいた「天女」の姿を思い浮かべた。白く輝く頬、湯気に包まれてほんのりと赤くなった肌、春の桂花のような香りが漂う息…。
> 「く…ほっ、柔らかいな…」
天竜は鼻を鳴らし、目に怪しげな光が走った。彼は左手を上げ、その手はかつて万軍を打ち破り、強者を打ち倒した手だが、今はその指先をわずかに嗅いで、残った香りを探すようにしていた。
> 「うーん…まだ香りが残っているな…やっぱり三番目の胸は格別に柔らかいな…」
突然、彼は眉をひそめ、まるで気を失ったかのように真っ直ぐに立ち上がった。
> 「待てよ…俺、何をしているんだ?なんでこんなことを…?」
冷たい風が首元を通り過ぎ、思わず肩をすくめた。まるで天が彼に警告しているようだった—自分が少し…行き過ぎていることを。
> 「いや…いや、これは遅すぎた思春期だよな。そうだ、三年も女性に触れなかったんだし、これは普通だよな?」
彼は自分で胸を叩きながら、奇妙な考えを振り払おうとした。しかし、目の中にはまだ少し恥ずかしさと自己弁解が混じっていた。
> 「俺は天竜だぞ…武林の覇者、まさか…こんな色気のあるふらふらした奴になってしまうのか?」
彼は洞窟に足を踏み入れ、真面目な顔を作ろうとしたが、足取りが早く、まるで自分の思考から逃げ出したいかのようだった。
暗闇の中、笑い声がひっそりと響き渡る—半分は自嘲、半分はどんなに天下無敵であっても、時には人間らしい感情を避けられないという現実を受け入れているような声。
天竜は洞窟の中に立ち、月光が半分の顔を照らす。突然、彼は不意に笑い出した。まるで奇妙なことを思い出したかのように。
> 「はは…なんだこれ…俺、いったい何をしているんだろう…?間違えて触ったのか、それとも本当に触ったのかもわからん!」
叫び声、驚いた目、そしてお風呂の蒸気がふわりと立ち込める記憶が、まだ彼の頭の中に再現されている。武学の天道に手を伸ばした高人であっても、あの瞬間だけは顔が赤くなってしまった。
> 「柔らかい…でも、しっかりしてるな…うわ、ダメだ!何かおかしくなってきたな…まさか月の光で春薬にでもかかったのか!?」
彼はぼそぼそと呟きながら、軽く自分の顔を叩いて、元の理性を取り戻そうとした。しかし、耐えられず、思わずニヤリと笑ってしまった。その笑顔はまるで「頭が変になった」というレベルのものだった。
> 「まぁ、ちょっと遊んだだけだよな。結局、証拠も残らないし…もし覚えてたら…それはそれで困るけどな。」
天竜は地面に座り込むと、先ほど触った手をさすりながら、まるで記憶を失ったかのように呟いた。
> 「もしかしたらやりすぎたかな?でも…大したことないさ、ただの遊びだよな…」
とはいえ、心の中には何か異常な感覚が湧き上がり、少し心地よくもあり、また少し不安でもあった。彼は恥じらいを知らぬわけではないが、時々思う—なぜ自分の突発的な行動がこんなにも強い感情を引き起こしてしまうのか。
> 「たぶん、若さだな、いや、俺が成長したわけじゃない。力がありすぎて、ちょっとおかしくなっただけだ。」
天竜は自分を慰めるように呟き、顔にはまだ少し恥ずかしさが残っていた。
彼は立ち上がり、肩を一度大きく伸ばして、胸の重さを取り払うようにした。遠くの森を鋭い目で一瞥し、天竜は知っていた。今、この瞬間、敵が近づいているかもしれないと。彼は素早く気を引き締めた。
> 「よし、それなら大丈夫だ。くだらないことで俺の目的を邪魔させるつもりはない。」
自信に満ちた笑顔を浮かべて、広大な空間を見渡し、心の中で新たな決意が湧き上がった。
> 「武林には試練が必要だ。そして、最強の者に与えられる地位が必要だ。そして、俺がその者になる。力だけじゃなく、俺のスタイルで。」
彼は洞窟を出て、決意に満ちた心を抱き、ためらいや疑念を振り払った。そして、いつものように、天竜は堂々とした足取りで進んでいく。再び、彼の目は広大な地平線に向けられていた。その先には、新たな試練が待っていた。
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(第34章 終わり)




