Episode 182
小さな木の家でのパーティーが終わって、俺はカエラ・ヴェイラを背負って丘の頂上まで登った――
ここは地元の連中が「貧乏と金持ちの境目」って呼んでる場所だ。
最初は冗談みたいに聞こえるけど、実はそのまんま。
丘の片側にはボロボロの藁屋根が並んでて、もう片側――ほんの数歩先には真っ白な壁と鉄の門を持つ豪邸、
光り輝くランプ、プライベートジェットが行き来する世界。
一人がやっと通れる細い道が、まるで二つの世界を真っ二つに割ってた。
俺はカエラを背中に背負い、一歩ずつゆっくり進んだ。
息が重い。胸が石で押しつぶされるみたいに苦しい。
足もガクガク震えてた。
無理もない――今の俺は封印されて、神の力を全部抜かれたただの人間の肉体だからな。
でも、この疲れが……逆に俺に教えてくれた。
「強くないこと」って、案外大事な学びかもしれないって。
頂上に着くと、カエラは息を呑んだ。
空は透き通って、星はダイヤみたいに光ってる。
その光が、あいつの真っ黒な瞳に反射して、二滴の水みたいに揺らめいてた。
俺は彼女を降ろして、二人で冷たい岩の上に座り、遠くの街を見下ろした。
先に口を開いたのは、カエラだった。
その声は子どもっぽいのに、どこか不思議な深さがあった。
「ねぇ……ここに男の人に背負ってもらって登ってきたの、初めてなんだよ。
小さいころ、ずっと高いところから世界を見てみたいって夢見てたのに……誰も連れてってくれなかったの。」
俺は軽く笑った。夜風は冷たく刺すようだ。
カエラが震えたから、俺はコートを脱いで彼女の肩にかけてやり、そっと言った。
「寒いだろ? これ着てな。」
カエラはびくっとして、慌ててコートの裾を握りしめ、つぶやいた。
「でも、あなたは? 寒くないの?」
俺は無理して笑い、ちょっと冗談めかして言う。
「もちろん寒いさ。でも我慢できる。知ってるだろ? 俺、強いんだから。」
そう言いながら、胸の奥で苦味が広がる。
強い? この身体なんて、強い風ひとつで倒れるのに。
でも、せめてこの子には「安心」を残してやりたかった――俺自身、もう何度も失ってしまったものだから。
カエラはしばらく黙って、それから俯いて、小さな声で言った。
「ディエト・ニャン……私ね、本当に自分が嫌になる時がある。
夜、もう死んじゃいたいって思うことだってある。
ずっと“化け物”みたいに見られてきたから。
おじいちゃんが話したんでしょ、去年の学校のこと。」
俺は小さくうなずく。
「あぁ、聞いた。でも、君の口から聞きたい。」
カエラは唇を噛んで、俺のコートをぎゅっと掴んだ。
声が震えてる。
「いじめられてた。ノートを破られ、弁当をひっくり返され、
“厄病神”って言われ続けた。
ずっと我慢してたけど……ある日、あいつらの一人が私の髪をつかんで、
頭を地面に押し付けて“ご主人様”って呼べって……
その瞬間、“ブツッ”って音がして、誰か別のものが私の中で目を覚ましたみたいだった。
視界がぼやけて、真っ白になって……
気がついたら、そいつが倒れてて、耳から血を流してた。
それからずっと学校中で“ちっちゃい化け物”って呼ばれて、
両親もバカにされ、訴えられて……最後には火事で死んだの。」
彼女は言葉を止め、肩を震わせた。
喉の奥で押し殺した嗚咽が聞こえる。
俺は何も言わず、そっと彼女の頭に手を置き、肩に寄り添わせた。
「知ってるよ……」俺は低く言った。
「君はそんな目にあうべきじゃなかった。
人は理解できないものを恐れて、憎しみに変える。
でも君の力は罪じゃない。それも君の一部なんだ。」
カエラは泣きながら、途切れ途切れに聞いてくる。
「でも、なんで……なんであなたは私に優しくしてくれるの?
みんな私を嫌ってるのに。
私なんて特別じゃない、迷惑しかかけないのに……」
そう言って、俺の服をつかむ手は離れない。
まるで俺までいなくなるのが怖いみたいに。
俺は彼女の肩に手を置いて、静かに言った。
「落ち着いて、大丈夫だ。
君はもうひとりじゃない。これからは俺がいる。
命をかけても君を守るって約束する。
自分を責めるな、いいな?
君を見てると、胸が痛くなる。」
カエラはまだ泣いていたけど、その涙はもう恐怖のものじゃなく、
少しずつ詰まっていたものが流れ出ていくみたいだった。
俺はゆっくり、ひとつひとつの言葉を彼女の胸の結び目をほどくように言う。
「君には弱くなる権利も、怖がる権利もある。
でも自分の力を否定するな。
それは誰かを傷つけるために生まれたんじゃない。
ただ、まだ使い方を知らないだけだ。
望むなら、俺が教えるよ。
戦うためじゃなく、生き抜くために。
誰にも君を傷つけさせないために。」
カエラは俺を見つめる。
まだ涙で濡れた瞳の奥に、小さな光が宿っていた。
「あなた……本当にここにいてくれる?
もう行かないの?」
俺は微笑んで、彼女の頭を軽く撫でた。
「俺はこれまで、たくさんの人や世界を置いてきて、そのたびに代償を払った。
もう疲れたよ。
だから今度は、ここで少し止まりたいんだ。
君のそばで、この場所で。」
カエラは小さくうなずき、涙を流しながらも笑った。
風が吹き、彼女の髪をさらっていく。
俺は彼女の肩を軽く抱いて、自分の胸に寄せた。
空の上では、流れ星がうっすらと光の筋を描く。
俺は知っていた――この瞬間が、俺と彼女にとって、
古い痛みと新しい始まりの境目なんだって。
俺はいまだに丘の上にいた。
銀の月光が肩に落ちて、まるで割れた鏡のかけらみたいに冷たい。
カエラは隣にちょこんと身を寄せ、俺が渡した古びたマントにくるまっている。
さっきのチョコレートケーキの匂いがまだ鼻先に漂っていて、甘くて、どこか思い出が咲いた途端に散ったような、そんな切ない香りだった。
何か言って沈黙を破ろうとしたその時、
地面が揺れた。
雷が落ちたみたいなドンという音。
足元の土がはじけ飛ぶ。
考える暇もなく、本能でカエラを押し倒してかばった。
スラム全体が呑み込まれていた。
犬の鳴き声も、炭火の匂いも、もうない。
あるのは、ただ夜の真ん中にぽっかり開いた巨大な穴――
黒々とした怪物の口が開いているような空白だけ。
「離れろ!」俺は叫んで、カエラを崖の縁から引きはがした。
彼女はガタガタ震え、涙目で言う。
「なに…今の何? うち…おじいちゃんの家…どこ行ったの?」
俺は喉を鳴らして、必死に落ち着こうとした。
「地震じゃない。ここ天火帝国には“自然”なんてものは存在しない……これは“廃棄層の掃除”だ。奴らは“ゴミ掃除”って呼んでる。」
カエラの目が丸くなる。声が震えている。
「ゴミ…掃除? でも…あれ、うちの家だよ! 人が住んでるのに!」
俺は黒い穴を見つめた。下から吹き上げる冷気が肌を痺れさせる。
「聞け、カエラ。この国は、最上層に“純粋な元素エネルギー”で生きる貴族と強者どもが住んでる。
その下は……ただのゴミ捨て場だ。不要になったもの、廃材、有毒ガス、そして人間まで。」
深く息を吸い、重い声で言った。
「君とおじいちゃんが住んでたのは、巨大な埋め立て場の中だった。今、奴らはそれを“掃除”しただけだ。」
カエラはしゃくり上げ、涙をぼたぼた落とす。
「じゃあ……おじいちゃんは……生き埋めになったの?」
俺は答えなかった。言葉にすれば、もっと痛くなるだけだから。
その沈黙が、逆に彼女の瞳の奥に火を注いだ。
カエラの全身が光り始める――青い光がまぶしく弾けた。
風が巻き起こり、砂塵が渦を描く。
俺は一歩下がる。圧力が一気に跳ね上がっていた。
「ちくしょう……」俺は呟いた。「半覚醒の神体エネルギーか……」
そして彼女は叫んだ。もう人間の声じゃない、魂の奥底から響いてくるような声だった。
「どうして……どうして世界はいつも私から全部奪うの!」
彼女の手から光が噴き出し、透き通った剣が形成された。
俺が口を開くより早く、その刃先は俺の心臓に向かっていた。
「カエラ! 俺だ、ディエト・ニャンだ! 落ち着け!」
「黙れ!」雷鳴のような声。
「お前もあいつらと同じだ! お前もおじいちゃんを奪いに来た!」
俺は一歩退き、斬撃を避けた。
刃が頬をかすめ、焼けるように痛い。
背後の壁が爆ぜ、瓦礫が飛び散る。
歯を食いしばる。
子ども一人にして、この力……未熟な神体だと?
彼女は腕を掲げ、光の弓を作り出す。
矢のようなエネルギーが連射され、俺は跳ね、転がり、丘を登りながら必死にかわす。
「聞けカエラ!」俺は煙の中で叫ぶ。
「その力は君のものじゃない! それは遺伝子に刻まれた元素形態で、君の身体はまだ制御できない!
このまま解放したら、君の身体が爆発する!」
「うるさい!」カエラは目を光らせて叫ぶ。
「それでもいい! こんな腐った世界で生きたくない!」
その言葉に胸が痛む。
「俺も……同じことを考えたことがある。仲間も家も家族も全部失って、死にたくてたまらなかった。
でもな、ある奴が俺に言ったんだ。“底まで落ちたら、生きること自体が復讐になる”って。
だから俺は今まで生きてきた。この世界を変えるためにな。」
俺は飛び込み、背後から彼女の両腕をつかんだ。
彼女の肌は真っ赤に焼けた金属みたいに熱い。
エネルギーが俺の腕を焼くけど、それでも離さなかった。
「おじいちゃんを助けたいなら、生きろ! 君が死んだら、誰が探しに行く!」
彼女はもがき、涙が光と混じって顔を流れる。
「嘘だ! おじいちゃん死んだ! 見たもん!」
「いや、俺は嘘つかない。ディエト・ニャンの名にかけて誓う――必ず探し出す。
だから信じろ! 地獄の底を生き延びた俺を信じろ! 今はそれしかない!」
光が揺らいだ。
俺の手首のネクサスター二ティ・リングが光る――銀青色、糸のように細いが決して切れない。
前世から持ってきた、俺の原初の霊力を封じたものだ。
「聞けカエラ……」俺はそっと彼女の額に自分の額を当てた。
「このエネルギーは俺のものだ。君に貸す。身体を安定させるために。
その代わり、約束してくれ――この力を自分を壊すために使わないって。」
彼女は震え、そして小さく息を吐いた。
光が柔らかくなり、消えていく。
カエラの身体がふっと力を失い、俺の腕の中で気を失った。
その瞬間、地面がまた崩れた。
俺は迷う暇もなくカエラを抱きしめ、ネクサスター二ティのシールドを展開する。
二人は闇の中へ落ちていった。
風が顔を叩き、氷のように冷たい。
下には巨大な都市の光――天火帝国の最下層テラク。
金属とゴミと人間が混ざり合う場所。
俺は見下ろし、苦笑した。
「はは……この国は変わらねぇな。どの層も地獄、ただ明るさが違うだけ。」
俺はカエラを強く抱きしめ、呟く。
「死ぬなよ、カエラ。俺はもう二度と誰も生き埋めにしないって約束したんだ。」
二人でガラスの屋根を突き破り、ホテルの部屋に落ちた。
男女の悲鳴が響く。
俺は血を垂らしながらよろよろと立ち上がり、かすれ声で言う。
「悪いな……事故だ。気にしないでくれ。」
そのまま倒れ、意識を失った。
薄れる中で、女の声が耳に入る。
「ねぇ……見た? あの背中から光の翼が……」
男の声が震える。
「黙れ。あれは神体だ。俺たち凡人が口にしていいものじゃない。さっさと部屋を空けろ……」
そしてすべてが暗くなる。
闇の中、俺はただ思った。
「天火帝国……魔術とテクノロジーが溶け合った地獄。
まだまだ、直すべきことが山ほどあるらしいな。」
この章は少し短いようですが、生活のためにまだお金を稼ぐために外出しなければならないことをご理解ください。ストーリーの公開頻度が不定期であるため、遅れが生じています 相互作用が失われました。
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