17.天龍、玉女派に潜入── その野望は、禁断の果実を咲かせることだった…?
春風がそよそよと吹き、白雲が瑠璃色の空にゆったりと漂っていた。
雲嶺山脈の奥深くへと続く石畳の小道には、ひとりの白衣の人影が静かに歩みを進めていた。
白い衣が風に舞い、裾は地面すれすれをかすめて、まるで霞のような薄い埃を後に残していく。
彼の右手には《奪木天剣》が軽く握られていた。まだ鞘から抜かれていないが、柄から放たれる冷気だけで、周囲の空気がいくらか重くなったように感じられた。
天龍——少林寺を破壊的な力で揺るがしながら去った彼は、今、新たなる地へと足を踏み入れようとしていた。
その名は——玉女派。
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ドォンッ!!!
遠くから爆音が空に響き渡り、山道の上から白い砂塵が舞い上がった。
天龍は立ち止まり、
冬の氷湖のように冷たい瞳を細める。
一瞬、殺気がその眼に閃き、そして消えた。
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> 「ほう……まだ一歩も踏み入れていないのに、歓迎の出迎えか?」
その声は、風のように軽やかでありながら、心の奥まで凍てつかせる冷たさを孕んでいた。
その直後——前方から鋭い叫び声が響いた。
> 「玉女派の弟子たちよ! 奴らを関所に入らせるな! 構えっ!!」
シャッ! シャッ! シャッ!
十数人の白衣の娘たちが、燕のように竹林から飛び出してきた。
彼女たちの手には剣、弓、鞭、短剣など、優雅ながらも鋭い武器が握られ、
その足取りは風の中に咲く白蓮の花のように確かで美しかった。
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だが、その彼女たちの前に立ちはだかっていたのは、二十人以上の黒衣の男たちだった。
全身を覆い、野獣のような獰猛な目だけが覗く。
彼らは邪悪な内功を纏い、不気味な身法と常識外れの技で、相手の急所を狙って襲いかかっていた。
「殺意…すべての技が殺しの一撃だ!」
天龍は静かに観察し、その瞳に疑念が宿った。
> 「どうして…こんな邪悪な武学が、玉女派の近くに現れるのか?」
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先頭に立つ一人の女弟子——しなやかな姿にして威厳を纏い、三尺を超える長剣を手に、三人の黒衣の男たちと巧みに戦っていた。
囲まれながらも、彼女は決して怯まず冷静だった。
シュン!
彼女の剣が弧を描き、開花する蓮のように回転しながら三人を後退させた。
彼女は叱りつけるように叫んだ。
> 「玉女派に足を踏み入れるとは何事! ここは男の禁地と知らぬか!」
一人の黒衣の男が下品に笑った。
> 「禁地? ハハハ! 今日は誰が俺たちを止められるってんだ!」
ドォンッ!!!
彼は内力を込め、漆黒の掌を振りかざした。
凍てつくような陰の気を伴い、まっすぐに彼女へと襲いかかる!
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シャッ!!
その衝撃波が彼女の髪を掠め、数本の髪が風に舞う。
避けきったものの、彼女の顔色は蒼白になっていた——
内力が尽きかけていたのだ。
「まさか……今日、ここで命を落とすのか……」
その瞳には、一瞬の絶望がよぎった。
だがその時——
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ヒュン!
斜面の向こうから白い影が疾風のごとく飛来した。
あまりの速さに誰もその姿を認識できなかった。
ただ一つ、さっき掌を放った黒衣の男が、見えぬ力に打たれて十数丈も吹き飛ばされ、地に叩きつけられて失神したのが見えただけだった。
ドサッ...!
砂塵が静まり、
一人の白衣の青年が、彼女の前に立っていた。
風がその衣を揺らし、
まるで仙人が塵世に舞い降りたかのような佇まいだった。
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黒衣の者たちは一斉に動きを止めた。
玉女派の女弟子たちも言葉を失った。
その絶世の美女である彼女も、ただ茫然と白衣の青年を見つめていた。
> 「あなたは……誰……?」
その声は微かに震えていた。
恐れからではない——
胸の奥が、不意に震えたのだ。
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天龍は答えなかった。
ただゆっくりと目を上げた。
その瞳は千年の古玉のように冷たく、
しかし、漆黒の闇を貫く星光のように輝いていた。
彼は黒衣の者たちを一瞥し、唇を動かした。
> 「消えろ。」
たった一言——それは囁きのように軽やかだった。
だが、それはまるで雷鳴のように、全ての者の頭を打ち砕いた。
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ドォンッ!!!
突然、見えざる圧が津波のように放たれ、
黒衣の者たちは皆、一斉に胸が潰されるような重圧に襲われた。
彼らは一瞬たりとも躊躇わず、恐怖に駆られて四方八方に逃げ散った。
> 「あ、あいつは……妖かしなのか……!?」
「敵うわけがない!! 退けぇぇ!!」
一瞬で、そこにはもう敵の姿はなかった。
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風の音が再び穏やかになる。
石畳の道には、まだ呆然と立ち尽くす玉女派の娘たちと、
その中心に静かに佇む白衣の青年の姿があるだけだった。
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彼女はようやく落ち着きを取り戻し、彼の前に歩み寄って頭を下げた。
> 「わ、私……玉女派の弟子、柳情児と申します。ご助力、誠にありがとうございました。
もし差し支えなければ、お名前を……?」
その声は柳の糸のように柔らかく、
わずかに隠しきれぬ胸の高鳴りがこもっていた。
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天龍は、やはり答えなかった。
ただ彼女を一瞥しただけだった。
その瞳には、侮りも、欲望も、距離感もなかった。
ただ——まるで、遥か昔に出逢った誰かを見るかのような、そんなまなざしだった。
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> 「あなたは……」
柳情児が呟いた瞬間、天龍は背を向けて歩き出した。
別れの言葉も、振り返りさえもせず。
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その背中を、彼女はいつまでも見送っていた。
心の奥で、一本の細い糸がふと張りつめた。
「あなたは誰……?
どうして私の心を、こんなにもかき乱すの……」
雲嶺山の中腹、玉女派の山門の前。
空は依然として澄みわたっていたが、陽光にはどこか冷たさが混じっていた。
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玉女派の弟子たちは石門の前に横一列に並び、誰もが緊張した面持ちをしていた。
彼が姉妹たちの命を救ったことは分かっていたが……
彼から放たれる威圧感は、まるで眠りから目覚めた猛龍に相対するかのようだった。
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白い衣に薄青の梅の刺繍を施した姉弟子が一歩進み、高らかに声を上げた。
> 「御仁、その義侠の志、玉女派として深く感謝いたします。しかし——
ここは女人の聖域、男子の立ち入りは一歩たりとも許されませぬ。
どうか、これ以上のご無礼はお控えください。」
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天龍は足を止めた。
その眼差しが一同を見渡し、低く鋭い声が空気を震わせる。
> 「許可を得るために来たのではない。」
> 「欲しいのは——玉女派の秘伝の武学だ。」
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「なっ…なんですって!?」
前に並ぶ弟子たちの表情が一斉に凍りつく!
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ある妹弟子が怒りに震えながら前に出て、目を見開いて叫んだ。
> 「何を言ってるの!? 本派の秘伝書を、よそ者に貸し出すなんてありえない!」
> 「それに…あなたは男! あれは決して外部に漏らしてはならぬ禁書だと知ってるでしょ!?」
別の者が怒声をあげる。
> 「たとえ命を救われようと…今の発言は宗門への侮辱だわ! 今すぐ立ち去りなさい!」
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だが天龍は動じない。
風が白衣を翻し、まるで戦場に舞う白旗のようにひらめいた。
その眼差しは冷たく、空気そのものを凍らせるかのよう。
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> 「“不可能”などという言葉は存在しない。」
> 「渡す気がないというなら——」
> 「この地を、武林の地図から抹消するだけだ。」
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ドォォォォォン!!!
言葉が終わると同時に、天から火の滝が落ちるような気勢が爆発する!
足元の地面が揺れ、小さな血管のような亀裂が石畳を這うように広がっていった!
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女弟子たちは圧倒的な内力に呼吸を奪われ、後ろに数歩下がる者も。顔色は青ざめていた。
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そのとき、白髪の長老が堂内から姿を現し、厳しい眼差しで怒気を帯びて言う。
> 「若いのに、あまりにも傲慢すぎる!」
> 「玉女派は女子のみの門派であれど、脅しに屈したことなど一度もない!」
> 「もう一歩でも近づけば、この老身…容赦はせぬ!」
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天龍はゆっくりとその方に顔を向け、淡々と言い放つ。
> 「脅しているのではない。」
> 「事実を述べているだけだ。」
彼はそっと手を上げた。
構えもなければ、力も込めない——
ただ、手を、上げる。
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パキッ…パキパキッ!
周囲の岩が、まるで内側から見えぬ力に粉砕されるように、次々とひび割れていく!
ドンッ!!!
三丈先の巨大な岩が突如として砕け散り、砂塵が宙を舞った!
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弟子たちは顔をこわばらせながら慌てて後退、恐怖を隠しきれない。
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> 「お前…一体何者だ…っ、妖か魔か…!」
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後方にいた劉情児は、呆然と立ち尽くしていた。
あまりの衝撃に心が大きく揺さぶられる。
彼女の瞳は、その少年を見つめていた。
冷たく、傲然としていて、決して“悪”には見えない——
なのに、どうしてこんなにも抗えぬ力を感じるのか…
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> 「どうして…どうして、我が派の秘伝を求めるの?」
彼女は問いかけた。今度は怒りではなく、純粋な疑問として。
天龍は彼女を見つめ、静かに答える。
> 「天下のすべてを手に入れたい。」
> 「玉女派の武学も——その一つに過ぎぬ。」
> 「それがあれば、自らの秘典を完成させられる。」
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静かな風が吹き抜ける。
陽に照らされた彼の横顔は、まるで冷たい玉から彫り出されたよう。
その声は、変わらず平静だった。
> 「手を出さぬ理由を、一つだけ示せ。」
> 「それができぬなら——今日、玉女派は雲と消える。」
灰白色の石畳の中庭。
空間は、まるで時が止まったかのように静まり返っていた。
玉女派の弟子たちの視線が揺れ動く。
目の前の白衣の少年——たった一振りで巨石を粉砕したその姿に、畏れと動揺を隠せない。
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本殿から、かすかな下駄の音が響く。
一人の高貴な女性が現れた。威厳を湛えた姿、しかしその顔には今なお若さが残っている。
髪はきちんと結い上げられ、白い衣には蓮の花が刺繍されている。
腰には真珠を縁取った濃紫の帯——その気品は、天下のどの宗門主にも劣らない。
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彼女こそが玉女派の掌門、雲静師太。
冷たい眼差しで少年をまっすぐ見据えた。
> 「男よ、お前は玉女派の禁地に踏み込み、さらに我が派の秘伝書を要求するとは…
自らが何をしているか、理解しているのか?」
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天龍は手を背後に組み、少しの畏れも見せない。
穏やかに微笑むと、
> 「もちろん理解している。」
> 「私は許しを乞いに来たのではない。」
> 「私は——取りに来た。」
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「なんという傲慢…!」
雲静の背後にいた弟子が怒鳴るが、師太は手を上げて制した。
彼女の目が細まり、低く静かに言った。
> 「もしお前が、玉女派に敵意を抱いて来たのなら——」
「この門派、血で染まろうとも、決して退かぬ!」
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天龍は何も答えず、ただ静かに——
衣の内側へと手を差し入れた。
スッ…
銀白の袖から取り出されたのは、
黄金の経典。赤い糸で縁取られ、古代仏語の印が刻まれていた。
その瞬間、雲静師太と後方の長老たちは目を見開いた。
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> 「あれは…金剛不壊心経!?」
> 「まさか…あれは天師少林の至高秘伝では…」
> 「どうして…一介の少年の手に…!?」
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天龍はその経典を高々と掲げ、
陽光の下、金色の文字が一字一句まばゆく浮かび上がるようだった。
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> 「少林は渡さなかった。」
> 「だから——あの寺は今、灰となった。」
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風のように軽やかな語り口。
しかしその一言一言が、聴く者の心臓を鋭く貫く刃と化す。
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雲静の瞳孔が収縮し、
長い袖の内側で手が微かに震えた。
> 「まさか…お前が……天師少林を滅ぼしたと?」
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> 「そうだ。」
> 「彼らは抗った。」
> 「ゆえに——滅んだ。」
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天龍は経典をゆっくりと袖へ戻す。
それはまるで、ただの玩具をしまうかのような動作だった。
しかし、玉女派の弟子たちの目はもう怒りではなく、
恐怖と戦慄に染まっていた。
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一歩、彼が前へ出る。
その声が静かに響いた。
> 「選べ。」
> 「ひとつ、我に貴派の秘伝を見せること。」
> 「あるいは——玉女派も、少林のように記憶の中に消えること。」
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誰も、声を出せなかった。
あの雲静師太でさえ、かつて幾百もの弟子を束ね、
多くの大宗師と武を語った彼女ですら——
今この場では、万軍に囲まれたような重圧を感じていた。
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山風が岩間を唸りながら吹き抜ける。
森の葉が、言葉のない嵐の中で、くるくると舞い落ちる。
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しばらくの沈黙の後、雲静が低く、そして静かに口を開く。
> 「お前は…見るだけなのか?」
---
> 「一刻だけ。」
> 「写し取る必要もない。」
> 「盗むつもりもない。」
天龍の声は、風のように穏やかで、
その深い瞳には一片の偽りもなかった。
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雲静の視線が、長く彼を見つめた。
やがて、ほんの僅かに頷き、冷たく言い放つ。
> 「よいだろう。ただし——お前一人に限る。」
> 「その間、誰ひとりとして蔵書閣へ立ち入ってはならぬ。」
> 「破れば、我が手で秘伝書を焼き捨てる。」
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天龍はふっと微笑み、
> 「天師よりも、貴女の方が遥かに賢明だ。」
そのまま誰の導きも受けず、静かに内院への石段を登っていく。
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彼の背中を見送る空気の中、緊張はまだ完全には解けていなかった。
柳情児は剣の柄を強く握りしめ、
複雑な思いで彼の背を見つめ続ける。
> 「この人は……神なのか、それとも魔なのか……?」
竹林に囲まれた静謐な地に佇む、玉女派の蔵書閣――
中には古びた木製の書架が天井まで並び、そこに絹で包まれた経書が整然と積まれていた。ほのかに香る線香の香りが、空気に幽かに漂っている。
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天龍は堂の中央に立ち、鋭い眼差しで一つ一つの書名を見渡した。
「玉女剣訣……」
「心玄玉指……」
「環素陰縷歩……」
「玉影双環手……」
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一冊も開くことなく、彼はただ“見る”だけでよかった。
心法の構成、技の構造、内功の流れ――その全てが水が湖に流れ込むように、自然と彼の心に刻み込まれていく。
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手を動かすことも、筆を取ることもせず。
彼はただ静かに立ち尽くしていた。まるで武学の宝庫に佇む石像のように――一刻のあいだ。
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玉女派の武学の精髄、彼はすでにすべてを理解していた。
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砂時計が最後の一粒を落としたとき、天龍はゆっくりと踵を返し、蔵書閣を後にする。
その手には――『玉女天心秘籍』が握られていた。
それは、代々の掌門にしか伝えられぬ最上の秘伝である。
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中庭の石畳には、百人を超える弟子たちが集まり、皆一様に剣を手にして臨戦態勢にあった。
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側殿から現れたのは、掌門・雲静師太。
その瞳は鋭く、声音は冷徹に響いた。
> 「お前は見た、学んだ……それだけでなく、その秘籍までも持ち出すつもりか?」
> 「玉女派が黙って見過ごすとでも思っているのか?」
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天龍は歩を止め、静かに彼女を見つめる。
> 「借りるだけだ。修得し終えたら、必ず返す。」
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> 「玉女の伝承に“借りる”という言葉は存在しない!」
> 「それを持ち去ろうとするなら――まずは、この身を斬ってから行け!」
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その言葉が落ちると同時に、四方から冷気が吹きすさぶようだった。
雲静師太の足元から放たれる圧は、石畳すら震わせる。
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天龍は微笑み、挑発するような眼差しを向ける。
> 「お前では私に敵わない。」
> 「それは分かっているはずだ。」
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> 「敵うか否かなど、関係ない!」
> 「伝承を守るのは、掌門としての責務だ!」
> 「たとえ命を落とそうとも、退くわけにはいかぬ!」
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一瞬の静寂。
山風が白衣を舞い上げ、激しく吼える。
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> 「死が怖くないのか?」
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> 「師父はこの秘籍を守るため、目の前で命を落とした。」
> 「私が退けば――黄泉の国で祖先に顔向けできぬ!」
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> 「そうか……」
天龍は一歩、静かに前へ出た。
その瞳からは、もはや軽侮の色は消えていた。
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> 「愚かではない。」
> 「己の力では敵わぬと知りながら――それでもなお、立ちはだかるか。」
> 「それは“責務”という名のもとに?」
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> 「それは“信念”。」
> 「“忠誠心”。」
> 「そして――玉女派の“誇り”だ!」
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天龍はしばし沈黙したのち、小さく頷いた。
> 「お前は確かに掌門に相応しい。」
> 「もし今ここで私が勝てば――この地を破壊はしない。」
> 「そして約束しよう。秘籍は必ず、無傷で返すと。」
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だが、雲静師太の瞳は揺るがなかった。
> 「強者の言葉など、私には必要ない。」
> 「私はただ、自らの全てを賭け――信じるものを守るだけ。」
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二人は対峙する。
空気が凍りつく。
百余の弟子たちの視線が一斉に注がれた。
これは勝敗だけではない。
女たちが守り続けてきた流派の矜持と――誰にも止められぬ若者の意志がぶつかる戦い。
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夕陽が差し込み、二人の影が長く地に伸びる。
「キィン」と響く剣戟音とともに、雲静師太が剣を抜いた。
天龍は――素手のまま。しかし、全身から溢れる威圧感は天を衝く。
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ドォン――!
周囲の小石が砕け散る。
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まだ始まっていない戦――
それだけで、天地を震わせていた。
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