Episode 163
コンビニを出たばかりで、強盗を一人ぶっ倒したばかりなのに、まだコートにこびりついた雪も払わんうちから口元が勝手に歪んで笑っとった。思い出したんだよな…さっきの混乱の最中、つい手が伸びて、若い女警官二人の尻を“掴んじまった”ことを。
割れかけたネオン看板の灯りが、重たい雪片を照らし出す。冷たくて、美しくて、同時に不気味。…この街はな、時々思うんだ。もう誰も、雪の白と血の赤以外、何も見えんのじゃないかって。
暗がりに立ち、手を背中に隠しながら、じっと観察してた。
その時や――銃声が夜をぶち破った。ガラスが雨みたいに飛び散って、悲鳴が細い路地に反響する。マフィアどもが“荷物を下ろしとる”。いや、正しく言うと、生存実験をやっとるんや。猛獣の遊び場に、踏み込んでしもた連中のな。…俺は分かった、ここはもう死地や。
雪の闇を裂くように、女の声が響いた。冷たい、刺すような声や。
――「消えろ。死にたくなければ。」
黒い影が吹き抜ける。目を細める。…あいつや。女か? いや、もはや“人”かどうかも怪しい。
あの動きは武術やない。獣の本能そのもの。マフィアの一人、銃を握る間もなく、ゴミみたいに吹っ飛ばされとった。
俺はわざと震えた声を出す。
――「だ、大丈夫か…?」
彼女はちらりと見て、短く返した。
――「…ああ、生きとる。」
平然と装っても、胸の鼓動は彼女の一挙一動に合わせて跳ねとった。拳の軌道、呼吸のリズム…すべて計算され尽くしとる。偶然なんかじゃない。
別の男が叫びながら突っ込む。鋼の爪が光る。彼女は迷わず蹴りを首に叩き込み、声を低く吐いた。
――「こいつに触れたら…犬みたいに死ぬぞ。」
俺は背筋がぞわりとした。その言葉は、俺を守るためじゃない。狩場に印を付ける獣の声や。
心の中で呟いた。
「この女…俺が今まで会った誰とも違う。」
混乱は一時間近く続いた。俺はただの人質みたいに突っ立って、目だけで彼女の軌跡を追う。雪の闇の中、彼女はまるで形を与えられた影。冷酷で、止めようのない存在や。
マフィアどもが喚く。
――「警察が来るぞ! 逃げろ!」
彼女は肩をすくめ、薄く笑う。
――「いいや、逃げん。これからが面白い。」
俺は思わず聞いた。
――「なぜ? あいつら、あんたに関係ないやろ?」
彼女は俺を見て、琥珀の瞳を光らせる。
――「関係あるさ。武器、麻薬…それに“人間”。」
――「人間?」俺は繰り返した。
――「女と子ども。あいつらは人をぬいぐるみ扱いする。だから私は血管を断ち切る。街に、まだ息が残るようにな。」
無造作に言うけど、その奥には重い過去が見え隠れする。
ひとりのマフィアが這って近づく。銃を震える手で構えて。
――「た、助けてくれ…」
彼女は笑い、銃を蹴り飛ばす。
――「助ける? 戻ってまた人殺す気やろ? 寝言はやめとけ。死ぬか、生き残るか。選べ。」
男は泣き崩れ、何も選べず、結末は他と同じ。雪に埋もれて動かなくなった。
俺はゆっくり近寄り、探るように声をかける。
――「あんた、本当に大丈夫なんか?」
彼女は髪を払い、真っ直ぐ見返した。
――「まだ生きてる。それで十分や。」
俺は頷きつつ、口元に笑みを忍ばせる。
――「すげぇな。茶でも啜るみたいに、人を殺せる奴は初めて見た。」
彼女は目を細めて言った。
――「私は見せびらかすために殺すんじゃない。静寂を守るために殺すんだ。…で、あんたは? なんでまだここに立ってる? 普通ならとっくに逃げとる。」
俺は笑って、背後に隠した手をそのままに答えた。
――「普通の人間…俺がそうだとは限らん。」
彼女の眼差しが俺を剥ぎ取る。沈黙が長く落ちたあと、彼女は直球で聞いた。
――「名前は?」
――「俺のことは…“滅人”と呼べ。」
――「ふん。私は…」唇がわずかに吊り上がる。
――「ブラック・ジャガー。忘れるな。」
その名は刃みたいに鋭く、深く刻まれた。
遠くからサイレンの音が近づく。俺が振り返った瞬間、彼女の姿はもう雪に溶けて消えていた。最初から存在せんかったみたいに。
残ったのは、白く降り積もる雪と、インクのように広がる血の赤。俺は肩を震わせ、人質を演じながらも、心の底で確信していた。あいつは英雄やない。鎖に繋げん猛獣や。
小声で、己にだけ聞こえるように呟く。
――「こんな奴らが街を闊歩するなら…誰も生き残れん。」
それでも胸は高鳴る。恐怖と、妙な渇望が混じり合って。
あの琥珀の瞳、あの力…深く焼き付いたまま消えん。
「次は…誰が狩られる?」
雪は降り続く。冷たく、白く。
そして俺は分かった。――遊びは、今やっと始まったんだ。
やっと小さなアパートに戻ってきた。雪まみれのコートを椅子に投げ出し、そのまま寝室へ。
一万ドルのPCが待っとった。RGBライトがディスコみたいに点滅してる。俺はGSITゴーグルをかける。視界に3Dスクリーンが立ち上がり、ひと声かけりゃ世界が開く。
――「オーラ、“ブラック・オーガー”で検索だ。」
――「了解、ボス。」
十五秒もかからん。結果がどっさり。椅子に深く沈み込み、目を細める。そこに一行、赤文字が光っていた。
「ヴィクター・グレンデル――ヘリクサー社の会長との疑わしい関連。」
俺は声を出して笑った。
――「ほう…おもしれぇな。オーラ、お前が言いたいのは、さっきの女…武器商人の親玉と繋がっとるってことか?」
――「正確には、彼の実の娘です。本名:セリーナ・アルアナ。18歳。」
眉を上げる。
――「おい待て。親父はグレンデルやろ? なんで彼女はアルアナ姓なんだ?」
――「母親がアマゾンのアルアナ族出身。幼い頃にイギリスへ連れ帰られましたが、母方の姓を残した。政治的な敵や商売仇の目から隠すため。身分を守る盾でもあります。」
頷きつつ、さらに読み進める。
芸名:ブラック・ジャガー。
外見:身長175センチ、引き締まった身体、ブロンズ肌。紫がかった長い巻き髪、琥珀色の瞳。スリーサイズ87-56-90。
経歴:アマゾン生まれ、イギリス育ち。密殺者にして古代の戦士。現在はオックスフォード大学に在籍。
思わず口笛が出そうになった。
――「ちっ…マスク外したら息が詰まるほど美人じゃねぇか。あの胸…オーラよ、一晩同じベッドなら鼻血で死ぬわ。」
――「ボス、対象の胸部に過剰に集中するのは推奨できません。」
大笑いして机を叩く。
――「お前AIのくせに…皮肉もうまいじゃねぇか。気に入ったぞ。」
一時間ほどデータを掘り返し、ついに彼女のSNSアカウントと個人番号を突き止めた。三秒だけ迷って、発信ボタンを押す。心臓が、ガキの頃に初めてナンパした時みたいに跳ねた。
呼び出し音。長い間。
そして――冷たい女の声。
――「誰?」
咳払いして、わざと軽口混ぜる。
――「やぁ、こんばんは。“ブラック・ジャガー”さん…いや、セリーナ・アルアナって呼んだ方がいいかな?」
短い沈黙。
――「…あんた何者? 本名を知ってる時点で、ただの一般人じゃない。」
――「ただの物好きさ。偶然見ちまったんだよ、マフィアを蹴散らす姿をな。思わず褒めたくなった。」
小さな鼻笑いが返ってくる。
――「普通は逃げるんだよ。電話で褒める奴なんか、滅多にいない。あんた…ちょっと変わってる。」
――「良い意味でか? 悪い意味でか?」
――「まだ分からん。でも、口数は多い。」
頭を掻いて、照れたフリをする。
――「まぁ…ただ友達になりたいだけさ。いつか暇ならコーヒーでも。爪は持って来なくていい。」
思いがけず、彼女はふっと笑った。声が少し柔らかくなる。
――「命知らずね。いいわ、Facebookに追加する。でもメッセは…しばらく様子見。」
――「了解。邪魔せんよ。ありがとう。」
通話が切れた。椅子に体を預け、吹き出す。
最初から最後まで、警戒と可愛さが同居してる。首を折れるほど危険で、アイスを食いながら笑ってそうな女。
モニターに向き直り、口を開く。
――「なぁオーラ、ヴィクター・グレンデルの“万能薬プロジェクト”について詳しく。」
――「すぐに、ボス。」
秘密ファイルが表示される。一本の研究室映像を開く。画面が揺れているが、はっきり見える。ヴィクター・グレンデルが、自らの静脈に銀色の液体を注射していた。
眉間に皺を寄せる。
――「自分で試しとるのか?」
――「はい。彼は難病を抱えている。実験マウスは成功済みだが、薬は未完成。自ら治すため、そして成功すれば市場を独占する狙いです。」
映像は続く。十三分後、ヴィクターの体が変貌する。血管に沿って銀色の潰瘍が浮かび上がり、瞳が白目を剥く。暴れ、机を叩き、叫び声を上げる。息を呑んだ。
だが数分後、彼は崩れ落ちたのち、突然平常に戻る。汗だくで荒い息を吐きながら、椅子に起き上がる。
呟いた。
――「これは薬じゃない…瓶に封じられた悪魔だ。」
オーラが答える。
――「解析によると70%正解。治癒効果はあるが、副作用制御は不可能。遺伝子変異のリスクが極めて高い。」
顎に手を当て、映像の中のヴィクターの歪んだ笑みを凝視する。背筋が冷える。
――「そうか…遊びは、これからだ。」
ヘリクソール・コーポレーションの超高層ビルが、夜の闇にそびえ立っていた。青いネオンライトがガラスの一枚一枚に反射し、それはまるで雪雲の中に浮かぶ巨大な要塞のようだった。
最深部の地下――メインラボは、外部の者立ち入り禁止。出入りできるのはヴィクター・グレンデルだけだった。
彼は金属製の椅子に凭れ、両手で頭を抱え、重い息をついている。こめかみに走る銀色の血管が、まるで電流のようにピクピク光る。シルバー・トリートメントの副作用はまだ残っていて、体が小刻みに痙攣していた。
ドアが開く。
「また無理して働いてるのね。休んでよ。お茶持ってきたよ。」
セリーナの声が柔らかく、でもきっぱり響く。背の高い、日焼けした肌の少女が入ってきて、手に熱気の立つお盆を持っていた。蛍光灯の下で、彼女の琥珀色の瞳が光り、俺をまっすぐ見据える。
俺は顔を上げ、唇の端に淡い笑みを浮かべた。
「セリーナ…もう遅いのにまだ寝てないのか?来月、イギリスに留学するんだろ。時差に慣れておけよ。」
彼女はお盆をテーブルに置き、椅子を引いて向かいに座る。
「わかってる。でも、もしパパがこんな風に起きてたら…私、安心して寝られないよ。」
俺は微かに笑う。だが、震える手はまだ彼女の肩に重く置かれている。石の塊のように重い。
「お前は俺のすべてだ。唯一の娘だ…心配しないわけがない。」
セリーナは少し黙った。視線が、まだ腕に残る銀色の血の跡に止まる。声は小さいが、鋭い。
「ただの疲れじゃないでしょ、パパ?あの薬…パパの体を壊してる。」
俺は一瞬止まったが、すぐに目を細める。
「余計なことに首を突っ込むな。俺は自分が何をしてるか分かってる。」
彼女は背筋を伸ばし、すぐに答える。
「首を突っ込んでるんじゃない。ただ…いつかパパを失うんじゃないかって怖いの。」
しばし、張り詰めた沈黙。俺は笑い出す。だが、その笑みは歪んでいた。
「失う?娘よ、まだわかってないな。俺がやってることは…生き延びるためだけじゃない。支配するためだ。成功すれば、シルバー・トリートメントはグレンデルの名を歴史に不滅にする。」
セリーナは手をぎゅっと握り、微かに首を振る。
「歴史や不滅なんてどうでもいい。欲しいのは父親…実験体の怪物じゃなくて。」
俺は彼女を見つめ、目にわずかに動揺が走る。ほんの一瞬、娘の視線に敗北しそうになった。でも、すぐにそらし、声をかすれさせる。
「自由なんて存在しない。強者だけが語る権利を持つ。覚えておけ、セリーナ。」
彼女は唇を噛み、うなずく。もう反論しない。
「うん…わかった。」
俺は背中を軽く叩き、誇らしくも疲れた目を向ける。
「よし。もう遅い。休め。明日、続きを話そう。」
セリーナは軽く頷き、部屋を出る。鋼鉄の扉が音を立てて閉まり、冷たい廊下に響いた。
雪の外に出ると、彼女はコートのポケットからスマホを取り出す。唇が微かに上がり、指が画面を滑る。
送信されたメッセージは、俺に直接届く。
> 「ねぇ…あなたは本当に誰?」
俺は光る画面を見つめ、微笑む。真っ白な街の中で、ゲームに新しい仲間が加わった――危険で、抗えない相手が。
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