15.天龍、少林天師に挑む
夜明けにはまだ遠い。
薄雲が山頂を覆い、朝靄が銀の煙の如くあたりを包み込む。
少林寺——千年の歴史を誇る古刹、暁風の中にひっそりと佇んでいた。
しかし、今日に限っては、その静寂が突如として破られた。
> 「少林の戦鼓が三度鳴ったぞ! 何者だ、全宗門に挑もうとは何たる無礼か!」
若き僧侶が血相を変えて叫び、同時に無数の金色の僧衣が石の回廊に現れた。
瞬く間に、大雄宝殿の前の広場には三百余名の高僧が集結し、羅漢衣を纏い、錫杖を携え、厳粛な面持ちで立ち並んだ。
遠くより、一人の男の影が歩み寄る。
白衣が風に翻り、左手に黒い古剣を携え、その威風はまさに天地を睥睨するかの如し。
> 「天龍……あれが奴か……!」 「なんということだ! あの少年、昨日は太清の掌門を打ち負かし、今日は少林に乗り込むとは!?」
激震が波の如く広がる。
ざわめきの中、白き影は近づいてくる。
彼の歩みは静かな風のようで、一歩踏み出すごとに石畳がわずかに震える。まるで見えぬ威圧が地を押し曲げているかのように。
誰一人として彼を止めようとはしない。
誰一人として言葉を発する者はいない。
天龍が大殿に続く三段の石階の前で足を止め、見上げると、そこには一人の男が静かに佇んでいた。
その僧は老齢にして、髭は雪の如く白く、眼差しは太古の海のように深い。
手には古代の梵字が刻まれた金剛杖を携え、その気迫は須弥山をも崩す重みを感じさせた。
この人物こそ——少林寺の天師にして、現掌門。百年にわたり最強と謳われる男である。
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> 「天龍よ、小僧、何の用あってここまで来たのだ?」
老僧の声は古鐘の如く重く穏やかであったが、その気迫に初心の弟子たちは胸を押さえ、息を詰まらせた。
天龍は薄く笑みを浮かべる。
> 「聞けば、少林寺には“金剛不壊心経”なるものあり、肉体は鉄石の如く、いかなる攻撃も通じぬと。」 「今日は、それが真実かどうか、拝見しに来ただけだ。」
> 「もし真実なら、学ばせてもらおう。」 「だが虚構なら——少林の看板、下ろすべきだ。」
その言葉は風のように軽やかであった。
しかし、次の瞬間、場内は雷に打たれたように騒然とした。
> 「無礼千万……!」 「この男、少林を侮辱する気か!?」 「生きて寺を出られると思うなよ!」
百余の錫杖が一斉に地を打ち、重く鈍い音が戦鼓の如く鳴り響く。
天龍は一切振り返らぬ。
ただ、そのまま天師を見据え、低く呟いた。
> 「後ろの雑兵どもに語る口などない。」 「我が問いは一つ。貴僧、我と一戦交える覚悟はあるか?」
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天師は微かに頷く。その眼差しに怒りはなく、ただすべてを見通す悟りの深淵があった。
> 「汝が望むならば、老僧、辞さぬ。」 「だが——敗者は仏祖の前に三度礼拝し、名を名乗って罪を請うこと。」
天龍は目を閉じる。
一陣の風が衣を巻き上げた。
> 「もし我が敗れれば、三度の礼など不要。一度もするつもりはない。」 「だが、もし貴僧が敗れれば——」 「少林の武芸、すべて我がものとする。」
ドオオオン!!
空が震えたかのように揺れ動く。
四方から風が渦巻き、砂塵を巻き上げ、木の葉が乱舞する。
少林寺の広場、その中心で――二つの影が同時に動いた!
一つは、雲のように軽やかな白衣の影。
もう一つは、千の塔の重さを背負ったかのような金色の袈裟の僧影!
天龍が袖を翻す。
鍔も峰もない、粗削りの黒い木剣が空に舞い、流星の如くきらめく。
> 「貴僧は強圧の杖を使う。」 「ならば、俺はボロ剣で遊んでやる。――これで公平だろう?」
軽やかな口調でありながら、数百の高僧たちは顔色を失った!
> 「あいつ…木剣で天師と戦うつもりか!?」 「傲慢にも程がある…!!」
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ドガン!!
金剛杖が振り下ろされる!
「万丈沈山」――天地を裂く一撃、地面を蜘蛛の巣のように割る!
だが、天龍は――避けない。
彼は顔を上げ、口元に薄ら笑みを浮かべ、木剣をそっと掲げた。
ゴオオオン!!
細身の木剣が、金剛杖の直撃を真正面から受け止める。
衝撃波が三丈四方に広がり、砂塵が煙のように舞い上がった!
だが――
> 「…!?!」
天師は目を見開いた。
千斤の重みを持つ杖が――びくともしていない!
> 「老僧よ…」 「その金剛杖…」 「まさか、まがい物ではあるまいな?」
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ドン!ドン!!
連続する二撃は、まるで雷風の如し!
天師は「般若鎮心拳」から「金剛不壊掌」へと連携。
一撃一撃が重く、空を裂く殺気を帯びている!
しかし、天龍は一歩も退かぬ。
体を回し、手を上げ、剣を振るう――
その剣に光はない、殺意もない。
あるのは、あからさまな「嘲り」。
> 「その構え…健康体操にしか見えぬな。」 「まさか…腰が痛んで、膝がもう動かぬか?」
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パキン!!
金剛杖が横一文字に斬りかかる。
天龍は身を傾け、紙一重でかわす!
そして、右手で――木剣を軽く、天師の頭にコツン!
> 「コツン。」 「一本取ったぞ。痛かったか? なら、手加減してやる。」
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> 「無礼者め!!」
ついに天師が初めて怒声をあげた!
その体から光が噴き出し、三丈に及ぶ金色の影が現れる。
轟音のごとき咆哮!
> 「金剛護法身!!」
全身が黄金に染まり、筋が鋼のように浮かび上がる。
その双眼は、二筋の金光となって怒りを放つ!
> 「若造よ…貴様は少林を…あまりにも侮辱しすぎた!!」
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だが――
天龍は木剣をくるくると手の中で回しながら、軽く言い放つ。
> 「侮辱?」 「いや、違う。――俺は今、少林に“どれだけ腐っているか”を見せてやっているのさ。」
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ゴオオオン!!
再び二つの影が激突!!
だが今度は、主導権は完全に天龍の手中にあった!
彼の木剣は、まるで霊蛇のように現れては消える。
頭を叩き、手首を突き、膝を点じる――
どの一撃にも殺意はない。
だが、すべての一撃が“的確”であった。
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> 「ドガン!」――杖が折れる!
「ミシッ!」――肩が打ち砕かれる!
「ブシャッ!」――口から血が噴き出す!
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数百の僧たちは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
誰一人、声を出す者はいない。
> 「私は…天師、少林の代表だというのに…」 「若者の木剣一振りにすら…耐えられぬとは…?」
その現実は――
天師が一生をかけて積み上げた「武の誇り」へ、幾千もの刃を突き刺すに等しかった。
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> 「貴僧の負けだ。」
天龍はまっすぐ立ち、木剣の先を天師に向けた。
> 「貴僧が弱いと言ったのは、侮辱ではない。」 「俺が木剣を使ったのは――」 「“奪天”でお前を滅ぼしたくなかったからだ。」
> 「もし真剣だったなら――」 「今頃、貴僧の首は…地に転がっていた。」
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その言葉は、まるで魂を裂く刀。
広場は再び、深い沈黙に包まれる。
天龍はそこに立つ――
白衣が風に揺れ、木剣が静かに大地を指す。
百の僧を前に――
彼はまるで嵐の中の一枚の葉。
だが、その葉こそが――嵐を退ける存在であった。
風が止み、
雲が消える。
天地を揺るがす一戦――
まるで一文字も書かれていない白紙のように、静寂の中で終わった。
ひび割れた石畳の上に、名声高き少林の導師が膝をつき、頭を垂れ、
乱れた白髪、荒い息遣い、そして意識は朦朧としていた。
その目の前に立つのは――
十四歳の少年。白衣に木剣、
秋空のように澄んだ瞳。しかしその奥は、底知れぬ深淵の冷たさ。
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「なぜ……わしの命を取らなかった?」
導師は枯れ木のような声で、言葉を絞り出す。
「わしは……完全に敗れた……もはや体面など無意味だろうに。」
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天龍は沈黙したまま、一歩前に進んだ。
その一歩は、まるで少林の千年の誇りを踏み砕くようであった。
だが彼は、導師の前に静かに腰を下ろした。
傲慢さも、侮蔑もない――
ただ、秋の風に佇む孤独な老人と語らう若者のように。
「命を取らなかったのは……」
「あなたの瞳に、まだかすかな"炎"を見たからだ。」
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「炎……?」
「そんなものは……導師となった日に消えた。」
「金色の僧衣を纏ったその日から、疑うことも、間違えることも、許されなくなった。」
「そして……学ぶことすら、できなくなった。」
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天龍は静かに言った:
「なぜ木剣を使ったか、分かるか?」
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導師は顔を上げ、震える声で答えた:
「わしを辱めるため……」
「本物の剣に値しないほど弱いと、見せつけるため……」
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天龍は微笑み、清らかなせせらぎのように笑った。
そこに怒りも、嘲りもなかった。
「違う。」
「木剣は――あなたを救うためのものだ。」
「“無敵”という幻想に沈む者を、目覚めさせるために。」
「――武術とは“道”であり、永遠に歩み続けるものだ。」
「決して、座して崇められる“玉座”ではない。」
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「かつて、あなたは強かった。」
「だが――いつから、学ぶのをやめた?」
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天龍は空を仰いだ。遠くを見つめるその目は、深い憂いに満ちていた。
「少林の武芸は、四海にその名を轟かせていた。」
「だが、お前たちは信仰を石壁と戒律に閉じ込めてから、道を見失った。」
「新たな知を拒み、ただ“繰り返す”ことを真理と呼んだ。」
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その言葉は、導師の胸に鋭く突き刺さった。
「……そうだ、確かに忘れていた。」
「わしも若い頃は、密かに道家の経典を読んだことがある。」
「異国の足技を真似してみたこともある。」
「わしはかつて、好奇心に満ち、武の世界を大海だと信じていた……」
「……だが導師となった瞬間、その大海は……淀んだ沼に変わった。」
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天龍は立ち上がる。
その目は、導師の魂を包む霧を焼き払う灯火のように鋭かった。
「あなたが強かったのは、“学ぼう”としたから。」
「あなたが弱くなったのは、“学び終えた”と思ったから。」
「勝ち負けなど、どうでもいい。」
「本当に恐ろしいのは――成長をやめることだ。」
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微かな風が吹いた。
導師は目を閉じ、心は昔の夢の中へと沈んでいく。
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「名を……聞かせてくれ。」
老人は静かに問う。
「天龍。」
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「天龍……」
「その名は、やがて伝説になるかもしれんな。」
「ありがとう……老いぼれのわしに、再び学ぶ機会を与えてくれた。」
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天龍は背を向け、歩き始めた。
その白い衣は風に揺れ、
その歩みは、決して振り返らぬ者の確かさ。
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「少林も……変わらねばなるまい。」
「――お前は、その最初の一人になれるか?」
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導師は顔を上げた。
その目にはもはや屈辱はなく――一筋の希望の光が宿っていた。
「はい。」
「老僧、再び小僧の如く、一から始めましょうぞ。」
本堂前の香煙はまだ消えていなかった。
陽光が苔むした瓦屋根を斜めに照らし、百人を超える高僧たちが膝をついて頭を垂れていた。誰一人として顔を上げようとしなかった。
そして天龍は…
ただそこに立っている——白い衣が風に揺れ、木剣を背負い、目は遠くを見つめ、まるで俗世を超えた存在のようだった。
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深く心に響く対話の後、少林寺の空気はもはや弦のように張り詰めていなかった。
百人を超える高僧たちは黙って頭を垂れている。しかし、今回は恐れからではなく、敬意を持って。
血の色に染まった古びた石段の上、導師は立ち上がった。以前より背中は曲がっているが、その目は…まるで子供のように輝いていた。
静かに天龍のもとに歩み寄った。
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「施主…」
「…私はなぜこの道を歩み始めたのか、思い出させてくれた。」
「武学…それは悟りを開くためのもの。権力を握るためではない。」
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天龍は静かに頷き、後ろにいる少林の僧たちに目を向けた。
「私は侮辱するために来たのではない、壊すためでもない。」
「私が来たのは…ただお前たちに思い出させるためだ。」
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「思い出せ…」
「武学は…経書の中にはない。」
「武学は…心、体、意の無限の旅なのだ。」
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若い僧が感情を抑えきれず、震える声で尋ねた:
「先輩…」
「あなたはそんなにも強いのに、なぜ誇らしげではないのですか?」
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天龍は微笑み、木剣の柄を軽く撫でた。
「それは知っているからだ…」
「天の上には、まだ他の天があることを。」
「今日、私は勝った。だが、明日も道を守れるかは分からない。」
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「一度でも誇るようになったら…学びは止まる。」
「そして学びを止めれば…」
「体は生きていても、魂は死ぬ。」
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導師は手を合わせ、深く頭を下げた。
「少林寺、この恩を忘れない。」
「もしも必要な時が来たなら…一つの証を送ってくれれば…」
「千人の僧が共に従います。」
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天龍は軽く微笑み、少林寺の大門を後にした。
彼の足元で、乾いた草が風に巻き上げられた。
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「千人の僧は必要ない。」
「お前たちの中で…一人でも経書を離れ…」
「…自ら道を探しに出る者がいれば、それでいい。」
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強い風が吹き抜けた。
白い衣が夕日の中でひるがえった。
彼の姿は…霧の中に消えていった。
振り返ることはなく。
別れの言葉もなく。
栄光も求めず、名声も欲しない。
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その後ろから、鐘の音が長く響いた。
その鐘の音は、まるで目覚めの音のように、東山全体に鳴り響いた。
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これから先、白い衣を纏った少年が、木剣で少林の導師を征服したという話は、武林中に広がっていった。
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