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Episode 146

病室は依然として冷えており、天井の淡い灯りが、まるで当時の私の心のように、安寧と嵐の狭間で揺れていた。


テレビの音量は大きめに設定されていたが、女性アナウンサーの声は震えており、言葉はたどたどしい。


> 「…軌道上の衛星から緊急信号を受信… 二十メートルほどの狼型機械生命体がステラ中心街を破壊中… 住民は直ちに避難を…」




ドローンからの映像は不安定で、まるで死の恐怖に震えているかのように揺れていた。

傾いたカメラ越しに、三階建てのビルがまるで空き缶のように踏み潰されているのが見えた。


重々しい足音が響く。

一歩ごとに「ドンッ」と地鳴りがし、それに続いて金属の骨が砕ける「ギギギ…」という音が続いた。


私は思わず背筋を正した。

心臓が一瞬だけ鼓動を止め、胸の奥で固く絞られる。

毛布の端を強く握りしめながら、目は画面から離れなかった。


> 「…行こう。」




その言葉は、息のように、吐き出された。

かすかに、しかし冷たく。



---


あんず(※Anh Đào)は驚いて振り返り、髪をとかしながら戸惑い気味に言った。


> 「な、何言ってるの…? 傷、まだ治ってないのに! 軍が何とかしてくれるでしょ…?」




私は彼女を見た。責めるでもなく、苛立つでもない。

ただ――愛おしかった。


> 「あんなものに…軍の対応は間に合わない。」




> 「でも…!もしあなたが今行ったら… 私…安心なんてできない…!」




私は何も言わなかった。言い返しもせず、勝ち負けも興味なかった。

ただ、そっと手を伸ばし、彼女を引き寄せた。

まるで風に揺れる薄いカーテンを手繰るように。


> 「ちょ、ちょっと…なにしてるの…?」




私は彼女を抱き上げ、自分の膝に乗せた。

片腕で腰を抱き、もう一方の手で、震える彼女の手をそっと包んだ。


彼女を見つめた。

今回は冗談も、冷笑もなかった。

そこにいたのは、ただ一人の――

何もかもをもう失いたくない男。


> 「君の言う通りにする。」




私は彼女の髪の香りを吸い込みながら、背後で流れるニュースの音を聴いた。

そして静かに、言葉を紡いだ。


> 「でも…じっとしているなんて、俺にはできない。」




> 「こんなにも君と一緒にいながら… その外で、世界が踏みにじられていくのを…ただ見ているなんて…」





---


あんずは私を見つめていた。

その目は潤み、唇は微かに震え、言いたい言葉がのどまで出かかって――やがて沈黙した。


> 「……なら、私も…」




彼女は静かに額を私の胸に寄せた。

その鼓動が、薄いシャツ越しにやさしく伝わってくる。


> 「一緒に行く。」





---


その一言は風のようにやさしく、

だが、それだけで私の胸に灯った火が再び燃え上がった――

この世界という名のガラスの牢に閉じ込められてから、冷えきっていたその炎が。



---


10時12分・ステラ中心街


空には無数の金属の羽音が響く――

まるで怒れる鉄の蜂が大地へ怒りを注いでいるかのようだった。


> 「撃て――っ!」

鋭い号令が、空を切った。




私は病院の二階の窓から外を見上げた。

遠方から、編隊を組んだ戦闘機が一斉にミサイルを放っていた。


それぞれの弾頭には小型核級の爆薬が搭載されている――

一発当たれば、区画ごと消し飛ぶ威力だ。


ドォン――!

ドォン――!!

ドォォン――!!!


そして、地面が揺れるほどの大爆発が続いた。

BOOOOOOM――!!!


煙。

炎。

震動。


街路樹が傾き、コンクリの塊がビルから崩れ落ちる。

まるで山から転げ落ちる岩のように。



---


私は…もう終わったと思った。

だが、思い違いだった――


濃く黒ずんだ煙の中に、赤い光が浮かんでいた。

初めは猫の目ほどだったのが、やがて――二つの太陽ほどに膨れ上がる。


> 「ギ…ギチ…ギィィ…」

耳を刺すような金属の擦れる音が、背筋を凍らせた。




あの“狼”――死んでいなかった。


いや、笑っていた。

機械の喉から、血のような赤い眼差しと共に。


鋼鉄の毛並みが逆立ち、まるで狂ったアンテナの森のようだった。

さっきの爆発のエネルギー全てが…吸い込まれていく。


まるで核弾頭の一撃が、奴の「朝食」に過ぎなかったかのように。


> 「嘘だろ…あの熱量、もうレッド・スター級まで上がってるぞ!!」

無線から叫び声が響いた。




そして次の瞬間――


ジジジジ――!!


奴が口を開けた。吠えるのではない。

それは…「吐き出す」動作だった。


螺旋を描く巨大な火蛇のようなエネルギー波が空へ向かって解き放たれる。


ドガァァァン――!!!


三機の戦闘機が空中で引き裂かれ、爆炎と共に粉々になった。

黒煙が、嵐雲のように巻き上がる。


地上では、ZARIS部隊が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。


> 「撤退だ!もう接近は不可能だ!!」

無線越しの声は、警報よりも絶望的だった。





---


病院の中も、安穏とは言えなかった。

その頃、退院手続きの真っ最中だった。


> 「お名前は…ディエット・ニン様ですね。 ご容体は安定、こちらにご署名を…」

看護師の声は、私の手よりも震えていた。




私は即座に署名し、

昨日、あんずが用意してくれた白いシャツに袖を通した。


彼女は傍らでバックパックを抱え、窓の外ばかりを気にしていた。


> 「本当に大丈夫…?

明日にしたほうが…もし何かあったら…」




その言葉が終わる前に――


ガァァン――!!!


病院全体が傾いたように感じた。


窓ガラスがひび割れ、

天井からは石膏の欠片が降り落ちる。


そして、聞こえてきた――あの低く、唸るような咆哮。

それは…負傷した獣の呻き…あるいは、喰らいつこうとする前の気配。


上階から、医師たちの悲鳴が響いた。


> 「き、来たぞ!! あの化け物が…病院の前にいる!!」





---


私は顔を上げた。


病院ロビーの大きなガラス扉越しに、

黒煙と灰の中から――地獄のような赤い双眼が、こちらを射抜いていた。


見間違えるはずがない。


あれだ。


鋼鉄の巨狼。


奴は…私を見ている。


ただ漠然と周囲を見回しているわけではない。


確実に――

“私”を、狙っている。


まるで初めから、ここに私がいることを知っていたかのように。



---


私は唾を飲み込んだ。

喉はまるで灰のように乾いていた。

だが、手は震えていなかった。


> 「来たな。」

私は、息のように呟いた。




あんずは私を見つめ、そして扉の外を見た。

その顔は青ざめていたが、目は私に向けられたままだった。

次の言葉を、待っているように。


私は深く息を吸い、彼女に向き直った。


> 「…もう、行く時が来た。」

病院の門をくぐったその瞬間——

私はまだ、あんずに渡されたリュックの紐を手にかけていた。


足元が、不意に揺れた。

地面が、地鳴りのように震えたのだ。地震かと思うほどに。


そして顔を上げたとき——

私は「それ」を、見た。


巨大な獣。

三階建ての建物の十倍はあるかという大きさ。


その体毛は、まるで鋼鉄のケーブルが幾重にも絡み合って編まれたようで、

目は真紅に燃え、だがそれはただの炎ではなかった。


生体と機械が混ざり合った、あらゆる悪夢を一つに錬成して創られたかのような——

異形の狼。


あんずが私の隣で立ち尽くし、

唇を震わせながら、私のシャツの裾をそっとつかんだ。


> 「だ、だめだ…

 こっち見てる…まっすぐ…!」




私は黙っていた。

確かに、手は少しだけ震えていた。だが、それは恐怖ではない。


むしろ、何かが…近づいてくるのを肌で感じていたのだ。


——異質なエネルギー。

それは怪物でもなく、人でもない。


私は眉をひそめた。


> 「待てよ…上空に…何か…」




ドォオオオオオン——!!


東の空が裂けた。

雲を切り裂く刃のように、眩い閃光が空を切り裂いた。


そこから、「誰か」が降ってきた。

——いや、落下ではない。

 それは、地上へ突き刺さるような一撃だった。


> 「グアアアアアア——ッ!!」




雷鳴のような蹴りが、

鉄の巨狼の顔面に直撃した。


——バキン!!


狼の右目が砕け、顔がねじれるように横へ吹き飛ばされる。

その巨体が揺れ、まるでトラックに轢かれたかのように後方へ倒れ込む。


地面が裂け、塵が宙を舞った。


私は目を細め、空中に浮かぶその人物を見上げた。


彼は、宙に浮いていた。


青白く光る白金の髪。

足首まで届く長衣には、背中に惑星のような螺旋模様が描かれていた。


両手を前に組み、古代の呪印のような「印」を結んでいる。

その指先からは、一文字一文字が生きているかのように光を放っていた。


背後では、巨大な魔法陣がゆっくりと回転しながら輝き、

それは、まるで星々を吸い込んだ太陽そのものだった。


そして——

その声は大きくない。けれど、骨にまで響いた。


> 「神印の領域…

 無量封界。」




ドオオオォォォ——ン…!


空間が割れた。

まるで巨大なハンマーでガラスを叩き割ったように。


彼の背後に、漆黒の「穴」が開いた。


だが、それはただの闇ではない。

光も、音も、空気も——あらゆる存在を吸い込む「虚」だった。


> 「グアアアアアアアアアッ!!」




巨狼が暴れた。

その鋼鉄の爪が地面に食い込む。だが、意味はなかった。


その身体は空中へと引き上げられ、

機械の皮膚が剥がれ、コードや配線が火花を散らしながら千切れていく。


エンジン音の断末魔も、

全てはあの闇へと、地獄の底へ引きずられるように消えていった。


わずか六秒——


シュゥン…


虚無の穴は、何事もなかったかのように静かに閉じた。


私は息を潜め、地に降り立つ彼の姿を見つめていた。


足音は一切なかった。

彼が地面に触れた瞬間、世界はただ、静かだった。


私は息を吐き、ぽつりと漏らした。


> 「A+ランクどころじゃないな…

 いや、それ以上かもしれない…」




あんずが私の手を握りしめ、小さな声で訊いた。


> 「あの人…知ってるの?」




私は彼の顔を見ようとしたが、まだ遠すぎて判別できなかった。

ただ、その目だけははっきり見えた。


敵意はない。だが、味方とも言い切れない。


私は小さく笑って、自分に言い聞かせるように呟いた。


> 「いや、初めて見る顔だ。

 でも、あれは……この“世界の外側”から来た者だ。」





---


胸の高鳴りはまだ収まらなかったが、

それとは別に——胸の奥底に、奇妙な安堵があった。


まるで、初夏の風を感じたような。

穏やかで…そして、どこか鋭い。


風がすり抜ける。

まだ、焼けた鉄の匂いが鼻先に残っている。


戦いの残滓は、灰となって漂い、

記憶に焼き付いたまま離れない。


私は立ち尽くしたまま、

天から降りてきた彼と、視線を交わす。


彼が歩み寄ってくる。

その歩幅は、静かで、そして確かなものだった。


白衣には火の粉がこびりつき、

その顔は、まるで増水した川のように冷たい。


額に巻かれた銀のバンドが陽の光を反射し、

それは目を奪うほど眩しくはないが——なぜか、背筋がぞくりとした。


彼が先に口を開いた。


> 「俺の名は、楊・スアン。

 十九歳。ZARIS所属、Sランク特務。」




そして、尋ねた。


> 「君、大丈夫か?」




私は小さく頷き、ゆっくりと答えた。


> 「ああ、大丈夫。

 多分…君のおかげでね。」




彼は微笑まなかった。

だが、口元がわずかに動き、右手を差し出した。


> 「初対面だが…

 君には、強い印象を受けた。」




私も手を出した。

彼の手は、私よりわずかに小さかったが——


——バン。


手が触れた瞬間、

骨の中を衝撃が駆け抜けた。


まるで、圧縮された空そのものを握ったかのような重圧。


彼の目がわずかに見開かれ、

体がびくりと反応する。


その腕の毛穴が、一斉に逆立っていた。


私は黙って見ていた。


彼は手を引き、半歩下がる。

こめかみに一滴の汗が浮かび、

そして今度は、明確に——微笑んだ。


> 「納得したよ…

 なぜ君が十七で、すでにマークされていたのか。」




彼は胸元から一枚のカードを取り出した。

黒。漆黒のカード。


そこには、血で刻まれたようなZARISの紋章が赤く浮かんでいた。


> 「これは連絡用カード。

 ZARISは、“人間の範疇を超えた脅威”を担当している。」




私はそれを受け取った。

カードの感触は、まだ冷えた鉄のようだった。


> 「君は、俺たちに加わる気はあるか?」




彼の瞳はまっすぐだった。

そこには試すような色はない。——ただ、認めるような色があった。


> 「人手は足りてる。

 でも、俺たちが求めているのは——

 “局面を変えられる人間”だ。」




そして、静かに言った。


> 「君から、それを感じる。」




私はすぐには返事をしなかった。

ただ彼を見つめていた。


彼の立ち姿は、まるで切れた凧のようだった。

だが、風が強ければ…空を舞い続けることができる。


どこか…自分に似ていると思った。



---


背後から、足音が聞こえた。

小さく、そして速い。


あんずが駆け寄ってきて、少し怒ったように声を上げる。


> 「ねえ…

 まさか、本当に行くつもりじゃないよね?」




私は彼女を振り返った。


彼女は唇を噛み、腕を胸の前で抱えていた。

その目には、不安が浮かんでいた。——まるで、「置いていかれる」ことへの恐れのように。


私は再び、カードを見つめてから、笑った。


> 「まだ、決めてない。

 でも……

 考える価値はありそうだな。」





---


風がまた吹いた。


言葉にできない何かが、

まるで見えない糸のように、私の運命を静かに引き寄せていた。


私は知っていた。

——世の中には、一度足を踏み入れたら、

 二度と引き返せない道がある、ということを。

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