Episode 144
《死神の微笑むコースター》
― スリルゾーン・発車から5分後 ―
カチン…
カチン…
カチン…
列車がゆっくりと坂を登り始めた。
鉄の鎖が擦れ合う音は、まるで高熱にうなされる人間の歯ぎしりのよう。
乾いた潮風が顔を逆撫でし、鉄の匂いが鼻腔を刺す。
隣に座る彼女。腕を組んで、斜めに目を逸らしていた。
アン・ダオは安全バーをぎゅっと握りしめている。
その手は、まるで研がれる前の白米のように真っ白だった。
肩に力が入り、表情は平静を装っているけれど――
喉の動きが、何度も乾いた空気を飲み込んでいるのが見えた。
> 「こ、怖くない…大丈夫…ただの三回転だけ…」
小さな声で呟く。
俺は小声で聞いた。
> 「顔、真っ白だよ? 今朝バスルームでゴキブリ見た時より白い。」
> 「そ、そんなことない!」
> 「でも心臓の音、さっきキスした時より速いんだけど。」
> 「バカなこと言わないで!」
彼女はそう言って口をきゅっと結んだ。
だが、小指がかすかに震えていた。――それは、彼女が恐怖を隠そうとするときの癖だ。
そして――
ブオォォン!
列車が急降下した。
レールがうねり、乗客の悲鳴が空に裂けた。
> 「ぎゃあああああああああ!!」
> 「しぬーーーっ!!」
本能的に彼女も叫んだ。
髪が風に舞い、目が見開かれ、口が開きっぱなしで喉から絞り出すような叫び声。
俺は静かに座ったままだった。
別に、肝が据わってるわけじゃない。
ただ――彼女を見ていたかった。
無数の悲鳴の中で、俺はそっと呟いた。風にかき消されるほどの声で。
> 「叫んでる君、きれいだな。」
後ろの席では、学生たちがスマートグラスで配信していた。
騒がしい声が響く。
> 「やばっ、あの人マジで無反応!」
「プロ乗客じゃん!」
「これバズるって、絶対!」
俺はこっそり笑った。
有名になりたいわけじゃない。ただ――
今日という記憶が、彼女の心に残ると確信していたから。
そのとき、操作室から無線のノイズが聞こえた。
でも俺はまだ、その意味を知らなかった。
> 「あれ? 第三センサー反応なし…?」
「列車…停止不能!?」
> 「何だと?…待て、信号が…干渉されてる!」
そして――
ドンッ!
下から爆音が響いた。
何かを言う前に、列車が急加速し、四つ目のループに突入した。
眉をひそめた。
頭に浮かんだのは、ただ二文字。
> 「おかしい。」
どこかから、無機質なアナウンスが流れた。
> 「緊急警告。システムに不正介入。列車、停止不能。」
車体が激しく揺れる。
腕を組むのをやめ、前のバーを両手で押さえ、前を睨む。
彼女が震える声で尋ねた。
> 「な、なに…? これ、何が起きてるの…?」
答えられなかった。
心が冷えていくのがわかる。
もう、これは――遊びじゃない。
ギィィ…
ギィィ…
ギギギィッ!!
レールを車輪が削る音が、まるで砥石に擦られた歯のように響く。
列車が横に傾き始めた。
顔を上げる。
この感覚――覚えがある。
軌道逸脱。制御不能な加速。
> 「違う…この速度は…もう制御外だ。」
自分だけに聞こえるように、低く呟いた。
ドガンッ!!
設計に存在しないループに突入。
俺はこのアトラクションの設計図を事前に調べていた。
このループは、存在していないはずだ。
乗客たちの体が横に押され、絶叫が鳴り響く。
アン・ダオが俺にしがみつき、目を見開いた。
> 「ディエット・ニャン…! なんか…おかしいよっ!」
彼女を見つめた。
その瞬間、時間が歪んだように感じた。
> 「もう…間に合わない。」
バキンッ!
レールが折れる音。まるで人間の骨が砕けるよう。
振り向いた――
一部のレールが、竜の腸のように歪んでいた。
後方の車両が脱線した。
金属の悲鳴。まるで殺される獣のような音。
世界が一瞬スローモーションになった。
そして、俺は叫んだ。
> 「全員――逃げろ!!」
内力を使い、後部座席のロックを解除し、乗客を次々と外に押し出した。
ドガンッ!バキンッ!ギシャアアッ!!
鋭利な金属が空を裂く。
セーフティーベルトが飛び、乗客が宙を舞い、血の匂いが煙に混じり始める。
俺は振り返った。
彼女の瞳が恐怖に染まる。
彼女を抱きしめた。
> 「なに…してるの…!?」
> 「守るんだよ。」
体に力を込め、彼女を庇うように体を傾けた。
ドガァンッ!!
二人とも列車から投げ出され、非常用ネットの上に叩きつけられた。
だが、それは観光客の安心のための飾りに過ぎない。
本物の事故を受け止められるものではなかった。
ボゥンッ!!
爆煙が立ち上がり、車体の一部が小さく爆発し、火花が散った。
背中の感覚が消えた。
でも俺の耳には、彼女の息遣いだけが残っていた。
まるで逆雨の中にいるような、
ボロボロの傘で俺を包もうとする彼女の気配。
> 「ディエット・ニャン…!ねぇ…!」
肩を揺さぶる彼女。
でも、俺は動かなかった。
> 「いやだ…お願い…起きてよ…」
その声は震えていた。
冷たく、かすれていた。
魂を呼び戻そうとする、誰かの祈りのように。
そのとき――煙の中に、足音が響いた。
地の底から湧き出るような、低く重い男の声が空気を切った。
> 「素晴らしい。完璧な…演出だった。」
目を開けずとも、彼女が震えているのがわかった。
彼女が顔を上げる。
煙の向こうから、一人の男が現れた。
黒いマントが足元を這い、炭のような残り火を引いている。
フードに隠れた顔の下――見えたのは、夜を裂くような、歪んだ笑み。
> 「楽しんでくれたかい?」
「安心して…まだ始まりに過ぎない。」
《目を覚ました時、そこにあったのは》
目を覚ました瞬間、最初に耳に届いたのは――
熱を帯びた風が耳元をかすめるように通り抜け、そのすぐ後に、右の方角から大地を揺るがすような爆音が轟いたことだった。
空気は焦げたプラズマの匂いで満たされ、煙と灰が空を覆っていた。
まだ目は開けていない。
だが、自分が地面の上に横たわっていることだけは分かった。
冷たく乾いた土の感触――
そして、誰かの手が、震えながら自分の手を強く握っていた。
その肌の匂いは懐かしく、まるで真昼に咲いたばかりの花のように甘く濃かった。
アン・ダオ――
彼女の手だった。
鉛のように重たい瞼を、なんとか持ち上げようとする。
胸は鈍く痛み、まるで何頭もの牛に踏みつけられたような感覚。
彼女の声は聞こえなかった。
けれど、掌の震えが、すべてを語っていた。
わずかに指を曲げてみる。
そっと、触れ合った。
---
> 「あたしの前で…先に倒れるとか、命が惜しくないの?」
その声はかすかだったが、
その一言一言が、胸を鋭く引き裂いた。
---
目を完全に開けることはまだできなかったが、
周囲の音は次第に鮮明になっていく。
冷たい男の声が、すぐ目の前から響いた。
> 「見事だった。まさに完璧な演出だ。」
身体が動かせない俺の前に、彼女がすっと立ちはだかった。
未だ燻る地面を踏みしめ、
土埃にまみれた髪を熱風が煽るなか、
その背筋は、まるで剣のように真っすぐだった。
彼女が深く息を吸い、問いかける。
> 「あんた、誰?」
> 「私はナンバー・ゼロフォー。Blazarの実地工作員だ。
ギャラクシーモールへの侵入、そして人工脳データの奪取――それが任務だ。」
「Blazar」――
その単語が耳に入った瞬間、心臓が一際強く跳ねた。
あの連中…もう人間ではない。
宇宙から来た異種生命体だ。
立ち上がろうとしたが、腹部に激痛が走る。
腰骨が折れているかもしれない。
それでも、彼女は一歩も退かなかった。
> 「データなら勝手に持っていけばいい。あたしたちは関係ない。」
> 「君は対象外だ。だが、邪魔をするなら――排除するまでだ。」
その言葉の直後、「シュッ」という風を裂く音が走る。
エネルギーの奔流が、真っすぐ彼女に向かって放たれた。
身体を起こしかけた俺は、声を出す間もなかった。
ビュッ――!
アン・ダオは身をひるがえし、瞬時にかわした。
彼女の髪が、青白い光に照らされて宙に舞う。
そのまま振り向き、右手を高く掲げた。
---
> 「相手を間違えたね。」
そして、彼女は指を鳴らした。
血のように赤い火の輪が、男の体を包み込むように巻きつく。
> 「あたしのダンナに…よくも手を出したわね。」
…思わずもう一度気を失いそうになった。
痛みではなく、あまりのかっこよさに。
男は唸るように低く言った。
> 「炎…君は火属性か?」
> 「炎なんて、表面だけよ。
本当の“根”が、あんたを生きて帰らせないの。」
言葉が終わると同時に、地面が震えた。
どこからか現れた木の根――
人の脚ほどもある太さのそれが、地面を突き破り、男の手足を絡め取る。
俺は言葉を失った。
これは…樹属性!
---
> 「属性を…二つ持っているのか!?」 – 男は怒鳴り、もがく。
> 「まだ“怒ったあたし”を見てないみたいね。」
その声を聞いて、鳥肌が立つほどぞくりとした。
でも、心の奥では誇りが湧き上がっていた。
彼女が歩み寄るたびに、足元に火が走る。
肩には煙が立ち上り、指先からは赤い炎が這い出し、
心臓の奥から竜が這い出るように燃え盛る。
俺は深く息を吸った。
この光景は――夢のように美しかった。
---
> 「あたしの夫は…まだ目を覚ましてないのよ。
あんた、よくも今のうちに焼かれなかったと思ったわね。」
男が咆哮をあげる。
身体が発光し、木の根を引きちぎった。
左腕から放たれた巨大なプラズマの柱が、周囲の植物を一瞬で焼き尽くす。
> 「面白い。」 – 目を細め、静かに呟いた。
そして、躊躇なくマントを脱ぎ捨てた。
中から現れたのは、魚の目のように光る数十個の球体。
それらが開き、半月型の光の盾となって宙を巡る。
> 「名乗る価値はあるだろう。私は…ナイロスだ。」
---
そう告げると、彼の体は真紅の光となって炸裂し、
まるでロケットの尾のように空へと飛び去った。
突風が吹き荒れ、木々がなぎ倒される。
そして――静寂。
俺は息を吐き、必死に体を起こす。
全身が、まるでプレス機にかけられたような痛みだった。
アン・ダオが振り返る。
瞳から炎がゆっくりと消え、目元に優しさが戻る。
彼女は膝をつき、そっと俺の額に手を添える。
> 「目、覚めた…?」
こくりと頷く。
> 「あんた、強すぎて…惚れ直した。」
彼女は深く息をついて、唇を噛んだ。
> 「もう…起きてこないかと思ったよ。」
俺はそっと彼女の手を握った。
> 「俺が簡単に死ぬように見える?」
> 「違うの。ただ…さっき手が血まみれで…」
その声は震えていた。
彼女の手もボロボロだった。
擦り傷だらけで、血が乾いてこびりつき、服も破れ、煙と湿った土の匂いが消えない。
俺は彼女をそっと引き寄せた。
> 「なあ、知ってた?」
> 「なに?」
> 「落ちたときさ、最後に思ったのは――
“俺が下でよかった。君が下じゃなくて、ほんとによかった。” それだけ。」
彼女はしばらく黙り込み――
コツン、と俺の額を軽く叩いた。
> 「バカ。」
俺は笑った。
そして、彼女がぎゅっと俺を抱きしめてきた。
> 「もう…こんな怖い思い、させないでよ。」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなった。
俺は背中をそっと撫でながら言った。
> 「大丈夫。まだスケートも行ってないし、
魚のすり身団子も、買ってやれてないんだぞ。」
---
彼女の目に涙がにじんだ。
でも、ふわっと笑って言った。
> 「ほんとにね、今ここに魚の団子とタピオカがあったら全部許すのに。」
俺は苦笑いした。胸はまだ痛むけど、幸せだった。
> 「なぁ…病院抜け出すか?」
> 「は?」
> 「公園行こう。今日のデート…まだ終わってないだろ?」
彼女はぽかんとした後、こくりと頷いた。
> 「うん。行かないと…怒るからね?」
---
少しして、救助隊が到着。
報道陣がカメラを向け、あちこちから声が飛ぶ。
> 「あの二人が奇跡の生還カップル!」
「赤髪の少女が列車を救ったらしい!」
「隣の男性は恋人? なんでこんなに早く意識戻ったの?」
俺はカメラを見据え、にやりと笑った。
> 「俺は――彼女の旦那だ。」
その言葉に、彼女は顔を真っ赤にして、そっと背中を向けた。
> 「やだ…恥ずかしすぎる…」
---
救急車でセンターへ向かう途中、
看護師に「休憩しますか? 病院に行きますか?」と聞かれ、
俺は適当に頷いた。
隣を見ると、彼女はすでに眠っていた。
土にまみれたその手は、まだしっかりと俺の手を握っていた。
俺は微笑んで、静かに目を閉じた。
痛みでも、恐怖でもない。
これは、安らぎ。
だって俺には分かっている。
次に誰かが俺を狙おうとしたら――
彼女は、この宇宙ごと燃やしてでも守ってくれる。
そして俺は、誰よりも早く立ち上がり、
彼女の手を取り、世界に向かってこう言うだろう。
「俺の妻に、手を出すな。」
消毒薬のきつい匂いが鼻先を突く。
救急室の冷たい空気が、白い布越しにじわじわと染み込んでくる。
僕は、ただそこに横たわっていた。
動けず、目を閉じたまま。
心電図の機械から聞こえる「…ピッ、ピッ…」という無機質な音だけが、唯一の証だった。
僕には、聞こえていたんだ。誰もそうは思っていなかったけど。
心臓の一拍一拍が、生と死の狭間にある糸を引っ張っているかのようで。
ベッドの傍らから聞こえるささやきは、まるで心に突き刺さる針のように痛かった。
でも、起き上がれなかった。
体は鉛のように重く、手足は氷のように冷たかった。
---
僕の隣に座っていたのは——彼女、アン・ダオだった。
彼女は僕が運び込まれた時からずっと手を握っていた。
死人のように冷たい手。
それでも、ぎゅっと力を込めて離さなかった。
まるで、僕を失うことを恐れているかのように。
今度こそ、目を覚まさないんじゃないかって——。
彼女は泣いていなかった。
一滴も、涙を流していなかった。
けれどその瞳には、堰き止められた川のように、今にもあふれそうな水がたまっていた。
> 「まだ…寝てるの?」
彼女の声はとても小さくて、まるで死者に語りかけているようだった。
> 「いつも私をかばってくれたよね…。私、あんたのために何かできたこと、一度もなかったのに。」
彼女の息が詰まるのが聞こえた。
手が震えていた。
僕の乾いた血がこびりついたその掌で、今は自分の頬を撫でている。
きっと、焼けるように熱かっただろう。
> 「さっきは……本当に怖かったんだから。」
「人生で初めて…あんたがいなくなったら、私、どうなっちゃうんだろうって考えたよ。」
---
彼女は立ち上がり、窓際へ向かった。
夜の街灯の光に照らされた小さな背中。
額をガラスに預けて、静かに目を閉じる。
> 「火を操る時も、木の根を引きちぎった時も、あのマント野郎と向かい合った時も……怖くなかった。」
「でも…あんたがもう息してないんじゃないかって思うと、それだけが怖かった。」
彼女が喉の奥で泣き声を飲み込む音がした。
> 「もしあんたが死んだら……」
「……この街、全部焼き尽くしてやる。」
---
十五分後。
外から足音が近づいてきた。
小さな声でのやりとりの後、ひとりの男がドアの前に現れた。
革のジャケットを着た中年の男性。
真っ直ぐな姿勢、広い肩、深い眼差し。
> 「アン・ダオ。」
「父さん、来たぞ。」
彼女は振り返り、目を赤くしたまま小さな声で答えた。
> 「…パパ。」
男は何も言わず、静かに彼女の肩に手を置いた。
その手は力強くも、優しかった。
まるで僕の代わりに、彼女を支えてくれているようだった。
> 「全部聞いた。ギャラクシー・モールでの件は、AEGISが処理済みだ。」
「あの男…ナイロスは、今G-12ステーションで尋問中だ。」
アン・ダオは黙ったまま僕を見つめた。
そして静かに口を開く。
> 「パパ……彼、目を覚ますと思う?」
男はすぐには答えなかった。
ポケットから煙草を取り出し、火をつけずにまた戻す。
その視線は、僕に向けられていた。
> 「まだ…あいつは行ってないさ。」
「あの子は…意地っ張りだからな。」
アン・ダオが微笑んだ。
泣きながら、笑った。
> 「ほんと、あいつの頑固さそのまんま。」
---
その瞬間、モニターの音が一段上がった。
ピッ、ピッ、ピッ。
僕には、確かに聞こえていた。
身体が少しずつ感覚を取り戻していく。
左手が痺れ、右足がズキズキと痛んだ。
額は熱く、顔には鈍い痛み。
でも——心臓は、ちゃんと動いていた。
そして僕は……指先を少しだけ、ほんの少しだけ動かそうとした。
彼女はそれに気づいた。
> 「あんた…!」
アン・ダオが僕に飛びつくようにして手を握った。
その手を頬に押し当てる。
まるで消えてしまうのが怖いかのように。
今度は涙を止めなかった。
それは熱く、静かに流れ落ちた。
> 「あんた、私の声聞こえるの…?」
僕はゆっくり目を開けた。
ぼんやりと映る彼女の顔。
そして、さらにぼんやりと天井の白い光。
> 「……ああ、聞こえる。」
声はかすれて、喉が引き裂かれるように痛んだ。
> 「……え? まだ生きてたん?」
彼女はすすり泣きながらも、くすりと笑った。
> 「じゃあ今まで横で泣いてたの、誰だと思ってたのよ?」
僕は眉をひそめた。
> 「看護師さんかと…」
彼女は僕の胸をポンと叩いた。
少し痛んで、思わずびくっとした。
でもその痛みが、僕を嬉しくさせた。
——痛いってことは、生きてるってことだ。
> 「あんた……起きてくれて、ほんとによかった。」
僕は彼女の目をじっと見つめた。
> 「大丈夫だった?」
「私は平気。重傷なのは、あんたの方でしょ。」
> 「……今度からさ、俺がかばうんじゃなくて、君が一人で死んでね。俺、もう体ボロボロ。」
彼女は真剣な顔でうなずいた。
> 「次は、私がかばう。」
僕は目を閉じて、ふっと息を吐いた。
> 「…そんなこと言われたら、もっと惚れちゃうじゃん。困るよ…」
---
その時、父親が軽く咳払いをした。
僕は目を開けて、彼に向かって小さく頷いた。
> 「お義父さん、おはようございます。」
彼は眉をひそめた。
> 「おい、冗談を言えるほど元気なのか?」
> 「そんなつもりじゃ…でも、二人が無事なのを見れて、それだけで…十分です。」
彼はしばらく僕を見つめたあと、ほんの少しだけ表情を和らげて言った。
> 「ありがとう。」
「本気で愛してないと、命なんか張れん。」
僕は小さく笑った。
> 「それなら……僕は、かなり本気だったみたいです。」
---
外の空が、徐々に白んでいく。
病室はまだ冷たかったけれど、僕の心は、少しずつ温かくなっていた。
だって僕は、わかっていた。
たとえこの先、どれだけプラズマが爆発しようと、
どれだけ空飛ぶ列車が脱線しようと、
どれだけマント姿の敵が押し寄せようと——
彼女さえ、僕の隣にいてくれたら。
手を握っていてくれるなら。
僕は、絶対に倒れない。
---
アン・ダオは、濡れタオルで僕の額を優しく拭いてくれた。
小さな声で、こう言った。
> 「私、今まで何も怖くなかった。でも…あんたが動かなくなったのだけは、本気で怖かった。」
僕は彼女の手を握り返し、軽く力を込めた。
> 「俺はね……君の顔を、もう一度見られなかったらって思うのが一番怖かった。」
彼女は顔を伏せ、そっと僕の手にキスを落とした。
> 「だったら、もうどこにも行っちゃダメ。」
「誰に呼ばれても、無視して。」
「私が許さない限り、ここにいなさい。」
僕は目を閉じて、微かに笑った。
> 「はい、奥さん。」
---
【数時間後】
医師が入室し、回復の具合を確認した。
数日で退院できる見込みらしい。
でも、ほとんど耳に入らなかった。
僕の視線は、ずっと彼女に向いていたから。
彼女は椅子に座り、時折小さくあくびをしながら、頑張って目を開け続けていた。
眠らないように。
僕を一人にしないように。
僕はそっと言った。
> 「寝ていいよ。俺が見張っててあげる。」
彼女は首を横に振る。
> 「私が寝たら……またあんた、どこかにいなくなっちゃいそうで。」
僕は笑った。
——今日、初めての、心からの笑顔だった。
---
そして、朝日が昇りきり、病室に差し込む。
その光の中で、僕は確信したんだ。
たとえこの世界が壊れても。
戦争が起きても、プラズマが爆ぜても、宇宙からロボットが攻めてきても——
この手を握ってくれる彼女が、そばにいてくれる限り。
僕は生きる。
戦う。
そして——愛し続ける。




