Episode 139
私は、あの子の部屋に足を踏み入れた。
背後でドアがバタンと音を立てて閉まり、カチリと鍵がかかる。
思わず唾を飲み込んだ。…恐怖からじゃない。
むしろ――この鼻先をくすぐる柔らかな苺の香りと、蜂蜜のようにとろける黄昏色の灯り、そよ風に揺れるカーテン……それらが妙に胸を締めつけた。
ここは戦場じゃない。
嫉妬に染まった、一人の少女の縄張りだ。
そして私は――罪を犯したばかりの男。
> 「そこに座って。床よ。」
「早く。」
声は相変わらず穏やかだった。
けれど、どこかに飴に潜むカミソリのような鋭さがあった。
私は黙って座る。
胡坐をかき、姿勢を正して。静かに。
殺気に包まれるのは初めてじゃない。
だけど、今回は――胸が高鳴るのは恐怖じゃない。哀しみだ。
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彼女が歩み寄ってくる。
裸足に、淡いグレーの寝巻き。髪はほどけ、瞳には朝の無垢さはなく、水と火が混ざりあうような光を宿していた。
> 「さっき、誰とデュエットしたの? ナ・マ・ンとでしょ?」
「あのレーザーライトの下で“月舞”踊ったのは、誰?」
「“銀河で一番お似合いのカップル”って呼ばれてたのは、だ~れ?」
私は深く息を吸って、吐きながら静かに言う。
> 「俺だよ。でも……先に誘ったのは彼女なんだ。」
> 「へぇ~?」
彼女が笑った。その笑みに……怒鳴られたほうがまだマシだった。
> 「“誘われた”がどういう意味か、わかってるのよね?」
私は何も言えない。窓の外の風すら止まったかのよう。
聞こえるのは――自分の鼓動だけ。
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彼女は背を向け、机の引き出しを開け、小さなノートを取り出す。
表紙には、こう書かれていた。
> 『恋愛反省ノート・第1巻』
> 「書いて。」
「100行。」
『僕は桜姫に対し、他の美女にうっとりしたことを心から謝罪します。』
「字が汚ければ書き直し。気持ちがこもってなければ破って最初から。」
彼女は私を見ないまま、淡々と告げる。
だが、ベッドの隣に座るぬいぐるみが――同情のまなざしで私を見ていた。
私はポケットからペンを取り出し、書き始める。
七つの惑星を囲い込む戦略も書いた。
モク・ゼツ帝国への反攻計画も練った。
だが――好きな子に書く100行の謝罪文こそ、
最も屈辱的で……最も愛おしい作業だった。
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十五分後。
手は痺れた。でも止まらない。
だって――彼女が、まだこちらを見ているのを感じていたから。
彼女は脚を組み、顎に手を添え、窓の外を眺めながら……
耳だけは私のペンの音を追っていた。
やがて、柔らかく、少し震えるような声が響いた。
> 「ひとつ、聞いていい?」
私は顔を上げる。
> 「もし、またナ・マ・ンみたいな人と出会ったら…綺麗で、優しくて、魅力的な人と……」
「……あなたは、また心が揺れる?」
私はペンを置き、ノートの上に静かに手を置く。
彼女の目は――真実ではなく、約束を求めていた。
> 「いや。君がいるなら……」
「世界中がどんなに美しくても――君が嫉妬して眉をひそめるその顔に、敵うわけがない。」
彼女は沈黙する。
そして――
ぬいぐるみを手に取り、私の顔めがけて投げつけた。
> 「バカぁ……!」
「そんなこと言われたら……心臓がバクバクするじゃない……」
彼女はそっぽを向く。
だけど私は見た。笑みが口元に滲み、瞳は潤み、耳は真っ赤に染まっていた。
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私は立ち上がり、彼女に歩み寄る。
> 「書き終えたよ。……許してくれる?」
彼女は私を見つめ、突然背伸びして、私の襟を掴み――
頬にそっとキスを落とす。
> 「仮免許ってとこね。」
その声は……まるで夜の虫のささやきのように小さく、
でも私の胸には、十年前の故郷の夏祭りの太鼓の音のように響いた。
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私は彼女を抱き寄せ、肩に頭を乗せさせる。
窓の外、月がぽっかりと空に浮かび、優しい火のように瞬いていた。
部屋は再び静けさを取り戻す。
もう、責める言葉も、嫉妬もない。
ただ――
私は、涙混じりで反省文を書かされた男。
彼女は――たった一つのダンスで心を痛めた少女。
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たぶん、嫉妬もまた、ひとつの武術なのだ。
極めれば、戦わずして――相手は膝をつく。
【22:45 ── オレの部屋、張家の城の三階】
部屋に入って、ドアをカチリと閉める。
薄暗い電灯がぽつんと灯り、
クーラーの風が、汗で濡れた髪を優しく撫でる。
背中は、誰かに二、三度踏まれたみたいに痛む。
そして魂は…たぶんまだ、どこかの戦場に浮かんでる――
名前は「彼女が嫉妬中」。
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> 「なあ、天龍さん……正直に聞くけど……」
「あんたも、こんな目に遭ったことあるんか?」
オレはベッドに仰向けになり、片手を額に当ててぼんやりする。
すぐ返事がないから、てっきり“不死身の神様”は俗っぽい質問に飽きれてるのかと…
けれど、頭の中に、千年修行の疲れを帯びたような溜息が漏れた。
> 「……お前、まさか……私がないとでも思ったか…?」
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オレは目を細めた。
> 「え、てことは……あんたもか?
オレみたいに、ピンクのボールペンで反省文書かされたん?」
> 「若い頃はな……」
声は、まるで懺悔のように淡々としていた。
> 「十七人いた。
その中に、繊細なのが三人、嫉妬深いのが二人……
そして一人は、怒らせたら……
陶器のトイレのフタの上で土下座させてきた。」
その瞬間、オレはバネのように跳ね起きた。
> 「えっ、そこで?マジで? で、その後どうなったん?!」
> 「その後、最後の女に出会った。
今の妻だ。」
一瞬の沈黙。まさか、今から甘い惚気か――と思いきや、
> 「彼女は、土下座なんてさせない。
代わりに……“課題”を提出させるようになった。」
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言葉が出なかった。
> 「……“課題”って……オレの想像してるアレ?」
> 「そうだ。」
> 「神クラスの武道を極めても……
“Endurance Trial(耐久試験)”は避けられへんのか……?」
> 「あれは避けるもんじゃない。
勝つために修めるんじゃない……
死なないために鍛えるんだ。」
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オレは再びベッドに倒れ込む。
枕がちょっと冷たくて、心も少しだけ冷える。
けど、彼の話を聞いて、人生にちょっと光が差した気がした。
> 「……聞いてよかった。
なんや、オレ一人ちゃうんやな。」
天龍がふっと笑う。
それは、初めて聞く“神の笑い声”だった――
けれどその中にあったのは、年季の入った夫の哀愁だった。
> 「ようこそ、大人の世界へ。坊や。」
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窓の外、月は静かに浮かび、
カーテンがふわりと揺れ、
風が少しだけ冷たくて、でも優しい。
オレは布団を胸まで引き上げて、
目を閉じ、最後にこう呟いた。
> 「反省文書かされて…姫の目ヂカラで黙らされて…
それでも生きてるってことは……
前世、よっぽど気合い入れて内功鍛えてたんやろな…」
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そうして、オレは眠りに落ちていった。
嵐は去ったと、そう思いながら。
……だけどまだ気づいていなかった。
**Stellar Academy(ステラ学園)**の奥で、
もっと静かで、もっと危険な“何か”が――
ひっそりと待ち構えていることに。
それは、嫉妬よりも厄介で、香りもしないものかもしれない。
【06:10 ── 張家の城・オレの部屋】
──ドンドンドンッ!──
ドアを叩く音はまるで大工のハンマー。
目も開けてないのに、魂がベッドから落っこちた気がした。
> 「起きて!もう遅刻やで、ジジイっ!」
あの声は……アン・ダオ。
プリンみたいに甘いのに、唐辛子みたいにピリッとくる。
オレは布団を頭から被って、うめいた。
> 「まだ朝の六時やんけ……勘弁してくれや……」
文句が続く前に、声のトーンが変わった。
> 「……反省文、書きたいん?」
その瞬間、オレは跳ね起きた。
パジャマのズボンに足が引っかかって、危うく頭から転げるとこやった。
> 「い、いらんいらん!もう起きた!今着替える、すぐに!」
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【06:30 ── 空飛ぶ通学カー・ステラ学園への道中】
オレが窓際、アン・ダオが隣。
「隣」っていうか……もはやぴったり密着。
腕に絡む彼女の手。
頭がオレの肩にちょこんと乗って、吐息が首筋にふわり。
香りは説明できへん……たぶん、“まだ言葉にできてない恋心”の匂い。
> 「ねぇ、知ってた?」
指先でオレの手の甲に円を描きながら、彼女がささやく。
> 「パパも、姉ちゃんも、ママも……今みんな出張中やねん。」
オレは少し眉をひそめた。
> 「え、マジ? てことは……今、お城の中には?」
彼女はくすっと笑い、瞳が細くなる。
> 「ふたりっきりやね。」
その瞬間、オレの心拍が一つズレた。
腹の中がグルリとひと回りする……期待と恐怖のミックス。
> 「じゃあ……誰も見てないってこと?」
> 「うん。時間を決める人もおらんし、監視もないし……
つまり、ふたりが何をしても、誰にも止められへん。」
クーラーは24度設定やけど、オレは額に汗。
> 「で、その……“何を”ってのは……具体的に何を、するんですか?」
彼女は口角を上げて、まるで企みを隠すように言った。
> 「なんでもないよ~?」
「ただ……ごはん食べたら、ちゃんとお皿洗ってや?」
オレは口を開けかけて反論しようとしたが、
そのうるうるした瞳にやられて、溜息しか出んかった。
半分怒りたい。半分……負けてる気がする。
---
【06:45 ── ステラ学園・正門前】
カーが校庭に着地した瞬間、空気がざわついた。
生徒たちの視線が一斉にこっちへ向く。
それは――嫉妬、羨望、詮索がごちゃ混ぜになったような目。
オレは黒のフィットジャケット、耳には宇宙を模したピアス。
その姿はまさに、「自分らしくあるからこそ輝く」モード全開。
そしてアン・ダオはというと――
髪を高く結い上げ、短めのスカートに長いコート、
朝日を浴びた白い肌がまぶしいほど。
一歩歩くだけで、男子たちの呼吸が止まりそうになってる。
> 「……めっちゃ見られてるやん。」
オレが小声でつぶやく。
> 「気にせんでええやん。」
「だって――カレシ自慢したいねん。」
そう言うと、彼女は急に顔を近づけて、
オレの頬に、**チュッ!**と一発かました。
固まるオレ。
太陽は昇ってるし、校庭はまるで祭り状態。
その中で……男子たちの希望が今まさに散った。
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風が吹き抜け、正門横の月桂樹が揺れる。
香りがほんのり流れてきて、消えそうで、残る。
オレは彼女を見る。
アン・ダオは相変わらず笑って、腕を絡めてる。
でも、その腕にはさっきより少し強い意志がこもっていた。
まるでこう言っているようだった。
> 「もう終わりやで。
アンタはもうウチのもんや。
誰にも奪われへん。」
オレは心の中でため息ついて、
口元は苦笑い。
> 「同じ屋根の下やしな……
これから、何が始まるんやろ、ホンマに。」
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でも、その瞬間。
胸の奥で、言葉にできへん予感が膨らんだ。
それは、恐怖とも違う。喜びとも違う。
まるで……大きな物語が動き出す、その始まりの気配。
ただ一つ、確信できるのは――
> 「あの城……
もう二度と、静かな場所には戻らんのやろな。」
教室の扉が開いた──
深淵から吹き上がるような、氷の風がそっと空気を裂く。
俺は顔を上げた。
入ってきたのは──李遵だった。
もうあの頃の、
一年生の時に肉まんを分け合っていた、優しい友達の面影はない。
その顔には一片の情もなく、
紅蓮のように燃える瞳、
手にするのは《堕剣・血絶》。
冷気をまとい、黙して歩くその姿は──まるで怨念の化身だった。
> 「李遵……」
思わず呟いた。心が締めつけられる。
彼は誰にも目を向けず、ただ静かに席へと向かう。
その背中には、もう俺の知ってる“李遵”はいなかった。
> 「……変わったな、あいつ。」
喉が、竹の棘を飲み込んだみたいに苦い。
---
戦術近接戦教師、教壇に現る
空気が震えた。
教室全体が、一瞬で制圧されたように静まり返る。
> 「最高評議会からの命令だ。」
「“戦技大会”を開く。」
「一年から四年、全員参加。」
「申請しなければ、無作為に選ばれる。」
息を呑む音が、あちこちで聞こえた。
俺の胸も、かすかに波打つ。
直感が告げていた──
これが、俺の運命を変える。
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放課後・校庭の片隅(16:45)
壁にもたれて彼女を待っていたら──
杏子が駆け寄ってきて、腕にしがみついてきた。
その目は、イタズラをして叱られる前の子猫みたいに潤んでる。
> 「ねぇねぇ、一緒に出ようよ?」
「私と君でダブルス! 見た目も強さも最強カップルって感じじゃん!」
俺は微笑んで、前の芝を見つめた。
> 「闘うのは苦手だけど……
君が望むなら、やるさ。」
彼女の笑顔がはじけて、笑窪が小さな銀貨みたいに光る。
そして跳ねるように俺の周りをくるくると回る。
> 「約束だよ? 明日、申し込みに行こ!」
「忘れたら……おしおきだからね〜〜♪」
そのまま、校庭のど真ん中で頬にキスをくれた。
周りの連中が、息を飲んで固まったのが分かる。
---
夜・張家の城の一室
夜風が静かに舞う。
部屋には、蜜のような灯りが床にこぼれていた。
窓際のソファで彼女と寄り添いながら──
眼下にはケシの花が揺れている。
彼女は白いサテンのナイトドレス、
髪を垂らし、俺の胸に頬を預けていた。
そのぬくもりは──まるで新月の光。
> 「ねぇ……」
「パパとママが出張してから、このお城、ずっと寒かったの。」
「でも君が来てから……なんだか熱い。」
俺は彼女を見つめる。
鼓動が、やけに静かに響く。
> 「……暖炉のそばで寝てるからじゃない?」
彼女は首を振って、目を細めて笑った。
> 「違うよ。君のそばで寝てるからだよ。」
息を止めたくなるほどの、やさしい静寂。
---
彼女はそっと身を寄せ、
小さな手が俺の腿に触れ、すべるように動く。
誘ってるのか、試しているのか──あるいは、その両方か。
俺は彼女の手をそっと握った。
> 「明日、試合だろ? …エネルギー、残しとこう。」
彼女は斜めに微笑み、囁いた。
> 「大丈夫、私が闘うわけじゃないし。
君が集中力を失えば、それで勝ち♡」
ドアは開いてる。
カーテンが風にゆれる。
花の香りが吹き込んで──
焚き火に油を注ぐみたいだ。
俺の鼓動が、詩になって彼女に語りかけているようだった。
---
> 「ねぇ……」
声は、小さくて、でも火傷しそうなほど熱い。
> 「もし明日、私が怪我したら……君、泣く?」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐ見つめた。
> 「……君を傷つける者がいれば──
その者は、もうこの世に存在しない。」
彼女は俺の手をぎゅっと握りしめ、まつ毛が震える。
> 「もしね、私が君を好きすぎて……
君が苦しくなったら、どうする?」
俺は額にそっとキスを落とした。
> 「なるよ。でも──
それでも、俺は受け止める。」
---
彼女は起き上がり、目元が赤く染まっていた。
悲しみではない。
感情が溢れすぎて、心がついていけなくなっただけ。
唇と唇が重なった。
急ぎでもなく、欲でもなく──
言葉にできない誓いだった。
やがて、俺は耳元でそっと囁いた。
> 「同じベッドで、同じ戦場へ……
きっと簡単じゃないよな?」
彼女は俺の耳に唇を寄せて、甘く囁く。
> 「簡単じゃない。……でも、それが好き。」
---
外では、風が吹いていた。
月は静かに、変わらずそこに。
そして俺たちは──
血と愛が交錯する戦場へと向かう。
けれど、最も危険なのは、
戦場ではなく──
きっと、心の中にある。