Episode 133
私は「審問室」と呼ばれる部屋へと案内された――
だが、今まで見てきたどの法廷とも違っていた。
それは半月形の空間。
まるで宇宙のど真ん中に投げ込まれた氷塊のように冷えきっており、
白光は太陽の心臓から直接絞り出されたかのごとく眩く、
皮膚を貫いて毛穴の一本一本まで照らし出す。
周囲には十二の存在――
それが「銀河判官」と呼ばれているらしい――が、銀の高座に鎮座していた。
顔は古代神の像のような発光仮面に隠され、
声は口からではなく、頭蓋の奥に直接響いてきた。
一言ごとに重力が乗り、まるで天そのものが押し潰してくるかのようだった。
私の背後には、重機甲に身を包んだ護衛たちが並ぶ。
その身体には手首から肩、背骨に至るまであらゆる兵器が仕込まれており、
私のことを、今にも爆ぜる時限爆弾のような目で見つめていた。
拘束はされていなかった。だが、自由でもなかった。
まるで、ただの目線と恐怖によって繋がれた野獣のように――
私は肩をすくめてから、中央の椅子へとゆっくり腰を下ろす。
足を組み、両手を膝に置いた。
何も言わず、ただ一つあくびをしてみせる。
――本当に、眠かったのだ。ここ数日、ろくに眠っていなかったから。
> 「地球001号星より移送された対象――コードネーム:滅人。
ステラ学苑にてS級エネルギー反応を引き起こし、
数百万の学生および管理システムへ重大な影響を与えた。
その危険性、計測不能。」
眉をひそめ、私は気怠そうに訊ねた。
「……で、それが全部か?」
僅かな沈黙ののち、別の声が響いた。
> 「我々は君を罰するために呼んだのではない。」
私は仮面を一瞥し、鼻で笑う。
「ほう……それじゃあ、皇帝にでも任命しに来たのか?」
冗談を投げたが、誰も笑わなかった。
続く声は静かだった。
> 「我々は――君に“銀河護衛隊第五六五部隊”への参加を要請したい。」
空気が変わった。
まるで爆発後の硝煙のように、重く、張りつめた沈黙が支配する。
背後の護衛たちすらも動揺し、目を見交わす。
警戒の色は消え、そこには畏敬が滲んでいた。
中の一人は小さく頷いた。
――「ああ、確かに……俺たちはこいつが怖かった。」
私は笑った。
だがその笑みは、喜びでも愉悦でもない。
この「銀河」という大仰な世界への、唾棄のようなものだった。
「私は、ある人間の娘を護衛するという役目すらまだ果たしていないんだ。
それなのに、今度は“宇宙を救え”だと?――悪いけど、忙しい。」
その返答は、頬を張るよりも痛烈だった。
だが、三番目の者は動じなかった。
> 「君が拒否するなら、それでも構わない。
だが理解してほしい。
君のエネルギーは、いかなる記録をも超越している――
天文主神ですら、類似データを持たぬのだ。」
私は眉を上げ、上空を見上げる。
「……そりゃすごい。」
その時だった。右側の壁が光り、巨大なスクリーンが現れる。
そこには凶悪な顔面の群像、
そして下には赤字でこう流れていた。
“A+級犯罪者 – 宇宙脅威レベル”
> 「見よ。これはXZ-9区画に収監されている連中だ。
封印システムが崩壊すれば――銀河全体が崩壊の縁に立たされる。」
私はそのリストを斜めに見る。
どれも、まるで悪夢の物語から抜け出したような名ばかり。
黒影鎌――次元を引き裂く刃。
神殺胎――かつて一つの生きた星を丸呑みした者。
四無令――一息で母星を塵に還す。
暴虐聖女――反逆せし光の女神。
私はしばし黙し、それから低く笑った。
「……まるで中二病全開の名ばかりだな。
けど――あんたたち、怖がる相手を間違えてるぜ。」
> 「……どういう意味か?」誰かが問う。
私は立ち上がり、静かに警護壁の前まで歩を進める。
その場に立ち止まり、銀の高座を見上げた。
下から差す光が顔を照らし、目の奥まで焼きつくようだった。
声は低く、だが一語一語が切れ味を持っていた。
「A+級がどれほど強いか、まだ疑っているなら――
……一匹、解き放ってみろ。
私とぶつけろ。
一戦、交えさせろ。」
室内は静寂に沈んだ。
誰一人、息を飲むことすら忘れたかのように。
私は両手をポケットに入れたまま、像のように立ち尽くす。
「――もし私が敗れたら、殺せばいい。
だが、もし勝ったら……」
言葉を止める。
その時、私の瞳からは倦怠が消え失せていた。
代わりに宿っていたのは、宇宙すら凍るような、凍てついた光。
「……二度と、私に命令などしようと思わないことだ。」
室内の空気は、まるで液体のように重く、濃密に凝縮していた。
私は、七次元の力場で完全に密閉された空間の中央に立っていた。
壁の一つひとつが震えている――
先ほど完了したばかりの変形機構の余韻が、なおも残っていた。
壁は静かにスライドし、円形の広大な闘技場が現れる。
まるで巨大なスタジアムのような空間。
しかし、外にいる者たちは微塵の衝撃さえも感じないだろう。
何層にも重なる青紫のエネルギーフィールドが、あらゆる衝撃波を封じ込めていた。
これこそ、権力と富を持つ者が選ぶ“静かな死”の様式だ。
――声もなく、跡もなく。
こうして私のような存在は、世界からこっそりと消される。
やがて、一隻の小型戦艦が滑るように姿を現す。
交渉のためではない。私はそれを見ただけで理解した。
「ドン」と、鈍い衝撃音と共に、艦の扉が開く。
現れたのは、もはや「獣」としか言いようのない存在だった。
身長は六メートル近く、皮膚は焼かれたバサルトのように深紅に染まり、
隆起した筋肉の上を、血のように光るプラズマの脈動が走っていた。
奴は口角を持ち上げ、処刑機の刃のような歯を見せて笑う。
> 第三審判官の無機質な声が響く。だが、その声には酒の古い香りが滲んでいた。
「囚人番号A+ 019――マシク・デヴォウラー。
巡察艦9隻を破壊し、指揮官ウコンを生きたまま咀嚼。
全雷光銀河域において、遺伝子研究が全面禁止された個体。
……本日、例外とする。」
マシクの双眸が私を見据える。
まるで魂を吸い込もうとする、二つのブラックホールのように――
> マシクが唸る。その声は、嵐を裂く雷鳴のようだった。
「貴様が……俺に挑む者か?」
私は肩を払う。片目だけで奴を見つめた。
> 「お前が『A+級』とやらか。 ……その割に、ずいぶんと……弱そうだな。」
わかっていた。この一言で、奴は激昂する。
それこそが、私の狙いだった。
> 「死ねえぇぇぇっ!!」
奴は猛獣のように咆哮し、突進する。
一歩踏み出すごとに、床は軋み、空間が短く裂け、電気の火花を散らす。
---
最初の一撃――
空気を裂き、真紅の反動を生む拳が飛んでくる。
私は首を少し傾けて、それをかわす。ひと息、深く吸い込む。
二撃目――
腰を狙っての横殴り。私は体を反らし、水面をなぞるような足取りで流す。
三撃目――
上から潰すように叩きつけてくる。
私は半歩、ちょうど指一本分の距離で後退する。
奴の攻撃は次第に狂気を増し、呼吸が乱れ、精度が崩れる。
一方で私は――
ポケットに手を入れたまま、黒いコートをひるがえし、
風に揺れる髪の奥で、心は一滴の波紋もない深水のように沈んでいた。
> 私は唇を歪めて言う:
「でかい図体で、動きは飴漬けのサソリみたいに遅いな。 力はあるが、当たらなきゃただの風だ。」
奴が吼える。喉奥から放たれたプラズマの奔流――
銀河鋼さえも溶かすそれが、私の肩先を掠め、焦げた金属の匂いを残した。
---
何千という観測機器が、今この瞬間を捉えている。
映像の構図、台詞の間、動線――
すべてが、まるで脚本に従う映画のようだ。
私は、第二審判官が目で合図するのを見た。
言葉など要らない。わかっていた。
> 第二審判官:
「映像を記録せよ。
銀河全域へ生配信。
千年に一度の新人だ。」
> 第三審判官は呟く。
「歴史が……書き換えられる瞬間を見よ。」
歴史、だと?
権力者どもは、誰かが少しばかり喧嘩に強いだけですぐそう言いたがる。
だが私は、歴史など「書かない」。
私は、それを「引き裂く」。
---
もう十分だ。
私の肉体が、刹那、静止する――
弓の弦が限界まで引かれた瞬間のように。
> 私は低く囁いた:
「――じゃあ、試験、始めるか。」
私は跳躍する。
左足で奴の肩骨を踏みつけ、電柱のような腕を逸らす。
奴が咆哮する前に、私の膝が奴の腹に突き刺さる。
乾いた「パキン」という音――まるで乾いた椰子に岩を打ちつけたようだった。
奴は動きを止めた。
私はくるりと宙に舞い、まるで踊るように身を回す。
> 「この一手は……『早送り試験』だ。」
---
次の瞬間、私の右足が横へと閃いた。
音もなく、波動も起こさず――
だが、六メートルの巨体が、まるで抜け殻のように宙へ浮いた。
奴は吹き飛ぶ。七層に重ねられた空間障壁を貫き――
私は見た。
一枚ずつ、力場が裂け、開く。
奴が強すぎるのではない。
私が、開かせたのだ。
奴の体は流星のように飛び、いや――
ただの石ころが、碁盤から蹴り飛ばされたようだった。
遥か彼方、太陽の輝きが最後の閃光を放ち、
奴のすべてを、黄金の口の中へと呑み込んだ。
――骨すら、残らなかった。
---
> 勝者:滅人
エネルギーランク:A+++超過 / 測定不能
場内は沈黙に包まれた。
私は、その空虚な宇宙の中央に立ち、
無数のドローンカメラを一瞥し、
面倒くさそうに背を向ける。
> 軽くあくびをしながら、私は呟いた:
「もっと強い奴、いねぇのか? ……いないなら、時間を無駄にするなよ。」
---
そう言った。だが、胸の中は空っぽだった。
あの一撃は、勝つためのものではない。
忘れるための一蹴――
今朝、彼女が私を抱きしめた時の、桜の香り。
私が渡したお守りを握る、その細い指の微かな震え。
笑おうとして、笑えず、
ただ、月下の月見草のように潤んだその瞳――
私は、奴を太陽へ蹴り飛ばした。
だが、私の心は――
あの誰よりも寒い惑星に残された彼女を、今も探していた。
《塵煙がまだ晴れぬうちに──》
私の姿は、六十五の銀河の空を覆っていた。
予告もなく、準備もなく。
名もなく、年齢も知られず、ただ一瞬──
六メートルの囚人を蹴り飛ばして、まるで何事もなかったように歩き去っただけ。
そして、すべての銀河系のニュース画面に文字が走る:
> 【速報】千年に一度の新人現る──A+級犯罪者を一蹴で沈黙させた
名:不明(通称:絶人)
場所:裁判所ステーション7D・第565銀河域
私は気にもしない。
足はまだ少しだけ痛む。
まぶたは重く、眠気が襲う。
---
部屋は、梅雨の古寺のように静かだった。
林檎を剥く音が、ぽつり…と遅くなる。
> クォック・クォン(ぽつりと呟く)
「この子はなぁ…
信号の見方すら教えてないのに、物理法則をねじ曲げよったか…」
画面の隅には、私の一蹴りで男が太陽へと飛んでいく映像が繰り返し流れる。
アイン・ダオは息を呑んだ。瞳が揺れ、光が滲む。
> アイン・ダオ(携帯を手にしながら、かけられずに囁く)
「今朝… 一緒に登校したのって……あの子?」
答える者はいない。
沈黙を割くように、背後から低い声が響く。
> タイン・フエン(闇から一歩出て)
「彼は……審判会議すら、遥かに超えていた。」
---
会議室は、古びた墓所のように静まり返っていた。
映像は止まり、私が試合場を出る瞬間を映している。
目を細め、両手をポケットに、威圧も誇りもない姿──
静けさの中に、嵐が潜んでいた。
彼らの視線を感じる。
彼らの思考も感じる。
だが私は、知っている:
誰も──私を理解できはしない。
> 審判長(画面から目を離さず、低く語る)
「いまだかつて…
凡人がA+級を、かくも容易く超えた例はない。」
> 審判者三号(仮想煙草を吸いながら、頭を振る)
「彼は戦士ではない…
“未知”だ。そして“未知”は、解かれるべきではない。」
> 審判者二号(片唇を吊り上げる)
「宇宙を必要とする者がいる。
だが、宇宙そのものと成る者もいる。」
---
私は歩く。速くもなく、遅くもない。
金属の廊下に、足音が柔らかく響く。
その先に、扉が開き──
遥かなる青き故郷への船が、微かに見えていた。
タイン・フエンがそこに立っていた。
黒髪が風に揺れ、瞳には不安と安堵が交錯している。
背後から、年老いたが確かな声が響く:
> 審判長(声高に)
「絶人よ!
今は拒むのもよかろう。
だが──いつか、十分に生き、十分に学び、十分に愛し、
それでも心に空があれば……
この銀河は、いつでもお前の席を空けて待っている。」
私は振り返らなかった。
> 私(穏やかに、夕風のように)
「……また、誰かが本気で俺を奮わせたなら、来るさ。」
そして、船へと足を踏み入れる。
扉が静かに閉じた。
私はひとつ、欠伸をした。
ちょうどその瞬間、船は静かに離陸する。
星の間に、風の音が消えていく。
---
《地球──外交着陸区域》
船が降り立ち、塵がまだ舞う中、
歓声が津波のように押し寄せてきた。
私は立ったまま、二分も経たぬうちに、
襟も整わぬうちに──
“群衆”という波が押し寄せてくる。
> 「あれだ! 絶人だ!!」
「間違いねぇ! A+犯罪者を蹴ったヤツだ!」
「サインくださいっ! 触らせてぇぇ!!」
足を動かす暇もなく、無数のドローンの光が顔を照らし、
まるで水槽の中の魚のような気分だった。
目の前の何百という視線──
女子学生の驚き、記者の荒い呼吸、ライブ配信中の泣きじゃくる少年──
この世界は、いつまで私を飲み込み続けるつもりだろう。
私は呟いた:
> 「……クソ、もう出られねぇな。」
一歩踏み出せば、誰かが襟を引き、
誰かが腕を掴み、
誰かが「英雄」やら「救世主」やらの烙印を押してくる。
群衆は待ってくれない。
誰かが柵を超え、誰かが私へと走り出す。
ドローンが四方から私を映し出し──
“私”ではない“何か”を創り上げようとしていた。
私は、この場所には属していない。
左足を静かに踏み下ろし、
二本の指をそっと広げる。
何年も崩さぬ私の鼓動に合わせ、印を結ぶ。
> 「天書絶技──影天子雲歩。」
---
《無極身法──影天子雲歩》
すうっ──と。
走ったわけでも、飛んだわけでもない。
私は、ただこの世界から「抜け出した」。
時は水となり、空間は塵となる。
重力さえも──凡人の記憶の中の幻想となった。
私は包囲を破ったのではない。
包囲という「概念」から脱したのだ。
人は、強者とは限界を破る者だという。
だが私は、破る必要すらなかった。
私は──
最初からその限界には「属していなかった」。
風が、袖をすり抜ける。
その風は、この天地のものではない。
それは、私の中に吹く風だ。
私はその風の中を、歩いた。
---
《チュオン家の城館──果樹園》
水撒きホースからこぼれ落ちた水滴が、まだ地に届く前に。
私は、そこに立っていた。
クォック・クォンはすぐに振り返る。
戦場で鍛えた反応は、決して錆びぬ。
> 「くっそぉ……なんで!?!?」
私は両手をポケットに入れたまま、微かに首を傾げる。
人混みの喧騒とは違い、ここの空気は湿った大地の香りがした。
> 彼が唾を飛ばしながら怒鳴る:
「お前、天から降ってきたんか!? 急すぎやろが!!」
私は静かに笑う。
笑っているのは、おかしいからではない。
それは──
真昼の露のように、自分の行き場を探しているだけ。
> 私はゆっくりと語る:
「ただ、帰ってきただけさ。
ついでに言うと──外の報道陣、暇そうだな。」
クォック・クォンはため息をついた。
彼のその仕草には、私が“普通の人間”ではないことを受け入れる覚悟があった。
---
《城館内──客間》
アイン・ダオは客間で座っていた。
テレビの光が顔に映り、
彼女の目は混乱する群衆を映すライブ映像に釘付けだった。
手には携帯。
おそらく、私にかけようとしていたのだろう。
> 彼女は小さく呟く:
「まさか……群衆に巻き込まれて……」
私は、静かにドアを開いた。
その音すらなかったが、彼女の心には波が立った。
私はぶどう園の風をまとい、中に入る。
> 「え……? あんた、なんで……!?」
私はすぐには答えない。
数秒、彼女を見つめる。
髪は少し乱れ、テレビ画面には私の姿が映っている。
私は片目を閉じ、優しく微笑む:
> 「近道を通って帰ってきただけさ。」
---
《沈黙》
彼女は黙った。
私も黙った。
その沈黙は、長く離れていた者同士のもの──
言葉を交わさずとも、心が通じる静寂。
私は隣に座った。
背は椅子に預けながらも、心は彼女へと傾いていた。
彼女の手が微かに震える。
私は自分の手をその上に重ねる。
強く握ることなく、ただ──互いの鼓動が感じられるほどに。
テレビでは、今も群衆が叫び、
ドローンが飛び交い、
人々が「私」の名を呼ぶ。
だが、この場所には──彼女しかいない。
そして私──
すべての限界を越えた人間は、
たったひとつのまなざしを求めて戻ってきたのだ。




