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Episode 126

まだ夜明けは遠く、太陽は未だ、魔界の灰と血の雲の奥にて呻いていた。

私は、かつて幻想的な玉池の平原と呼ばれた地――今では灰と屍、そして血の染み付いた戦場の只中に立っていた。


足元から、何かが不気味に軋む音を立てた。

次の瞬間、大地が鳴動する。


「――ドンッ!!!」


地面が裂けた。

いや、正確には、内側から引き裂かれたのだ。


黒き瘴気が地平線の彼方から吹き荒れ、地獄の季節風のごとく襲いかかってくる。

私は直感的にそれを感じた――生と死が肌に突き刺さるような空気を。


> 「まさか…あいつらが…蘇るというのか?!」

数十丈離れた場所にいた一清が、震える声で呟いた。目は恐怖に見開かれ、今にも裂けんばかりであった。




彼の言葉は、虚言ではなかった。

私が滅ぼしたはずの魔物たちが――再び甦ってくる。しかも、倍に、いや三倍に膨れ上がって。


私はその暗黒の壁を見つめた。腐敗した体、虚ろなる憤怒の瞳。

まるで死んだのではなく、ただ、深淵からの「呼び声」を待っていただけのように。


その「呼び声」が、いま、鳴り響いたのだ――。



---


そしてその瞬間、闇の中心にて、地面が…爆ぜた。


深淵から、煮え滾る溶岩のような何かが噴き上がる。

黒く、粘り、煙を吐くそれは――だが、ただの物体ではない。


それは、「彼」だった。

魔王。


もはや、かつての人の姿、二丈の体などではなかった。


彼は今、数万の兵士の断片たる魂、魔物の怨念、千年にわたる憎しみと一体となっていた。

それらすべてが合わさり、百丈を超える、異形の巨躯を成していた。


凄まじく、醜悪で、天さえもその姿に息を呑んだ。


彼の両目は、沈みゆく太陽のように赤かった。


そして彼は…私を見た。


> 「ディエツ・ニン(Diệt Nhân)……」

その声はもはや一人のものではなかった。

それは、地獄そのもの――幾百万の魂の咆哮が混じる、異界の響きだった。




> 「死ネ、我ノ為ニ!!!」




彼が突進してくる。


空間が裂ける。絹のように、脆くも無残に。



---


私が反応する間もなく――


ドンッ!!!


一撃。

一つの世界を背負うがごとき圧が、私の立つ場所を直撃した。


避けきれなかった。


> 「ダメェェェ!!!」




その叫びは、私のものではない。

二つの声――


チン・リン(Thanh Linh)とシャオ・ヒェン(Tiểu Hiển)。


彼女たちは、どこからともなく星のごとく飛来し、

一切の防御も、躊躇もなく――その攻撃を、全身で受け止めた。



---


空間が崩れた。


私は吹き飛ばされ、岩に頭を打ち、背は衝撃で裂けた。


しかし、ほんの数秒で目覚めた時、そこに彼女たちはいた。

爆心地の中心で、己が体で全てを支えていた。


血が…唇から、一滴、また一滴と零れていた。


> 「ディエツ・ニン……」

チン・リンが嗄れた声で笑い、

「逃げて……」




> 「貴方が…生きていれば…希望は…残るの……」

シャオ・ヒェンが微かに頭を傾けて囁いた。




> 「泣かないで……あなた…強い人でしょう……?」

その微笑みには、星のような最後の光が宿っていた。





---


自分がどんな声をあげたか、覚えていない。


ただ、私は立ち上がり、彼女たちを抱きしめ、

全霊の「影天子雲歩(Ảnh Thiên Tử Vân Bộ)」を放ち、魂を焦がして戦場を離脱した。


空間が歪み、世界が反転した。


一瞬の呼吸のうちに、私は彼女たちを、あの懐かしい場所へと連れ戻した――

夜咲く月下のキササゲ(花)を三人で眺めた、静寂の地へ。


そこに彼女たちをそっと横たえた。


だが――すでに遅かった。



---


> 「ディエツ・ニン……ごめんなさい……」




> 「貴方のために死ねること……それが人生で一番幸せだった。」




その言葉は、風のように消えた。


私は目を見開いた。

必死に一つの呼吸、一つの指の震え、掌の温もりを探す。


だが――何もなかった。


血も、痛みも、もう存在しない。


彼女たちは、消えようとしていた。



---


息ができなかった。

まるで、万古の重さを持つ無形の手が、首を締め上げるようだった。


目の前で…


彼女たちは霧のように消えていく。


朝露のごとく。

焔に焼かれる花弁のごとく。


誰も叫ばなかった。呻き声もなかった。

ただ――あの瞳だけが、全てを物語っていた。


かつて私を見つめた、無垢で、愛しくて、時に怒ったその瞳が、

今はただ…空虚だった。


彼女たちは逝った。


私の魂の一部を…連れて。



---


草に伏せた朝露の上に、二つのブレスレットだけが残された。

それは、彼女たちが初めて共に過ごした日に贈り合ったものだった。


私はそれを拾い上げた。


指が震える。

その瞬間、私はもはや私ではなかった。


呼吸も、鼓動もなかった。


胸にはただ…漆黒の虚無だけが広がっていた。



---


私はただ、そこに座った。


言葉もなく。

涙もなく。


叫びもせず。

呻きもせず。


ただ――沈黙の中にいた。


そして、世界が震えた。



---


> 「貴方、私たちのために…復讐してくれますか?」

「消えてほしくない…」

「たとえ身体は消えても、魂は貴方の傍にいます…」




その声が聞こえた。

それが幻か、記憶の彼方からの残響か、分からなかった。


私は空を仰いだ。


かつて、月があった場所。


今は、煙だけが漂っていた。



---


私はかつて、戦士であった。


血と別離に慣れていると、自らを信じていた。


感情に縛られぬ者として、生きることを誓った。


だが今、私はただ――

二つの魂を失った男に過ぎなかった。



---


誰も教えてくれなかった。

この瞬間を越えて、どう生きればいいのかを。



---


誰かが言った。


> 「死は恐るるに足らず…

本当に恐ろしいのは、生き残った者が、“何のために生きるか”を失うことだ。」




かつて私はその言葉を嗤った。


だが今――その言葉は、血を啜る鎖のように、私の首を締めていた。



---


私はブレスレットを握りしめた。


黒き気が…身の内から沸き上がる。


それは、外からのものではない。


内なる痛みが、涙にはならず――

力へと昇華したのだ。


名もなき、力。



---


> 「……いいだろう。」

私は呟いた。




立ち上がる。

風は吹かず。空も明けない。


だが、私の歩む一歩ごとに、大地は裂けた。



---


魔王はまだ、生きている。

私も、まだ生きている。


だが――彼女たちは、もういない。


ならば、この世界すべてが……その代償を払うことになるだろう。



---


> 「彼女たちは、私を苦しめるために死んだのではない。

私が、何も失うものなどない存在になるために――逝ったのだ。」




私は歩み出す。

その足跡ごとに、草が燃えて、灰となった。



---


神が怒りに目覚める刻が――いま、来た。


風は止み、

血は凝り、

光は――地上に届かなくなっていた。


私は立っていた。

ふたつの最愛の命を埋めた静寂の空間に、ただ黙して。


その手には、彼女たちの腕輪を冷たく握りしめ、

胸は…空虚ではなかった。


いや、満ちすぎていたのだ。


あまりにも満ちて、限界が――崩れた。



---


ドン!!


天を突き破るような轟音が、

第七天までも切り裂く斬撃の如く響いた。


私は天を仰ぐ。

空の雲は赤き裂け目を晒し、

熔岩のように溶け流れ、

無数の稲妻が龍の如く虚空を舞う。



---


> 「雷牢――」

「爆星撃ッ!!」




宣告も、警告もない。


私は――

すでに放っていた。



---


それはもはや「人」の仕業ではなかった。

心を失った神の怒り――

その雷が、私を借りて噴き出した。


私は、魔王の背後へと現れた。


音もなく、気もなく、

あるのは――死の「存在」のみ。


私の手には、「天魂魂鉄」。

かつて「凡庸」ゆえに捨てたその杖は、

今や天の底から燃え上がる聖なる炎を纏っていた。


その周囲を走る雷光はもはや蒼ではない。

漆黒。

光と闇の区別など、私にはもう――存在しなかった。



---


雷球が渦巻き、球ではなく、

小さな惑星の如く回転し、引力を持ち始める。


私は人として打ったのではない。


魂に触れるがごとく、

その杖を魔王の肌に――そっと、触れた。



---


杖が皮膚に触れた、その瞬間、すべてが――


止まった。


心臓は鼓動を忘れ、

風は呼吸をやめ、

世界は、静謐に凍りついた。


そして――


爆ッ



---


光は消えた。

雷鳴も去った。

何も、何一つ、残っていなかった。


ただ、空虚。


宇宙から重心を奪われたかのような、真なる「虚無」。



---


魔王の身体は吹き飛んだ。


その半身は、この世に存在しなかったかのように散り、

胸部と腕の一部が地に落ち、

砕けた骸のように、岩と共に崩れた。


彼は…まだ息をしていた。

半壊した顔で、残された左目を光らせ、

それでも、消えぬ怨念だけを宿して。


> 「貴様…まさか…」

「それを…習得していたのか…」





---


私は答えなかった。


ただ、震える手を見ていた。


恐れからではない。


まだ…怒りが、終わっていない。


あれは、ただの――**序章プロローグ**に過ぎなかった。



---


> 「死ぬ前に…」

彼が震えた声で言った。




> 「貴様に…全てを与えたりは…しない……」





---


私は一歩、後ろに退く。


本能が叫ぶ――危険だ、と。


そして、私はそれを「視た」。



---


彼の片腕が、天へと掲げられた。


胸の裂け目から流れる黒い血が、

空へと舞い上がり、

蛇のように渦を巻く。


それらは落ちず、燃えもせず――

「動き出した」。


古き言語。時空族すら知らぬ、

この宇宙の根源に連なる文字たち。



---


> 「あれは攻撃じゃない……」

私は理解した。




> 「――封印だ。」





---


目が収縮し、

口の中は刃で裂かれたように乾いた。


それは、私を倒すためではない。


それは、彼自身を甦らせるためでもない。


それは――

彼すら恐れる「何か」を呼ぶための術だった。



---


空中で、血の紋章が渦巻く場所に――


扉が、裂けた。


それは光の門ではない。

冷え切った次元の穴でもない。


それは――黒。


視線すら飲み込む、絶対的な黒。



---


その扉の向こうから、声が響いた。


> 「我を開けし者よ――」

「汝の愛しきものを、永久に…失うだろう。」





---


私は拳を握りしめた。


風が、再び吹き始める。


戦場全体が、震えた。



---


> 「死を望むのか…」

私は呟いた。

それは、かすかな、風の囁き。




> 「いいだろう。」




> 「だが――

私が愛したものを巻き込むな。

再び、それに触れようとするなら……」





---


私は、「天魂魂鉄」を掲げた。


左手も、同時に光を帯びる。


それは破壊の印ではなかった。


介入のための――術式。



---


> 「神字無心しんじ むしん――天体無我てんたい むが




私は詠じた。


私の肉体は、煙のように解けた。


重力も、形も、意味を失い――

私は、存在の概念と化した。


神でも人でもない。


天体てんたい――

時空と意志の狭間に生まれし、名もなき存在。



---


私は、降り注ぐ全ての術をすり抜けた。


抗うことなく。

自らを最小の粒子に分解し、

その封印の枠を超えるために――


あの「扉」の前へと、辿り着いた。



---


その先に、何がいるのか――私は知らなかった。


ただ一つ確かだったのは、

もし、これが完全に開かれれば……


この世界は、

二度と、光に触れることはない。



---


> 「チン・リン……シャオ・ヒェン……」

「私は…貴女たちを救えなかった。」

「もはや、凡人として生きることもできない。」




> 「だが――」

「私は、貴女たちの魂を…」

「闇に踏みにじらせはしない。」





---


私は、「天魂魂鉄」を振り上げ、

空間の裂け目に――もう一度、「打った」。


破壊のためではなく、

封じるために。



---


それはまるで――

棺の蓋を打つ者のようだった。


生まれてはならなかった「何か」へ、

最後の一撃を。



---


空は紅蓮に染まり、

大地は震撼する。


門の奥から漏れ出る光が、

封印されし獣の咆哮の如く、呻き声を上げた。



---


私は――立っていた。


ただ一人で。


雷の空と血の雲の間に。

名を知らぬ死と、守るものなき命の狭間に。



---


> 「終わったのか…?」

私は尋ねた。

誰も、答えなかった。




> 「それとも…始まりに過ぎぬのか?」


あるものは、生命よりもなお強きものがある。


それは──すべてを滅ぼしたいという、己さえも巻き込む意志である。


彼は、生きることを欲しない。


魔王が望むのは──世界すべてが彼とともに死に絶えること。



---


私は立っていた。己の手によって砕かれたばかりの惑星の廃墟に、勝利の一瞬すら味わえぬまま──


──奴が、叫んだ。


その咆哮は天を裂き、まるで遠き古の封印を破った悪鬼の嘆き。


もはや肉体の原型を留めぬ存在の、朽ちた喉から迸った、万古の怨嗟だった。


> 「──寂滅幻星ッ!!」





---


瞬間。


大地は消え、空も消えた。


残ったのは──亀裂のみ。



---


> 「…これは…一体……」私はかすかに声を漏らした。

だが──誰も聞かぬ。

誰一人、生き残ってなどいない。





---


世界は朽葉の如く、静かに崩れ落ちていく。


大地は──ただ裂けるのではない。

幾層にも重なる次元が割れ、砕け散る。

まるで鏡の破片のごとく、剥き出しの虚無が層を成して広がってゆく。


天空は──まるで誰かの掌に握られた硝子の如く、音もなく砕ける。

亀裂は銀河の果てまでも延びていた。



---


地殻の奥深く、数百万層のマグマに埋もれていた惑星の「核」が、姿を現す。


それは──一つの「目」だった。

真紅に輝き、見開いたまま、じっと私を見据えていた。



---


私は震えた。


恐怖ではない。


──「理解」によって、だ。


奴は私を倒す気ではない。


すべてを──この宇宙の存在そのものを、抹消しようとしている。



---


風が吹いた。


いや、吹き上がった。


大地の底から天に向かって、逆巻くように吹き上がる異様な風。


雷は──天から落ちるのではなく、地底から吸い上げられていた。


木々は焼かれることなく、まるで根を持たぬ幻の如く、蒸発して消えた。



---


> 「……お前は狂ったか……」

私は一歩退いた。だが──もはや踏み出す地はなかった。




> 「歴史そのものから、自らを消し去るつもりか?」





---


奴は笑った。

口ではなく──崩壊しつつある「呼吸」で、だ。



---


山々は宙に吸い上げられ、粉々に砕かれて塵と化す。

血も、肉も、魂も……すべてが、古の術の中心に飲み込まれていく。



---


> 「逃げろ!!!」

脳内に響く声──天龍だった。




> 「この古術は……

時間・空間・物質のすべてを消し去る!

逃げ遅れれば──存在ごと抹消されるぞ!!」





---


身体を動かそうとしても──無理だった。


私の肉体は既に、ひび割れていた。


衝撃波が神経の繋がりを断ち切り、感覚を喪った。

胸は痛まない。

代わりに──私の血は、空へ飛ぶのではなく、亀裂へと「還って」いく。



---


> 「……逃げられぬ……」




> 「倒すしかない……奴を……この手で……」




> 「黙れ!!!」

天龍が叫んだ。

初めて──私の意志を強引に押さえつけた。




> 「私はお前、お前は私──もはや選択はない!

お前が死ねば……

私も消える!!」





---


その瞬間。


私の肉体が、光り出す。


黄金の輝き──それは、ある時代の終焉を告げる落陽の如き光だった。



---


天龍が、私の肉体の主導権を奪った。


私は退いた。


抗わなかった。


初めて──私は、己の内なる存在を「信じた」。



---


> 「片手で印を結び……

もう片手で空間を裂け……」




天龍は咆哮する。


> 「──穿座柱虚空門!!」





---


私の額の中央に──空間が裂けた。


それは魔力ではない。


意志によってこじ開けられた「裂け目」だった。


その門は、「逃げ道」ではなかった。


それは、私を現実から──剥ぎ取る門。



---


> 「破っ!!!」




私は、門に吸い込まれた。


消えた。


大地が崩壊し、世界が自らを呑み込む寸前──私は、そこにいなかった。



---


……


……


目を開けると──私は銀河の只中にいた。



---


地はない。

空もない。


ただ、無数の惑星が、塵のように漂っているだけだった。


私は何も理解できなかった。


──そして、振り返る。


> 「地球──私がいたその場所が……」




爆ぜた。


爆弾のようにではない。


第二の太陽となるかの如く、燃え上がった。


大陸も、海も、山も──宇宙の塵となって砕け散った。


……誰一人、生き残っていなかった。



---


私は、動けなかった。


それが──私たちの世界だった。


人々の世界だった。


すべての存在の場所だった。


今は──何も、ない。



---


> 「……お前は、私に命を貸したな。」

天龍の声が響いた。

疲れ果て、砕け散りそうな声。

まるで、あの術式で魂の半分を失ったかのように。





---


私は、応えなかった。

呼吸も──止まっていた。


私は、ただ立っていた。


足を置く地すらないこの宇宙で。

涙を聞く人もいない。

風に乗る言葉もない。


──ただ、「沈黙」があった。



---


そして、その沈黙の中で……

私の中の何かが──変わった。


怒りは──もう、ない。


悲しみも──もう、ない。


ただ、一つの問いが残った。



---


> 「もし世界がもう存在しないのなら……

私は──何のために、生きるのか?」


私は……宇宙の中で、溶けていく。


いや、伝説の武侠譚にあるような、壮絶な最期──血と骨が億万の破片となって弾け飛ぶような死ではない。

もっと穏やかで、もっと緩やかな……まるで、人生で最も寒い冬に吐く最後の吐息のような死。

鼓動一つ一つが雪と化し、脈々と流れていた血が雲となる。


私の肉体は、銀河を漂うただの影。

もはや重さも形も持たず、虚空に揺れる霞のよう。

魂は、細くて長く、そして氷のように冷たい銀の糸で身体から引き裂かれていくように、ひび割れていく。


私は悟った。

これが、終焉だと。


私は知っていた。

あの技……それは惑星を滅ぼす古の術。

誰も成し得なかったことを、奴はやった。

私の「意志」を、殺したのだ。


けれど――


> 「ゴホッ……ゴホッ……よし、芝居は終わりだ。」




頭の奥で、誰かが大きくあくびをするような声が響いた。

眠たげで、軽薄で、異様なほどに落ち着いていた。


閉じていた私の目が、わずかに震える。


> 「……天龍てんりゅう?」




名を呼んだ理由はない。

証拠も根拠もない。

だが――この宇宙で、あの怠惰さで万物を支配できる者は、彼しかいない。


> 「ん。」




一言だけ。

数千年の眠りから目覚めた神の声のように、淡々としていた。


> 「あの惑星破壊の古術? まあ、本気出せばクシャミ一つで消せたけどね。」




……


私は凍りついた。

思考が、ブラックホールに吸い込まれるように消えていく。

唇が震え、喉が詰まった。


叫びたい。

罵りたい。

銀河を蹴飛ばしたい。

だが、力が……もう、残っていない。


> 「ちょっと大袈裟に演技して、君がどう反応するか見てただけだよ。」 「若い子ってさ、自分が宇宙の中心だと勘違いするんだよね。」




一呼吸置いて、彼はくすりと笑った。

天上の者のみが許された、あの無限の余裕を帯びた笑い。


> 「俺はもう証明することなんてないけど、パニクる子どもたちを見るのが、やっぱり面白いよね。」




私は……泣きたくなった。

痛みのせいでも、敗北のせいでもない。


死をかけて挑んだ戦いが、神の暇つぶしだったと知ったから。


私の魂が裂けるように、脳内で叫びがこだました。


> 「じゃああの時、本当に惑星が吹き飛んだのはマジだったのか⁈」




> 「うん、本当だよ。」

彼は買い物帰りのような軽さで答えた。

「でも別にいいじゃん。あの星、宇宙の闇市で安く買ったやつだし。吹っ飛んでも損はしてないよ。」




涙が出そうだった。

けれど、重力のない場所に涙は存在できない。


私は黙った。

頭の中に無数の罵詈雑言が渦巻く。

だが、どれ一つとして、この感情を表現するには足りなかった。


> 「正直に言えよ……」

彼の声に、今度は明確な「からかい」が混じる。

「あの時、あの技を見て、カッコつけたつもりだったんだろ?」 「でも俺にはわかったよ。君、ガタガタ震えてた。」




私は――沈黙した。

魂さえも、息をひそめるほどに。


……確かに、彼の言う通りだった。


もし死ぬなら、せめて誇らしく死にたかった。

だが、あの瞬間。あの古術が降りかかったその瞬間。

私は、震えた。


この世界が理解できなくなったのだ。

私は自らの命の限界に手を伸ばしたつもりだった。

だが、彼の視界では――私はただの塵だった。


> 「じゃ、そろそろ。うちの嫁が俺をギャンク(襲撃)しに来る。」 「課題提出の時間だ。」




彼は、怠け者の学生が妻に叱られて勉強を始めるかのような口調だった。

神の威厳など、どこにもない。

ただ、あまりにも自由で、果てしない声だけがそこにあった。


> 「じゃあな、チビ。ちゃんと休めよ。」 「もうすぐ宇宙がお前を必要とする場所へ運んでくれるさ――運命が、お前を目覚めさせるために。」




最後の言葉は、そよ風のように軽かった。

だが、私には運命の重みそのものに感じられた。


私の身体が、凍っていくのを感じた。


血の粒が止まり、

神経が氷結し、

足の先からまぶたまで、青い氷が静かに広がっていく。


私は――彫像になる。


眠る像。銀河の中心で。

崇められることも、思い出されることもない。

だが、その姿は──かつて「死」に抗った者のそれ。


> 「眠れ、滅人じんめつ。」 「次に目覚める時……宇宙は新たな神を求めているだろう。」




その声は、まるで母が最期にくれた子守唄のように響いた。

優しく、冷たく、そして逆らえぬものだった。


そして私は、流れ始めた。


周囲に無数の星々が、古き舞のように回り出す。

導く者はおらず、目的地もない。

ただ、銀河の渦が私を包み、名も知らぬ次元へと連れ去っていく。


私は、どこへ向かうのか分からない。

一年後か、一世紀後か――それとも、神の瞬きのうちに目覚めるのか。


ただ一つ、確かなことがある。


これは「終わり」ではない。


これは――「始まり」だ。


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