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Episode 120

ドォォォン——!


背後で巨岩の扉が閉ざされ、まるで地中深くに埋もれた雷鳴のような音が大気を震わせた。


足裏から広がる震動。 それは大地からではない。 胸の奥——そこから来たものだ。


その瞬間、私は正式に閉じ込められた。


「蔵経剣閣」—— そう呼ばれる場所に。


鉄鎖もなければ檻もない牢獄。 だが、ここでは剣士すら狂うという。 その理由は——本である。



---


> 「三ヶ月間。」 「誰も入らず。誰も出ず。」




老師・蘇一清の声が、呪詛のように頭の中を渦巻いていた。


> 「書とは剣なり。」 「修行とはまず心を研ぐこと。その後に力を鍛える。」




ふざけるな。 誰が“剣の修行”を「読書」から始めるなどと言った?



---


目の前に広がる景色は、文字を愛さぬ者にとっては悪夢そのものだった。


書架は山のごとく高く、 石壁は古書でびっしり覆われている。 粗い石段が階層を結び、読書者を青空の果てへ導こうとしていた——命があれば、の話だが。


天井には霊石が無数に埋め込まれ、 淡い光が霧のように垂れ込めている。 空気は冷たく、沈鬱で、埃と朽ちた木の匂いが満ちていた。



---


私は首を傾けて、深く溜息をついた。


> 「これが修行だと……?」 「書物と埃の臭い……まるで墓所じゃないか。」




> 「あの老いぼれ、俺を文字の海に溺れさせて乾涸びさせ、後世への教訓としてミイラにする気か……」




返事は、なかった。


驚きはしない。


天龍—— 心の中に潜むその影は、この場所に入ってから沈黙を守っている。


声もなく。 夢もなく。 感覚のひとひらすらない。


まるで彼自身もまた、この書の山に押し潰されたかのように。



---


私は近くの書棚に足を運び、手を伸ばした。


獣皮に包まれた背表紙は、まるで干からびた骨のように硬い。


目に留まったのは、見慣れぬ一冊。


> 『剣心訣・第一解』




それを引き抜いた瞬間、顔に塵が舞い散る。 霊気を帯びた古の香りが、微かに鼻をくすぐった。



---


数ページを捲る。


幻界の古文字—— 私は一度も学んだことのない文体だった。


だが、筆致は剣の刃のように鋭く、 一文字一文字が精神を切り裂いてくる。


読み進めるほどに、胸が冷えていく。


私は石の書架にもたれ、腰を下ろした。



---


> 「くそ……この文字、昨日の剣気より鋭ぇじゃねえか。」




> 「修行だか拷問だかわかりゃしねぇ……」




頭を掻きながら、天井を仰ぐ。


そこには細長い裂け目が走り、 その隙間からは微かに風が鳴っている。


まるで——


読みすぎて狂った者たちの、幽かな息吹のようだった。



---


ここには誰もいない。


師もおらず。 仲間もおらず。 戦う相手すらいない。


あるのは、私一人。 そして、万冊の書だけ——



---


目を閉じ、天龍の気配を探す。


だが、何も感じられない。


皮肉もなく、 笑い声もなく、 あの時折くれた“導き”すらも——


全てが、消えた。



---


> 「……やる気満々ってか、おい。」




> 「手も口も出さず、ただ書に溺れて砕けろってかよ……?」




目を開く。


私の瞳に、霊石の光がぼんやりと映っていた。


それが光だったのか、涙だったのか。 胸の奥が、ただ苦かった。



---


だが—— 私は崩れるわけにはいかない。


倒れてはならない。



---


私は手を伸ばし、さらに三冊を取った。


『識魂剣道』、

『心法入識』——

そして、題名もなく、 表紙にはまるで血痕のような、奇妙な印が刻まれた一冊。



---


私は読み始めた。


一頁。二頁。


文字の一行一行が、鋼の釘のように脳髄に打ち込まれてくる。


私は意志の力で、自らを抑え込む。 燃え上がらぬように。



---


広間は静まり返っていた。


人の声もなく。 鬼の呻きもなく。 ただ書を捲る音と、私の心音だけが響く。


それは、胸の奥から打ち鳴らされる戦鼓のようだった。



---


天井の裂け目から風が流れ、 どこからか葉が一枚舞い込み、足元へと落ちた。


私はその枯れ葉を見つめ、 そして再び、読み進めていた書の頁に目を戻す。



---


> 「誰も俺に剣を鍛えてくれぬ。誰も力を与えてくれぬ。誰も技を授けてくれぬ。」




> 「ならば、己が己を鍛えよう。」




> 「この文字が血のように苦くとも—— 俺は、呑み干す。」





---


私は顔を上げる。


遥か彼方、書棚の最上層。 霊石の光はもはや蜘蛛の糸のように細くなり、 ほとんど闇に溶けていた。


——あそこは、きっと。


本当に強い者のための場所なのだろう。



---


ならば——私は登る。


血を滴らせてでも。 背を折ってでも。 魂を裂き、心を砕いてでも。


登ってみせる。

蔵経閣の奥深くにて、私は——

ほとんど眠らず。

ほとんど食さず。

誰とも語らず。……いや、語る相手など、最初からいなかった。


残されたのは、私と書だけ。


私は読む。

まるで魔に取り憑かれたかのように。

文字という命の雫を、渇きに飢えた者のように、貪り飲む。



---


> 「滅人は休まぬか?」 「滅人は眠らぬのか?」




否——

誰にも問われる必要はない。

理解など、求めていない。


何故なら、私は既に——

人が「悟り」と呼ぶ境地に、足を踏み入れていたからだ。



---


書の頁は、もはや文字ではなかった。

それは——剣だった。


私は読んでなどいない。

私は漂っていた。

無限に降り注ぐ剣の雨の中で、魂が裂かれ、生まれ変わろうとしていた。


鋭く、深く、そして——危ういほどに強く。



---


目は窪み、髪は汗に濡れて張りつき、唇は焦げ紙のように乾いていた。

だが、その手はまだ動いていた。

幻に浮かぶ剣の軌跡をなぞるように。


指一本——気を導く。

肘の捻り——勢を転じる。

一歩の踏み込み——攻から避へと化す。



---


> 「飛行剣……狭間に潜む刃。」 「七絶式……一剣を七に分け、風を巻き起こす。」 「流光影剣……心より生まれる影、意思で形を変える幻刃。」 「剣道無極——剣にあらず、意思こそが剣なり。」





---


私は独りごとのように呟いた。

だが、その一言一言は、十余の古書を読み尽くした果てに生まれた結晶だった。


ふと息を吐いた。

その吐息は白く輝き、壁に向かって飛んだかと思えば、

分厚き石壁に刻まれる、刃のような焦げ跡を残した。



---


常人には、きっと信じられぬだろう。

だが——

この一月の間に、私は蔵経閣の半数以上を読破していた。


読み流したわけではない。

読んだ。

記した。

心に刻んだ。

そして、練り上げた。



---


この場所の景色は、何一つ変わらぬ。


冷たい石の天井。

微かに照る霊光。

空へ届かんとする書棚。


だが、私自身は——

入った日の私では、もはやなかった。



---


> 「すべては……剣術である。」 「術も、拳も、心法もない。」 「これは……純なる剣宗の地だ。」





---


私は軋む体を起こし、姿勢を正した。

肩の衣は裂け、踵からは血が滲む。

だが、一歩一歩の歩みは——

まさに剣のように、真っ直ぐであった。


胸から吐き出された一息。


その白気は鋭く、岩壁に黒き焦痕を刻むほど。



---


> 「……強くなったな。」 「だが、剣に偏りすぎたか。」





---


私は腰を下ろし、冷たき石棚に背を預ける。

霊石の淡き光が天井より射し、微かに私の目を照らした。



---


> 「もし相手が法術使いならどうする?」 「気属性、水属性、毒霧などを操る者が来たら……剣だけで通じるか?」





---


試してみた。


掌に気を集中させ、小さな法球でも生み出そうとした。

かつて市井の術者たちがしていたように。


……だが、無駄だった。


私の内なる力は、

水も、火も、風も、土も——一切を拒絶していた。


唯一宿るは、「金」。


斬る力。

破る力。

殺す力。



---


> 「天龍……」 「剣以外、貸してはくれぬのか?」




……


沈黙。


彼はやはり、何も語らぬ。



---


私は乾いた笑みを漏らした。


それは、古の墓に響く鴉の声のように虚しくこだました。



---


> 「ああ、分かってたさ。」 「俺を一度、底まで堕とさせてから登らせる……お前のやり口だろう。」





---


天井を見上げた。


そこに輝くのは、剣気が結晶となり放つ、鋭く淡い光。

それは希望ではない。

ただの宣告であった。



---


> 「生きたければ——剣になれ。」 「勝ちたければ——全てを斬れ。」 「生存を望むなら——人であってはならぬ。術でも、火でも、水でも、土でもなく。」 「なれ、剣となれ。」





---


私は立ち上がった。


背は、疲れで丸まり。

目は乾いて久しく瞬かぬ。

だが、両足は——

嵐を越えた者のように、確かな歩みを刻んでいた。



---


私は歩を進めた。

最も深き書棚の元へ。


そこには、もはや光すらなく。

埃もない。

冷気のみが漂い、そして——


一冊の黒布に包まれた無題の書が、静かに待っていた。



---


私は手を伸ばす。


その瞬間——


一筋の気が、肌を貫き、心臓を貫いた。


まるで——見えぬ刃。



---


私は唇の端を吊り上げた。


> 「これが剣であるならば……心を削ってでも学び取るしかない。」





---


何故なら私は知っている。


私は——剣によってしか、生きられぬ者。


そして、一度でもそれを選んだ以上——


この剣を、誰にも——


折らせはしない。

まるで百年の夢から覚めたばかりの夢遊病者のように。


秋の初風が、襟元を掠める。


冷たい。

心まで震えるほどに——冷たい。


だがそれは寒さのせいではない。


全てが、変わってしまっていたのだ。



---


玄青宗の門は、開き放たれていた。


門番もいなければ、

修行の掛け声も、

道場に響く足音すらない。


ただ、木々の枝をすり抜ける風の音。


そして、ちぎれた糸に揺られていた銀の風鈴が、

石段に転がっていた——

忘れ去られた子どものように。



---


> 「玄青宗……」 「どうしてこんなにも静かなのか……?」





---


私は黙って門をくぐる。


足元には、乾いた落ち葉。

雑草が伸び放題に、かつて毎朝掃き清められていた石段を覆っている。


最後にこの場所を見たのは——

背後で重々しい石扉が閉じられた、あの瞬間だった。


あの時、まだ人の気配があった。


笑い声。

炊事の煙。

教えの声。


だが今は——

風が朽ちた瓦屋根をなぞる音しか聞こえない。



---


本堂を通り過ぎる。


石柱の一本は倒れ、青苔がびっしりと覆っていた。


祖師の位牌壇はひび割れ、

香炉の灰は冷えきり、

木札は真っ二つに折れていた。


埃にまみれた石畳の上——

風に吹かれて、一枚の紙が私の足元へと転がってきた。


私はそれを拾った。



---


> 【通達】 各大派の再編と、優秀な弟子を主門へ集中させる戦略により、

玄青宗は正式に解体されました。

すべての精鋭弟子は、以下の二派へ転属されます:

『万剣仙宗』および『玉鈴仙宮』。





---


紙を手放す。


それは風に乗って、ふわりと宙に舞い、

まるで最初から存在しなかったかのように消えていった。


> 「……もう、誰もいないのか。」





---


私は空を仰ぐ。


私が出るのが遅すぎたのか?

それとも——

最初から、誰も私の帰りを待ってなどいなかったのか?


……分からない。

だが、責めることもできない。



---


私は背を向ける。


その時——

天を裂くように、一道の光が雲間を駆けた。


五色の雲の輿が、空を越えて飛んでいく。


その上に立つ、ふたつの人影——

見間違えるはずがなかった。



---


小顕。青鈴。



---


彼らは——変わっていた。



---


小顕は、蓮華宝台の上に堂々と立ち、

高く束ねた髪、星のように煌めく瞳。

金色の法衣を纏い、背には神話に語られるような『金虎影』が浮かぶ。


青鈴は——冬の初雪のように冷ややかだった。


風に舞う長髪。

その全身には『蛇王』の気配が漂い、

白衣を翻す姿は、まるで人界に降り立った仙女のよう。



---


その周りには、

法力だけではなかった。


霊獣。

光彩。

そして、内弟子にしか纏えぬ、玉鈴仙宮の威厳があった。



---


私はただ、そこに立っていた。


名を呼ぶこともせず、

ただ——見ていた。


彼らは私に気づかなかった。

あるいは、気づいても、私を認めなかった。



---


> 「私たち、正式に玉鈴仙宮の内弟子に選ばれたの!」

——小顕は笑って叫んだ。まるで戦場へ行く子供のように手を振りながら。

「次の妖獣討伐、見に来てよ! すごい技を見せるから!」





---


> 「新しい技も編み出したわ。」

——青鈴は自信に満ちた微笑みで続けた。

「霊魂・霊獣・鼓動——三つを繋ぐ心法。

師匠は『心霊合道戦』って名づけたの。」





---


私は——黙っていた。


微かに笑った。


それは、誇らしさの半分。

そして、毒薬のように苦い残りの半分。



---


> 「……彼らは、本当に、遠くへ行ったんだな。」





---


彼らには、法宝がある。

霊獣がある。

師匠がいる。

天賦の才が、万中に一つの光を放っている。


……では、私には?



---


私は自らの手を見下ろす。


そこにあるのは——

剣の鍛錬で固くなった掌。

塵に染まった足。

そして、脳裏に焼きつく——一本の剣。



---


> 「私は……ここに立ち尽くすだけ。」 「剣しか、ない。」 「獣も、法も、門派もない。」 「誰も待っていない。」 「誰の記憶にも、私は残っていない。」





---


風が吹く。


私は襟を引き寄せる。


寒さのせいではない。


心の隙間に、風が吹き抜けていた。



---


だが私は——笑った。


それでも、笑った。



---


> 「私たちは……それぞれ、前へ進んでいる。」 「ただ、進む方向が違うだけ。」





---


私は背を向けた。


彼らの名を呼ぶこともなく。


かつて共に食べ、修練し、笑い合った時間を問うこともなく。


——もう、必要ない。



---


空は、夕暮れの金に染まっていた。


私は歩いた。


ゆっくりと。だが一歩一歩が、剣のように研ぎ澄まされていた。


一人。


ただ一人。


落葉に覆われた小道を行く影ひとつ。



---


そして私は、ふと思った。


> 「もし天が、私に剣以外の何も与えぬというなら——」 「……ならば、この剣で天を裂いてみせよう。」

それは、山と人界の境。

誰も通らぬ、踏みならされた三叉路。


帰るべき場所はもうない。

向かうべき地もない。


目の前に広がるのは、

灰のように白く曇った空。

薄煙に沈む天の裂け目。


背後にあるのは——

自らの足音で砕かれた、乾いた落葉の音のみ。



---


私は空を仰いだ。


> 「たった三ヶ月か……」 「それなのに、すべてが変わってしまった。」





---


小顕。青鈴。


彼らは既に、蓮台に立ち、名声を得、霊獣を従え、導師の元へと進んでいる。


そして、私は——


蔵経剣閣を出ただけの男。

剣もなく、霊獣もなく、師もおらず、同志もいない。



---


私は笑った。


その笑みは、干上がった大地を渡る風のように、

薄く、乾いていた。


> 「ならば……」 「剣を学び、剣を持たぬなら……」 「……探しに行くしかあるまい。」





---


私は跳ね起きた。


衣の裾が宙を舞い、石に積もった微かな埃を払う。


黄昏の光が、木漏れ日となって差し込む。


その光は、途切れながらも剣の形を成し、

折れた剣のように、儚く、美しく、痛ましい。



---


私は山を下りる。


荷もない。

案内もない。


ただ、胸に宿る一念だけがある。


> 「自分だけの剣を——必ず手に入れる。」





---


下山の道すがら、私は心の奥で、ふと呼びかけた。


意識していたわけではない。

ただ、癖のように。


> 「おい、あんた……天龍。」 「まだ生きてんのか?」 「俺が修行してる間、ずっと黙り込んでやがって……まさか本当に死んだか?」





---


すると、まるで異界の彼方から返ってくるような、間延びした声が響いた。


> 「ほお……ようやく思い出してくれたか、小僧。」 「すまんな。お前が読書してる間、わしは……嫁に課題を出されておってな。」





---


私は足を止めた。


> 「は?」 「課題? どういう意味だ、それ。」





---


> 「正直に言えば、修道室に閉じ込められてな。」 「“無極龍母心経”とやらを詠め、と……」 「名前だけで、目眩がするわい。」





---


私は思わず噴き出した。


生まれて初めて見た——

「古神」を名乗る者が、まるで下町の尻に敷かれた亭主のような姿を晒すとは。


> 「なるほどな、神でも嫁には敵わぬと。」 「気の毒に……よし、もう笑わん。」 「でな、俺はこれから剣を探しに行くつもりだ。何か案はあるか?」





---


天龍は咳払いをひとつして、低く重い声で答えた。


> 「山の西を下り、血古河のほとりに市場がある。」 「あそこには、書にも記されぬ剣がいくつか眠っておる。」 「だが、忘れるな——“目”で剣を選ぶな。」





---


> 「……は? 剣を選ぶのに、見て確かめずにどうする。」





---


> 「違うのだ。」 「ある剣は、心を映して姿を成す。」 「ある剣は、道に従って隠れる。」 「ある剣は……苦を知った者の前にだけ、姿を見せる。」





---


私は黙った。


天龍の声は、歳月の淵から響くように、深く、響いた。


> 「剣は、ただ握るものではない。」 「共に生きるものだ。」 「真の剣は、お前を“知り”、お前を“受け入れ”、お前と“痛み”を分かつ。」





---


> 「……じゃあ俺はどうなんだ?」 「そんな物好きな剣、どこにある?」





---


> 「分からん。」 「今のままでは、まだ“値しない”。」 「だが——運命は、時に悪戯好きだ。」





---


私は再び空を仰いだ。


血のように赤い楓の葉が、一枚、頬を掠めた。


それは、風に舞い、空中でくるくると踊ったかと思えば、

地に落ちた。


音もなく。

美しすぎて、寒気がするほどに。



---


> 「じゃあ、行くか。」 「お前もさっさと課題終わらせろよ。嫁に経文百回書かされたら恥だぞ。」





---


> 「……小僧よ、その一言で涙腺が緩むわ。」 「神の身でも、所帯の前では屈するしかないとはな……」





---


私は笑った。


それは、かつてないほどに澄んだ笑みだった。


もう、鬱屈もない。

劣等感もない。



---


私は歩を進めた。


その姿は、霧のかかる坂道に溶け、

衣は風に舞い、

西陽の塵を引きながら、夕闇へと消えていく。


剣は持たず。

名もなく。

頼る力もない。



---


あるのは、ただ——


剣の心。



---


> 「一万里を歩いてでも、一本の剣を得るのなら——」 「……私は歩く。」





---


> 「百の屈辱に耐えて、一度“剣士”と呼ばれるのなら——」 「……私は耐える。」





---


> 「この世の誰も、私に剣を握る資格がないというのなら——」 「……その剣に、自ら選ばせるまで。」





---


夕暮れが迫る。


太陽は山影に沈み、

新たなる旅が始まる。


宗もない。

仲間もいない。

騎獣も、奇跡も——何一つ。


ただ、一人。

風に髪を乱され、衣に埃をまとう細き影。


そして、心の奥に響く、ひとつの誓い。


> 「生きる——それは、剣になること。」


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