Episode 101
すべての光が──消えた。
あの二人の女を、身体ごと、魂ごと、完全に「自分のもの」とした最後の絶頂のあとで──
俺は気づいた。
この旧き世界では……もう、俺という存在を収めきれぬ。
「強くなりすぎて、世界を壊してしまった」からじゃない。
──ただ、もうその“ルール”に飽きただけだ。
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目を開けた。
天も、地も、俺も、彼らも──何もない。
ただ、宇宙の羊水のような柔らかな光が漂い、揺れ、かたちを持たずに存在していた。
まるで、“光の海”を泳ぎ抜けた先──
初源の〈道〉に辿り着いたかのようだった。
ここは──俺が何度も現実を再創造してきた、宇宙の365番目のバージョン。
名付けた。
《Galaxy Universe 365》──
「三百六十五回目の、世界を愛し直すための宇宙」。
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> 「この新たな肉体で……俺は誰だ?」 「天龍は、光の中に消えた」 「残ったのは、“心滅神”──
最も裸の自我。欲も、限界も、理も持たぬ存在。」
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一歩、踏み出す。
未だ“存在していない”空間に──
足元に大地が生まれる。原始の元素が粒子から組まれ、石になり、気流となって風が吹く。
──存在しなかった方向からの、最初の“息吹”。
全裸の肌に絡みつく光の繊維。
まるで、俺という存在の「意味」を理解しようとする“霊素”たち。
だが、俺は微笑むだけ。
両腕を広げ、光の糸が肩をなめ、腿を這い、胸の奥へ溶け込んでいくのを──
感じさせてやる。
その感覚は…まるで、誰かがそっと首筋を舐めたような快感だった。
だが、性的なものではない。
それは、存在そのものへの愛撫だった。
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> 「この宇宙には、まだ魂がない」 「ならば、俺が最初になろう。最初の“生きるもの”に」 「生きるためじゃない──征服するためだ」
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目を閉じる。
すべての“俺”を圧縮する。
新たな脚本を書く。
今度の役は──
自分が“誰なのか知らない”、この世界のただの人間。
ゆっくりと目覚める。
ゆっくりと、ゲームの“ルール”を破壊する。
それは…自分自身への“遊び”。
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光が収束する。
神の肉体は胎児の光へと姿を変え、仮想的な“宇宙の胎”に包まれていく。
その子は、星の嵐のなかを漂いながら、形成中の恒星系の中心へと向かっていた。
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> 「おやすみ、我が身よ」 「今回は…すべてを忘れて、生きてみろ」 「そして…本当に“自分”を思い出せるか、見てみよう」
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“心滅神”としての俺は、今もそこに在る。
だが、ひとかけらの魂だけが──
胎児へと宿り、これから始まる「生・苦・欲・殺・覚・悟」の劇へと突入する。
血の匂いを、また感じたい。
少女との初めてのキスを、もう一度味わいたい。
雪の中で、笑いながら膝をつきたい。
裏切られたい。
愛されたい。
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> 「もう、ずっと“高み”にいるのは飽きた」 「今度は──地の底から這い上がって、
世界がどう変わったか…確かめてやる」
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空間が揺れた。
宇宙が、ほんのり紅に染まり──
「時間」という概念の最初の光が、ほのかに誕生した。
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《Galaxy Universe 365》──起源を開始。
《心滅神》──生の種へと、己を落とす。
まもなく──子供が生まれる。
まだ名もない地平の端。
名もない小さな村にて。
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母の子守唄が聞こえた。
父の咳が、土の匂いが、肌に沁みた。
そのとき、古の“呪い”が響く──
> 「この子は──神を殺す存在となるだろう」
──俺は、微笑んだ。
> 「その通りだ。殺すさ…この“俺自身”を、な」
なぜ自分が「ヤン・ゼツニン(楊絶人)」と呼ばれているのか──
思い出せない。
なぜ雲藍山のふもとの小さな村に生まれ、
なぜ“幻青門”に孤児として送られたのか──
それすらも記憶にない。
覚えているのは、ただ一つ。
毎晩、夢を見る。
光が現れ──その光は、やがて龍になる。
そして龍は、俺の耳元で、
この世界の言語ではない“何か”を囁くのだ。
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今日はまた、殴られた。
──今月で十六回目。
「修練場」という名の闘技場。
力ある者が、弱者を踏みにじる──そんな偽りの訓練場。
俺は地に伏し、血に染まった砂埃に顔を沈める。
歯は砕け、視界は霞み、膝は震える。
冷酷な嘲笑が、頭上から振り下ろされた。
> 「ヤン・ゼツニン!お前は足の折れた犬だ!失せろよッ!」
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──だが、もう彼らの声は届かない。
聞こえたのは…脳内に響く“声”。
人のものではない、絶対的な響き。
> 「お前は死にかけている。生きたければ……この身体、貸してくれ。」
> 「貸す?俺には屈辱しか残ってねえぞ。」
> 「違う。
お前には、“屈辱の中でも生き延びようとする意志”がある。
それが──俺の求めるものだ。」
──息を呑んだ。
なぜだ。
その声は、恐ろしくもなく、
なぜか…懐かしさすら感じた。
> 「……お前、誰だ?」
> 「俺は“天龍”。この世界を創った者だ。
そしてお前は──俺が選んだ器だ。」
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その瞬間──背後から、
首筋に蹴りが叩き込まれた。
> 「ドンッ!!」
骨が鳴る。
視界が黒く沈む。
だが、声は消えない。
> 「よし、契約成立だ。
今から、お前に…俺の“百万分の一”の力を貸す。」
> 「名を与えよう──
『龍神刻印』」
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右手が燃えた。
皮膚の奥、骨の中まで焼き尽くされるような痛み。
黄金の龍の模様が浮かび上がる。
手首から指先へ──生き物のように蠢き、
呼吸と同調して、鱗が光る。
> 「“龍神刻印”。
一日三回まで。無計画に使えば──死ぬ。」
> 「だが、恐れるなら…このまま死んでしまえ。」
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理由はわからない。
だが、俺は…天に手を伸ばした。
助けを求めるためじゃない。
ただ──血が叫んでいた。
> 「龍印──解放ッ!!!」
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ドオオオオオォォン!!!!
修練場が…爆ぜた。
空気が割れ、砂が吹き飛び、
俺の手から放たれた黄金の光が全身を包み──
それは“光”ではなく、“神威”。
踏みつけようとしていた奴らが、
藁のように吹き飛ぶ。
石柱が崩れ、地面が裂け、
長老たちが座る高台までも振動が走る。
> 「これは…何の神力だ!?」
> 「三界の誰とも…一致しないぞ…!」
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俺の胸の奥で、巨大な龍が身をくねらせる。
まだ姿を見せていない。
だが、その影は空を覆う。
そのとき、天龍の声が再び響いた。
> 「それが、俺の0.001%の力だ。
宇宙の塵にすぎんが──
幻青門など、吹き飛ばすには十分だ。」
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俺は、何も答えなかった。
答えられなかった。
震えていたからだ。
──悟ってしまった。
これから先、周囲の全てが──弱すぎる。
かつて俺を「足の折れた犬」と呼んだ者たちは、
今や息も絶え絶え、死体のようだ。
俺は手を見つめる。
龍の刻印が薄れ、皮膚に焦げ跡が残る。
> 「……もう一度使ったら、俺は死ぬんだろ?」
> 「違う。
“制御できなければ”──死ぬ。」
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空を見上げた。
初めて、陽の光がまぶしくないと思った。
初めて、世界が…小さく見えた。
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その夜──
俺は、幻青門の地下牢に囚われた。
理由はただ一つ。
「未確認の邪力を使い、門の規律を乱したため」。
暗い岩の牢獄。
両腕と脚を縛られても、恐れはなかった。
なぜなら──
俺の心の中で、“あの龍”が笑っていたからだ。
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> 「……天龍。」
> 「呼び方はどうでもいい。だが覚えておけ。」
「これは…ほんの序章。」
「お前はもう“ヤン・ゼツニン”ではない。」
「お前は──俺の“写し身”。」
「名を与えよう──
『心滅神』」
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俺は、目を閉じた。
闇が、甘かった。
まるで、胎内のように。
なぜなら──俺は知っている。
次に流れる血は、もう俺のものではない。
俺は、まだそこに立っていた。
一人きりで。
――壊れた修練場。
地割れは、まるで地震後の亀裂のよう。
誰も近づけなかった。
誰も俺の目を見られなかった。
十二歳の痩せた子供、
血塗れの顔で――
たった一撃で、三十人の上級弟子を吹き飛ばした存在。
───
一歩、また一歩。
歩くだけで、周囲にうめき声が走る。
怪我じゃない。
恐怖が喉を掴んでいるだけだ。
あいつらは見たのだ。
人の皮をかぶった、化け物の正体を。
───
頭の中に、あの声がまだ響いていた。
> 「本当の力とは……死が首筋に迫るその瞬間、初めて解き放つべきものだ。」
分かってる。
理屈じゃない。
体が覚えている。
《龍印》を発動したその刹那、
呼吸を一つでも誤っていたら――
俺の心臓は、魔力の奔流で爆発していた。
───
これは、遊びじゃない。
これは……地獄の扉だ。
───
「……!」
肩に触れた手に、即座に反応した。
振り向く。
――師匠・左玄。
白い法衣。
胸まで伸びる髭。
厳格で、だがいつも黙って見守ってくれた人。
だが今の師の目に、迷いがあった。
> 「……ディエツニン。私と来い。」
───
《幻青門・第四層・大殿》
弟子は普通、ここに入れない。
獣の血で灯された七つの火。
その奥、七人の長老が半円状に座っていた。
誰もが、一村を一撃で消し飛ばせる者たち。
その目が俺を見ている。
「処すべきか、放つべきか」――神のような眼差しで。
───
紫衣の長老が口を開いた。
> 「この小僧……魔物に憑かれておるのか?」
白髪の者が首を振る。
> 「いや……もっと古い。神魔の記録にもない、創造主の残滓に近い気配。」
空気が、岩のように重い。
───
左玄師が、深く息を吐いた。
> 「私は分からぬ。だが……もし、この力に殺意があったなら、門は既に灰だ。」
三番目の長老が眉をしかめた。
> 「だからこそ恐ろしい。誰も殺さず、全員を殺せる者など――」
───
黙って聞いていた俺は、
一歩前に出て、彼らを見返す。
> 「殺すなら殺せ。
縛るなら縛れ。
だが答えもくれず、ただ黙れと言うなら――
俺は、自分で探す。」
───
沈黙。
それは、子供の声じゃなかった。
背後に、名も形もない“死の影”が揺れていた。
───
左玄師はため息をついた。
> 「ディエツニン。罰は下さぬ。
だが一つだけ命ずる。
その力は……死に直面した時以外、決して使うな。」
> 「……了解。」
───
深夜。
俺は木造の古びた部屋に寝ていた。
外の月は、冷たい乳白色。
心の中は……静かすぎる。
《龍印》は消えた。
声も聞こえない。
天龍もいない。
だが、胸の奥に――
燃えるような、第二の心臓がある。
───
目を閉じた。
眠ろうと思った。
だが――
ギィ……ッ
扉が開く。
無音で、誰かが入ってきた。
――彼女だ。
───
【書和儀】
第六代弟子。
七歳の頃、初めて俺を庇ってくれた女の子。
一歳年上。
黒い瞳。
春風のような声。
でも、今夜の彼女の瞳は……
優しさじゃない、何かを秘めていた。
> 「……お前、本当に“人間”なのか?」
俺はゆっくり起き上がる。
> 「まだ“人”だ。
ただ……“少しだけ”、秘密を持ってるだけだ。」
彼女が近づき、そっとささやく。
> 「『龍域』って、聞いたことある?」
───
その言葉だけで、胸の印が熱を帯びる。
聞いたことない。
でも……《龍印》が疼いていた。
> 「……龍域って、何だ?」
───
彼女は周囲を見渡し、
静かに俺の胸に手を置いた。
> 「千年前……天龍が地に降りた場所。
彼は、“印”を残して逝った。
今、お前が持ってるそれと同じものを――」
───
息を呑んだ。
> 「じゃあ、俺は……初めてじゃないのか?」
> 「……違う。
お前は最後の者。」
> 「六人の前任者は……全員、死んだ。
“神意”に喰われて――」
───
風が吹き抜ける。
灯火が、消えた。
つづく。
三日。
三晩。
俺は、石のように沈黙していた。
誰も近づかない。
あれほど俺を嘲笑っていた連中さえ……まるで悪霊を避けるかのように目を逸らす。
歩くたび、大地に闇が染みこんでいく気がした。
───
やがて、俺は──「呼ばれた」。
---
【追査仙骨中心】
地中八十丈。
八角の黒殿。
二百枚の封印符で閉ざされた、“真実を剥ぐ殿堂”。
ここでは、二十万以上の天才たちが審判を受けた。
仙骨があれば昇進。
なければ──雑草のように、抜かれるだけ。
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玉座のような黒石に座る老道士。
手には「天骨秘鑑」。
この世に現れた全ての仙脈を記録する禁書。
その目が、俺の内側まで穿つ。
> 「貴様……修練場を震わせた小僧か?」
俺は頭をかく。
> 「ええっと……ワザとじゃないです。」
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女弟子が一歩、また一歩と近づく。
白衣に翡翠の縁。
氷玉の仮面。
歩くたび、冷気が空間を凍らせる。
その瞳に刺された瞬間、俺の背が凍りつく。
> 「仙力池に、手を。」
彼女の声は──冬の竹林をすり抜ける風のようだった。
> 「仙骨があれば、光が出る。
なければ──間違って生まれた草よ。」
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俺は進む。
仙力池──
透明な水の中に、赤黒い何かが血のように脈打つ。
そっと手をつけた。
第一感──冷たい。
骨まで冷えるほどに。
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何も起きない。
> 「もう一度。」
深呼吸し、再び触れる。
……沈黙。
> 「三度目だ。」
声がさらに冷たくなる。
俺は喉を鳴らし、手を。
……
反応、なし。
光、なし。
霊気の脈動──皆無。
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老道は口角を歪める。
> 「結論──仙根、なし。
霊質、なし。
神血、なし。
つまり……ただの人間。」
俺は、苦笑した。
周囲から、囁きが刺さる。
> 「なんだ、ただのハズレか。」
「じゃあ、あの修練場の件は幻覚?」
「それとも……ただの狂人?」
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皆、背を向けて去っていく。
まるで嵐に散らされた落ち葉のように。
残ったのは俺だけ。
石壇の前に座りこみ、手を見る。
龍印──沈黙。
光なし。反応なし。
まるで……俺を否定するように。
俺は心の中で呟く。
> 「じゃあ……やっぱり、俺はただの“普通”なのか?」
その瞬間、声が戻ってきた。
---
> 「よくやった。」
地下から響くような低い声。
それは──天龍の声だった。
> 「力とは……くだらぬ場で使うべきものではない。」
俺は思わず反論する。
> 「でも……皆、俺を“普通”だと──」
> 「“普通”とはな……
天地を滅ぼす者が最も好む仮面よ。」
その声は、呪文のように、俺の骨に染みた。
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俺は囁く。
> 「……じゃあ、いつ使えばいい?」
彼の声が、神の鼓動のように打つ。
> 「呼吸が一つ、遅れた時。
心が一拍、外れた時。
死が、首筋に触れた時。
その時──“印”が目覚める。」
---
俺の手が、微かに震える。
> 「もし……限界を超えたら?」
沈黙。
やがて、糸のように細い声が戻る。
> 「死ぬだろう。
だが、ただの死ではない。
魂も、生まれ変わりも、痕跡すら残らぬ。
名も残らぬ──
宇宙すら忘れる死だ。」
---
俺は返さなかった。
何かが、心の奥で静かに崩れる音がした。
それは恐怖じゃない。
──空虚だ。
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夜、部屋に戻った。
窓の外、月が銀色の光を注ぐ。
その光が、龍印に反射する。
冷たい。
無言。
だが、どこか──生きていた。
> 「これが……俺の始まり、なのか?」
---
俺は手を翳す。
月光が指の間から流れ落ちる。
青白い血管の奥、誰にも見えない光が一つ、灯っていた。
それは力ではない。
それは──意思。
俺だけが見える、誓いの芽生え。
──
いつか、俺はこの力を呼ぶ。
証明するためじゃない。
復讐のためでもない。
ただ一つ。
「普通」と名づけられた呪いを──
粉々に打ち砕くために。




