仏の顔ですら三度まで
奈津は面倒ごとが嫌いなので巻き込まれるのも当然嫌いです。
言葉をオブラートに包むことを心掛ける奈津ですが、それにも限度はあるんです。
春といえば新卒の人達が職場を華やかにしてくれる時期であり、虫がわく季節とも言う。
男性女性関係なく、何か困ったことがあったら相談してね、と指導担当員が伝えるわけだけど、その相談先として私と長崎さんの名前が伝えられるらしく、まぁ正直困る。
私は特別そういうポジションに着いてるわけではない。長崎さんは嬉々として対応してくれるだろうけど、やり方がエゲツないことがあるので、私に相談が来がち。
目の前には入社して一ヶ月しか経っていない社員が、俯きがちにことのあらましを話してくれた。
「私としては特別な態度を取ったつもりはなくて、挨拶と、仕事の質問をしていただけなんです」
「そうなんですね」
「はい。それなのに……」
そう言って私の前にスマホを置く。そこに表示されているのは、いわゆるおじさん構文。
〜ちゃん呼びから始まって、赤いビックリマークだらけ。警告メッセージかと思うほどに多用されている。句読点が多くて脳内で息継ぎしすぎて疲れる。全速力後に音声入力でもしたのかと聞きたいほどの句読点の乱用。誤字も多すぎる。勢いで送るな読み直せ。
新人さんの心配をしていると思えばいきなりの自分語りの長文。三度ほど読み直したが、無駄に長いだけで実のない内容だった。
これを、全く親しくもないし親しくなりたいとも思わない年の離れた上司や同僚から送られるのは、控えめにいってうざい、キモい、怖い。
「まだ関係性が構築される前にこのように距離を詰められたら戸惑いますよね」
「そうなんですっ」
同意を得て嬉しかったのだろうが、私は指導担当員でもなければ、この手のトラブルを担当するポジションでもない。慣れているけど。
「解決方法ですが、私に一任してもらってもいいですか?」
「あ、はい!」
「では、大変申し訳ありませんが、私の隣にお座りになってことの次第を傍観していてくださいね」
「え、はい。ぼうかん?」
「はい」
戸惑った表情のまま、新人さんは私の隣に移動してきた。
会議室の電話から、新人という花に集ろうとわいた虫──Aさんに内線をかける。
「Aさんお疲れ様です、川野です。私物のスマホをご持参の上、ミーティングルーム3に今すぐいらしてください。いらっしゃらない場合はこのまま人事部に連絡させていただきます」
言い切って内線を切る。ほどなくしてAさん登場。隣の席の新人さんが恐怖で身を縮こませるのが分かった。
「大丈夫です。今この場で解決します」
「は、はい……」
新人さんの正面に座ろうとするAさんに、面談時は圧迫感のないように斜め前に座るのがマナーですよ、と伝える。面談ではないし、私にそのような権限はないんだけど。さすがにこのやりとり、三度目でうんざりしてる。
「Aさんとこういった形でお話しするのは三度目ですね。一回目も二回目もこのぐらいの時期でした」
毎年同じことをするな、というメッセージをこめる。
「いつもは言葉を選ぶんですが、皆忙しいですからね、早期解決と誤解を招かないために、少し表現がストレートになることをご了承ください」
長崎さん式でいくぞとも宣言する。Aさんの肩が揺れる。この程度でビビるなら新人にちょっかい出すな。
「まず、ちゃん付けですが、ご本人の了承は得ていますか?」
「それはなんていうか、親しみをこめて……」
「親しみですか。では私は今からAさんを親しみをこめて呼び捨てにしますね」
「えっ!?」
「本人の了承を得なくても、親しみの情を抱いていたら好きなように呼んでいいんですよね?」
ちゃん付けとかキモいんだよ、というのをオブラートに包みながらダメージ与え気味に投げる。
「……すみません、以後さん付けで呼びます」
「そうですね。それが適切だと私は思います。では次なんですが、この長文メッセージの意図はなんでしょう? 了解を得て三度程読み返しましたが、Aさんご自身の話を一方的に書いていて、新人さんの精神的負担を軽減させるどころか増やしているように思えるのですが」
そんなことないですよ、と言わせようとしているというか。相談女と違って自分のほうが立場が上で拒否しにくいというのを、理解してやっているとしか思えない。
「どうしても新人さんの会社内での様子が気になるのでしたら、指導担当員や上司に相談されるべきだと私は思うんですが、Aさんは違うようですね? 去年も一昨年も同じように新人さんにメッセージを送ってらっしゃいますから」
直接やりとりするな、と釘を刺す。
Aさんは俯いて、私と目を合わせようともしない。私のようなはっきり物を言うタイプは苦手、どころか嫌いだと思う。そして私もあなたみたいなオレにもワンチャンみたいな人間が大大大っ嫌いだ。
「あぁ、あとどうしても気になる一文があるんですが、この『彼氏いるの?』という質問、必要ないですよね? Aさんと新人さんの年齢差は確か二十歳程。兄妹としては離れすぎていますし、親戚のおじさんぐらいでしょうか。下手をすれば親子もありえる年齢差です。まさかあわよくばなんて思ってらっしゃいませんよね? いくら新人さんが優しいからといって、社交辞令も分からない程社会人歴短くないでしょうし、立場を利用してらっしゃるなら立派なパワハラです。もう少し踏み込んだ内容ならセクハラもプラスされますね。もし私の言っている意味が理解できない、受け入れられないのであれば、相当追い詰められた心理状況と推察されますので、然るべき機関にご相談ください。人生の後輩につけ込むのではなく」
ミリも反論を許さんという怒りをこめて一気に言い切る。ここまで噛まずに言えるのは何故か。言い回しは違ってもこれが三度目だからだ!
Aさんが反応しない。できないのかもしれないが、そんなことは関係ない。このミーティングルームの使用予約時間はあと十分だ。
「ご理解いただけましたでしょうか?」
「あ、ぅ、はい……分かったので席に戻っても、いいですか……?」
この場から逃げようと思っているんだろう。
「勿論です。ですがその前に目の前で新人さんの連絡先を消していただいても?」
これまでの被害者の中でも、最も押しに弱い今回の新人さん。Aさんもこのままいけると思ってるだろうことは想像に難くない。だが許さん。仏の顔も三度まで。つまり仏様ですら三度までしか許さんのだから、私のような俗物も三度まででOKだろう。
渋々といった様子で連絡先を消すAさん。逃げるように部屋を出ようとする背中に向かって五寸釘を刺しておく。
「人事部には連絡しませんが、上司には報告しますのでー!」
Aさんが去った後、新人さんは泣きながら私にお礼を言ってきた。お礼はいい。巻き込まないでくれれば。
「とても助かりました! こんな相談をしておいてなんですが、Aさんから逆恨みとかされたりしたら……」
「あぁ、その場合は長崎さんの出番ですね」
どんな評判を聞いているのやら、長崎さんの名前を聞いて新人さんの表情が固まった。
「あの、川野さん、長崎さんって……」
「鬼畜ですね。今回もし長崎さんに相談していたら、明日からAさんは出社できなくなるほどの精神的ダメージを受けていたと思います」
それってパワハラじゃ、と新人さんが呟く。
「パワハラというのは立場を利用したものですね。年齢が下であろうが、部下であろうが関係なく、何かしら有利なものを持つ者が持たない物に嫌がらせをすること。長崎さんのはモラハラの上位版といいますか。あの人は単純に鬼畜です」
滅多なことでもなければ敵に回ることもないので、安心してと伝えたけど、安心はしないだろうな。
「社会生活そのものに不慣れでストレスフルな中、面倒な立場、かつ生理的不快感を抱いて当然な状況に陥って疲れたでしょう。釘刺しついでに上司に報告しておくので安心してください」
「え、上司にですか?」
「管理職の主たる業務はマネジメントです。それを部下にやらせるなら、それは成長ややり甲斐という言葉を体よく使った職務放棄というものなので」
ではお先にと言ってからミーティングルームを出て、上司にあんまり押し付けるなら360度評価前に人事部に伝えるぞと送っておく。慌てた上司から、いつも感謝しているし、川野くんの成長はめざましく、勿論今回の件も評価対象としている、というとってつけたメールがきた。よし、言質は取った。
長崎さんとほのかさんに誘われて飲みに来た。
「最近奈津にばかり相談いってつまんないわー」
「長崎さんがやりすぎるからでしょう」
ほのかさんは笑ってる。ほのかさんは前回長崎さん案で完膚なきまでに前夫の自尊心を砕いた。
「でもさぁ、夢を見続けるのは自由だけど、新人のような若さという価値を持った存在が、枯れた存在を相手にするなんて絶対にあり得ないし、それなのに害虫並みにしぶといからさぁ、一発で仕留めないと! 被害者が出ないようにするのは大事なことだよー?」
「素直に趣味だと言ってくださいよ」
「その通り、人生を通しての趣味だね」
いひひ、と長崎さんは笑う。いや、笑い方。
悪趣味ではあるけど、実際長崎さんに救われた人間は性別を問わず多い。
「注意してるでしょうが、私は長崎さんが痛い目を見る姿なんて見たくありませんからね」
「おぉ、ツンデレ……!」
「いや、そうじゃなくて」
生ビールの中ジョッキを、ゴックゴックと音をさせながら豪快に飲む長崎さんはご機嫌だ。
「前から不思議に思ってるんですけど、Aさんみたいなタイプってなんでワンチャンいけると思うんですかね?」
「通り魔と一緒だよ」
長崎さんの表現は極端すぎるけど、深いところでは同じだろう。
「優しいから自分にも手を差し伸べてくれると思ってる」
「それと通り魔の何処が同じなのか分からないんですけど」
「『大人しそうな見た目だから、被害に遭っても警察に訴えないと思った』、これが通り魔の供述だよ」
「こわっ!」
極論だけど、どちらも相手の優しさという名の気弱さにつけ込もうとしてる。
「まぁ、寂しいんだよ」
「趣味に生きればいいじゃないですか」
ほのかさんは多趣味だ。合気道だけでなく、クライミング、美術鑑賞とプライベートの時間を充実させることに慣れている。
「誰もが自分と同じく多趣味と思うのはいかんねー」
「慢性疲労から動けなくなってしまう。でも脳内の自己肯定感やらなんやらはゴリゴリ削られていって、誰かに助けてほしい、必要とされたい、愛されたい、と思うのは仕方ないと思いますよ。やり方は別問題として」
そういうものですかと言って、ほのかさんはマグロの中トロを頬張る。なお私は赤身派だ。長崎さんは大トロを炙って脂身を溶かしたのを食するのが好きだ。大トロである必要あるのか?
「一つ言えるのはさ、自分に感情があるように、相手にも感情があり、感性は人それぞれだということが分からない奴は死んでも同じこと繰り返すってこと」
「死んでもは怖いです」
「馬鹿は死ななきゃ直らないのではなく、死んでも直らないんですよ、ほのかさん」
「勉強になります」
なんの勉強なのか。
ほのかさんは魅力的な人だから今後もトラブルに見舞われる可能性がある。長崎さん、よろしく頼みます。
「長崎さん、良いことを言ってるフリをして私が育てた炙りを奪うなら、傾斜配分お願いします」
「バレたか! 奈津は本当に騙せないなぁ!」
「頼めばいいでしょう、新しいのを」
「分かってないな、奈津が育てた奴は自分が育てた奴より美味しいんだってば」
「分かりました。提供する代わりにやはり傾斜配分の度合いを上げましょう。さぁ次は何にしますか」
私と長崎さんのやりとりを見ながらほのかさんが笑ってる。最近やっと、笑顔から陰が消えてきた。良かった。
より美味しくお酒もいただけるというものだ。