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引越し

「そろそろ帰るか。」

 そうは言ったものの体が動かない。

「体中の間接が外れていたからな。明日までは固定しておかないと戻らないらしい。」

 馬頭は動けない僕を背負って歩き出した。レースの時には緊張で気がつかなかったが、馬頭の背中が温かい。

「汗臭いが我慢しろ。」

 馬頭は振り返らずに言葉を吐いた。何だか懐かしい臭いだ。昔、一緒に遊んでいたころを思い出す。

「馬頭のうちはいいよな。僕も高級官僚の家に生まれたかったな。」

「ないない。」

 馬頭は笑った。

「親父はいつも午前様だし、ほとんど母子家庭のようなものさ。休みは接待ででかけるから、家族旅行もない。周りからは一等地にタダで住めるってねたまれる。牛頭はともかく、ほかに遊んでくれたのは九頭のお前だけだったよ。」

 馬頭は悲しそうに語った。

「でも、さっきは一番人気って。」

「やつらも大きくなって処世術が身についただけさ。騒いでるのは媚を売ってくるような連中だ。お前んちがうらやましいよ。定時にかえって、休日は一家揃ってお出かけだ。」

「でかけるったって近所の地獄ぐらいだぞ。」

 いい思い出なんて一つもない。

「いいんだよ、どこでも。場所じゃない。家族みんなが同じ思い出を共有しているってのが大切なんだよ。」

「でも、いずれは後を継ぐんだろ。そのために九頭から婿を取ることになったんだから。」

 余計な事を言ったと感じたが後の祭りだ。

「そんなんじゃないさ。九頭家だけが地位に関係なく接してくれたからだよ。だから親父も、九頭なら信用できるって、どこにも異動させなかったんだ。」

 九頭の家系には鬼も神もいる。地位や身分もばらばらだから、そんなの気にしたことがなかった。


「寮へ着いたぞ。部屋は一番上だったな。」

 部屋に入るなり、

「九頭ちゃん、大丈夫だったか?」

 低い声が流れた。大きな鼻輪をつけた鬼が立っている。牛頭だ。

「荷物は全部運んだか?」

 馬頭が牛頭に聞いた。

「ああ、隣の寝室に入れた。俺のは下の自分の部屋に明日には届く。」

 何の話だ。


「お前、言ったよな。この寮を使わせてくれるって。だから、高等部生徒会も引越してきた。」

 馬頭は僕をベッドにそっとおろしながら告げた。ベッドが広い。シングルだったはずが、キングサイズになっている。マットもがさがさと音がする。


 話の見えない僕に馬頭は構わず続けた。

「安心しろ、来るのは会長と秘書の牛頭だけだ。汗を流すからシャワーを使うぞ。」

 馬頭はさっさとシャワールームへ入っていった。今後、会長に魔導師がなるかもしれないので、人間用の設備も完備されている。


 やがて、白いローブに包まれた馬頭が戻ってきた。

「気持ちいいぞ。九頭も入るか。手伝ってやるぞ。」

 仮にも馬頭は女だ。

「恥ずかしくないのか?」

「同じ釜の風呂に入った仲だろ。」

「それは、赤ん坊の頃だろ。」

「平気だって。お前の股に下がっているのが人参だと思って噛み付いたりしないからさ。」

 そんなことがあったのか。まったく記憶に無い。

「許婚なんだし、どうせ一緒に暮らすことになるんだから、風呂に一緒に入ってもおかしくないだろ。」

「元だ。」

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