嫁5
「あ、忘れてた」
ギルドでの報告を終えて、外で待たせていたアテナと合流した所で俺はそう呟いた。
「オレへの愛の言葉?」
「ちげーよ。行こうと思ってたメシ処、昼の営業終わって今は夜の仕込みやってる時間帯だった」
こいつの案内でいつもより早めに仕事を切り上げて来たから色々ズレちまったな。
「えー…すげぇハラ減ってる訳じゃ無いけど、ここまで来てオアズケとかドSかよお前」
「人聞き悪い事言わないでくれる?」
元からノリは良い奴だったけど、なんか人間になってタチが悪くなってないか?からかい方にしたってまるで悪女が男をからかうような感じで、俺としては本当に気が気で無い。
「じゃあ本命はそこでいいから腹繋ぎに軽い物食おうぜ。あ、デートしようデート」
「デートってお前…」
からかってるだけなんだろうけど、そういう事言うにしても雰囲気というかなんというか…。
「なんなら超絶ぶりっ子で言ってやろうか?」
「腹筋が死にそうだからやめて」
さっきのミナカタとのやりとりを思い出すだけで口元がひくついてしまう。やっぱり男とか女とかのくくりじゃなく、アテナだと思って接するのが一番だな。面倒な事考えないで、久々のコイツとのやり取りを楽しもう。
「それじゃあ行こうぜ、ほい」
そう言ってアテナは自然に右手を差し出してきた。俺はその手を、やれやれといった感じで左手で握る。
「おっ?」
どうやらあっさり俺が手を握るとは思って無かったようで、アテナの表情は驚き半分つまならさ半分といったものだ。まったく、いつまでもこんな事でドギマギするとは思って貰いたくないもんだぜ。
「おりゃ」
するとアテナは俺の手を引き、俺の右腕を両手で抱きかかえた。俺の右腕が…今まで体感した事の無いとんでもなく柔らかい感触に包まれる。
「ぬぅ!?」
「へへっ、オレの勝ち。マヌケな声上げやがって、なさけねぇなぁ」
アテナは俺が戸惑う様が心底楽しいのか、満面の笑みを浮かべた顔で俺を見上げてくる。かなりの至近距離というのも相まって、俺の心臓は跳ね上がるように鼓動を激しくした。
「………」
男とか女とか関係無いとか言いながら、女の体っていう武器を駆使してくるのは反則だと思う。やっぱりコイツ中身男だろ?冗談でもこんな事してくる女が存在するとか、都市伝説でしか聞いたことが無い。こうなったらしかえしに胸の一つでも揉んでやろうか…。
「…やってみるか?」
「っ!?」
まるで俺の考えを見透かしたかのような一言に驚きを隠せない。俺…別に口に出したりしてないよな?
「おっぱい見すぎ。知ってはいたけどほんとに胸への視線って感じるもんなんだな、オレのプレイヤーは男だし、教えられるなら是非とも教えてやりたいね」
「マジか…」
「マジマジ」
俺もその話は聞いた事があっただけあって結構ショックだ。無意識とはいえ、俺はコイツ相手に何を考えちまったのか。
「分かってても教えてくる女なんて居ないだろうしな、大抵は『この男キモッ』で終わると思うし。親切に教えてくれる奥様に感謝しろよ?」
「その親切って言葉、心を折るって漢字じゃない?つーかもう行こうぜ」
そんなツッコミを入れつつ、俺はややげんなりしながら市場に向って歩き出した。俺の腕を抱きかかえたままのアテナは、俺の腕に引っ張られるように付いてくる。歩くたびに右腕が嬉しい悲鳴を上げるけど、無心で歩くしかない。
「へへっ、やっぱナギはいいな。昔を思い出すよ」
「そーかい」
俺としては、昔よりもからかわれまくって逆に新鮮だ。なんというか…子供の頃に一緒にバカして遊んだ相手が、大人になって会ったら女だった上にめちゃくちゃ美人になってたっていうシチュエーション。このパターンの時って、なんで男の方が立場として弱くなるんだろうなぁ。
「ゲーム始めたての時はさ、二人で色んなとこにペア狩り行ったよな?ちょっと無茶して仲良く死んだり、ただ景色が綺麗なとこでスクショ撮ったり…オレさ、あん時が一番楽しかった」
「あんまがっついてプレイしてなかった時だよな?俺も同じだよ…課金要素も無かったし、ただ周りの知らない奴らと話してるだけでも楽しかったっけ」
「そうそう、オレが辻支援するだけで雑談始まったりしたよな。ほんのちょっとのきっかけで友達になったりも当たり前だった。もしあの時に戻れたらって…最近よく考えるよ」
アテナの俺の腕を抱える力が強くなる。押し当てられる柔らかさが増したけど、不思議と戸惑う事は無かった。
「それじゃあ今の状況は、ある意味昔に戻ったのかもしれないな」
「へ?」
「この世界の人達は割と皆良い人ばっかだ。門のとこにいたミナカタも、ギルドで会った普通の冒険者の人達も、後でメシ食いに行く所の人達も…皆ちょっとしたきっかけで仲良くなった人なんだよ。なんかのついでで雑談始まるのも当たり前だし、そんな何気ない事がすげぇ楽しいって思える。それに今は…アテナも居るしな、俺も久々にお前と話せて嬉しいよ」
なんか湿っぽい雰囲気だったんでつられてクサい事を語ってしまった。本心ではあったけど、流石にコイツ相手にいう事では…。
「…そっか」
「………」
てっきりからかわれるかと思ったけど、アテナが返したのはその一言だけだった。その安心したような声色の返事は、しばらく俺の耳に残り続けていた。