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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【短編】シリーズじゃないシリーズ

父が死んだ

作者: 千東風子

あらすじのとおり、何の山もオチも無く、つらつらと自分の気持ちの整理整頓のための短編です。


暗い題材ですが、ふーん、へえ、と広いお心の方に読んでもらえたら……と、投稿します。

よろしくお願いいたします。


早速の誤字報告、ありがとうございました。

誤字訂正しました。




 

 父が死んだ。


 一緒に住んでいた記憶はない。

 戸籍を見ると私が五歳の時に母と離婚が成立している。


 母は一人で私たち子どもを育てた。


 正社員ではない。

 朝早くスーパーの品出しを二時間。

 それからビジネスホテルの清掃を五時間。

 家のことをして夕御飯を作り、私たちが寝た後、パチンコ屋の清掃を一時間。


 当時の時給はいずれも五百円ちょっと。

 休みなく働いても月十二万円程度の収入で、子どもを育てるには並々ならぬ苦労と我慢があったと思う。

 もちろん、福祉の様々な手当や現物支給を受けていたため、何とか私たち家族は生きていた。


 父なる存在から養育費を貰っていたかは知らない。


 この人は自分で会社を起こしては潰し、借金しては会社を起こしては潰し、末っ子の私が生まれてすぐに一人で逃げた。


 姉が言うには、どう見ても怖い人たちが何人も家にやって来て、借金のカタに家の中の物をほとんど持って帰ったそうだ。姉たちは学用品もランドセルも持っていかれて途方に暮れたらしい。

 当時住んでいた家から団地に引っ越し、人数分の布団が敷けないような家で、肩を寄せて暮らした。


 父の行方が分からないから、すぐには離婚も出来なかった。


 そんな人が母に養育費を送るとは考えられない。


 そして何年か逃げ回った父は、何事もなかったように連絡をしてきて、母とようやく離婚したそうだ。


 それから父は、何年かに一度、家に訪れては小遣いをくれたことを覚えている。

 言い換えれば、それだけ。


 ちなみに私は、小学校高学年まで、小遣いをくれるおじさんが父だとは知らなかった。姉たちは誰も父を父と呼んでなかったし、団地のご近所さんは皆親戚みたいなもので、もっと近しい人がたくさんいたから。


 姉たちは、思春期にそんな環境にあったためか、父を父と認めたくないようだった。

 私は、(はな)から記憶に無いので、父は父であったことがない。

 つまりは(こだわ)りがない。憎いも何もない。


 そう思っていた。





 母が死んだ。

 私はまだまだ未成年で、姉たちが稼ぎ、私を学校へやり、育ててくれた。


 母の余命を告げられた時、世界が足元から崩れていくようだった。

 働いて金を稼いでくれる姉たちの分も、毎日朝晩、母の病室に通った。日に日に小さくなっていく母を必死でこの世に繋ぎ止めるような日々は、私の死生観にとても影響したと思う。


 誰が連絡したかは分からないが、父が見舞いに来た。


 その瞬間の母の顔を今でも忘れられない。


 母は、驚いた後、微笑んで父を迎えた。

 私の見たことの無い顔で父を見る母。


 母は、嫌いで別れたわけではないのかもしれない。

 なら、何故別れた?

 借金取りから私たち(子ども)を守るためか。

 夫婦のことは夫婦にしか分からないものというが、もしかしたら母自身もはっきりとした答えは持っていなかったかもしれない。


 何か納得したような、同時に、毎日病室へ通う私が来るよりも嬉しそうな顔をする母に苛立った。


 些細なことで母と言い争いになり、「毎日なんて来なくていい」と言われた私は、二日間、母に会いに行かなかった。


 時間を置いて頭の冷えた私が病室へ行くと、母が「何で来てくれなかったの」と悲しそうに言った。寂しかったのだろう。


 母と共にある時間は限られたことを知っていたのに、私は今でもこの二日間を後悔している。


 母は幸せな人生だっただろうか。

 苦労はたくさんあっただろうが、幸せを感じていただろうか。


 穏やかな死に顔は、病気に力の限り立ち向かって、戦って戦って、次の生に行った満足感からか。

 答えは無いから勝手に想像するしかないけれど。


 母が死んだ時、母に苦労を背負わせた父に対して、なんだこいつ……と初めて思った。





 その後、父からはたまに電話が来たり私が結婚した時にはお祝いをくれたり、疎遠だが、絶縁ではない関係だった。

 しかし、父は安定のクズっぷりを発揮し、姉たちに金の無心をしていたらしく、私がそれを知ったのは、私に借金しようと連絡してきたので、姉に相談した時だった。


「あんのくそじじい!」


 普段は穏やかな姉の憤怒に驚いた。


 末っ子の私には金の話はしないという条件で、姉たちは今まで金を都合してきたらしい。はっきりと額は言わなかったが、チリも積もれば、であろう。


 姉たちとの約束を破った、ということで、私ももう連絡しないで欲しいと父に告げた。

 父は、「そうしたら友達に金を借りるしかなくなる」と言ってきたが、今でも意味が分からない。何故金は借りる前提なのか?


 育ててもいない子でも、老後の面倒をみてもらえると夢を見ているのか。

 母が亡くなった時ですら、子ども()を引き取らなかったのに? 二十代の姉たちがお金を出し合って養ってくれたのに?


 うん、母には悪いが、なんだこいつ、とやっぱり思う。


 以来、連絡も取っていなかったが、望む望まないに関わらず、縁、というものは存在した。


 父がずっと住んでいたアパートが取り壊されることになり、どこかの団地に引っ越すとは前に聞いていた。別に興味も無いし行くこともないし、住所までは知らなかった。父も私の結婚後の住所、ましてや職場なんて知らないはずである。


 父は部屋で倒れ、死後数日の状態で発見された。

 父の部屋にあったアドレス帳に私の携帯電話が書いてあったらしく、警察から電話が来た。


 それは私の職場の近くの警察署で。

 関係を聞かれれば、一応娘と答えざるを得ず。


 父は私の生活圏に住んでいた。


 それだけではなく、死亡推定日、私は仕事で父の住む団地を訪れ、父の部屋の前を通っていた。

 そのドアの向こうで、まだ生きていたかもしれないし、もう死んでいたかもしれないし、まさに倒れたところかもしれないし。


 しかも日記のようなメモからは、父がパチンコを趣味にしていたのが分かる。

 私の職場の隣のパチンコ屋に毎日のように通っていたようだ。


 不思議な縁はあった。

 でも、それまでだった。

 どこまでも噛み合わず、父は死んだ。


 遠くに住む姉たちは、無縁仏にしてしまえと静かに言ったが、私が引き取り、荼毘に付した。

 父の交遊関係は分からないし、親戚も分からないから、式はせず、火葬だけにした。

 父の母、祖母の眠る納骨堂に納めるのは、姉が引き受けてくれた。

 母が生前自分用に用意した墓には絶対に入れないと姉が言った。


 兄弟全員が相続を放棄し、家の片付けは孤独死として団地側が行ってくれた。


 団地側から、片付けるにも手続きが必要で、時間がかかるからナマモノだけは始末しておいて欲しいと言われたので、冷蔵庫の物とゴミだけは片付け、両隣の住人に挨拶をした。


 まあまあ付き合いがあった隣のおばあさんは、私よりよっぽど父の死にショックを受けていた。


 昔カミさんに逃げられた。


 父は周りにはそう言い、子どもがいるとは言ってなかったという。


 逃げたのは自分じゃん。

 自分の妻から、子どもから、仕事から、逃げ出したのは自分の方じゃん。


 父が白い壷に納まり、それを姉に渡すまで、私が負担したことは、中々ヘビーだった。

 繁忙期に突然の一週間の休暇。

 式はしなくても、棺桶代や役所への手続き代行、火葬するまでの遺体の保管、搬送費用について、葬儀屋への支払い。

 父の部屋のゴミ捨て。……整理整頓された部屋だったが、生き物が死ぬと当たり前にわいてくる虫を踏み潰しながら、他に例えようのない死臭の中の作業は、これが一番堪えた。


 兄弟全員分の相続放棄の相談と手続きを進め、父の部屋の鍵を団地の窓口に返しに行った。


 一応血縁なのだから、最後まで片付けないことに対し、何か言われることを覚悟していたが、対応してくれた方は、「とっくに離別しているのに、ここまでしてくれただけでよかったです」と言ってくれた。


 肩の力が抜けた。


 これを姉たちにさせるのは酷だと思ったから、姉たちへの恩返しに私がやっただけ。だけれども、対外的に何も知らない人が見たら、きっと無責任に見えるだろうと、覚悟しながら、「ここまでしかやらない」と線を引いた。


 けれども、団地の窓口の人にとっては、仕事上のただの会話だとしても、私は、できる限りのことをした、そう言ってもらえたようで、とてもホッとした。


 そして何より、今、自分の手にある大切なものがとてもハッキリと認識できた。


 自分も仕事を休み、一緒に父の部屋を片付けてくれ、私の給料二ヶ月分以上の大金を貯金から持ち出すことに対し、何も言わずに許してくれ、ゆっくり休めと家のことを全てして、手を握ってくれた私の伴侶。


 黙って抱きついてきた子どもたち。


 仕事を休ませてくれた職場。


 私は、恵まれている。

 与えてもらったもの、自分で掴み取ったもの、それらを私は大切にすることができていると思う。


 それは、大切にしなかった、父という反面教師がいたからかもしれない。

 そう思ったら、少しだけ複雑で、泣いた。





 後日、姉たちから、かかった費用以上の送金がされた。

 姉のプライドだろうから、大人しくいただくことにした。


 不遇の子ども時代を経て、高卒でずっと働いて、結婚せずに兄弟の面倒を見てきたねーちゃん。いや、現在もみているねーちゃん。そんなねーちゃんを支える下のねーちゃん。


 もう、解き放たれて好きに生きてほしい。


 本人たちは絶対頼らないだろうけど、老後は任せろ。

……父にそっくりな()は知らんけど、な。





読んでくださり、ありがとうございました。


皆様の今ある幸せが、皆様の中で今後も輝きますように。


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