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[エピソード3-2]「あなたはあまのじゃくだから」


 まあとにかく、そんな事情もあって、小学生~高校生の頃からちらほら見えていた自分のトランスジェンダーっぽい傾向を、それと気づかないまま過ごしていました。


 加えて、幼いころは「私は今は女だが努力すれば男になれる。だって男女の違いと言えば、見た目くらいだからだ」とも思っており、服装や髪形をボーイッシュにし、弟の靴や衣服を勝手に拝借して学校へ行き、「うっせーな!」「○○じゃねーよ!」という乱暴な言葉を使うことで「男に近づいている」と満足していました。


 その活動(?)の一環として、小学3年生の頃には一人称を「私」から「おら」にしました。

「ぼく」と言ったら「女子のくせに……」と批判されることはわかっていたので、どっちの性でも使える「おら」にしたのです。

すごい!名案! オラならどっちでも使えるじゃん!


 しかしまあ今になって思えば都会の小学校で「おら」は「ぼく」よりも浮いていましたね。神よ。



 小学生のうちは持っていた「ふるまい次第で男になれる」という楽観的な希望。

このまま順調に「男」を装っていけばママが、友だちが、皆がなんと言おうと「男」になれるんだぜ!と。


 しかし、中学校にあがると同時に「装い」の壁にぶち当たることになります。






「なんで女はズボン履いちゃだめなんですか~~~~!!!!!!!」






 中学校の制服に対する心の叫びは、3年間解決されないままでした。


 なんで女はスカート!?なんで男はズボン!?なんで決まってるん!?それ決める意味ある!!?!?

ってかそれ自由に選べないのおかしくない!?小学校であれだけ「個性ゆたかな十人十色みんないい子だよ」とか言ってたじゃないですか~~~!!嘘かよ~~!!

え?校則で決まってる?いや校則が要るのはわかるけど着る服まで指定するの意味ある?本当に??

ズボン履きたいです先生~~~!私にも!!その!!!かっこいいズボンとワイシャツを!!!!!



 小学校とは違って、中学校ではもうまず「見た目」から男女を分けられてしまいます。

見た目で男女わけやがるし、出席番号は男女混合じゃなくて男が先・女が後だし、なんだこれは!もう逃れられない!と萎えました。激萎え。


 でも既にそのとき「社会に逆らうことは絶対できない☆」ことが自分のなかで大前提になっていたため(ほぼ親のせい)、与えられるままにスカートを履きました。

1年生のときはそれでも「まだいける」と思っていましたが、一緒に学園生活を送る男どもが声変わりし、体がでかくなり、自分にはない男らしさをどんどん身につけていくのを見て、3年生になるころには「私は男にはなれないのでは……」と悟りました。



 当時、特にもッッッのすごく嫌だったのは自分の「丸い顔」です。今でも嫌です。

さいわい、豊満なグラマラスボディとは程遠いモヤシ男ボディに成長したので体に不満はなかったのですが、顔がどう見ても「女」だったんですよね。

私の知っている「男」ってのはみんなシュッとしている。

シュッとした細い輪郭をしていて、かつ背が高いのである。


クソ~!せめて顔がこんなボヨンボヨンしていなければ男になれたかもしれないのに~!と悔しがるもどうすればいいのかわからず、中学2年生のときに通学カバンを肩掛けエナメルバッグにかえました。男子の象徴という感じがしたから。


 それから、制服の下に着るカーディガンには指定がなかったので、メンズの黒いカーディガンを買ってもらいました。

母親はしぶしぶといった様子でしきりと「あなた、これは男用よ」と言い、灰色のレディースのカーディガンも同時に購入し「こっちも着なさい」と言っていましたが、私はほぼ着ませんでした。



 すまん母よ。男だったんだ私は。(たぶん)





 しかし、よくFtMの人の体験談によく見る「思春期のとき、生理が嫌だった」「胸が発達するのが嫌だった」という嫌悪感はあまりなかったんですよね……

いざそのような時期を迎えたときも、「あ、うん」って感じでした。

「あ、うんそうなりますよね知ってました、習ったし」って感じ。淡々と対応。


 自分の体が変化するという認識はあれど、特に嬉しくも悲しくもなく、水をやれば種から芽が出るのと同じ自然現象なので特に感想はない、強いて言うならわー芽が出たよすごい(他人事)みたいな。

発育中の胸にバスケットボール当たってめちゃくちゃ痛がっているのを父親にバカにされたときはテメークソこれだから男はコノヤロー!と思いましたけど。

たとえ心の性別が男だったとしても、体の性別が女だとそれに付随する悩みは女だし、伴って男を批判するシチュエーションも度々あるという矛盾。


 「子どもを産める」機能についても、特に嫌悪感はありませんでした。

むしろ、「妊娠」「出産」に対しては、理科で人間の体について習ったときから「すげー!」というポジティブな印象を持っており、生物の愛とはすばらしい(キラキラ)って感じでした。

よく「女は出産できるからエラい、すごい、一方なんもしない男はクソ」って話を母親から聞かされていましたけど、子どもを産むには男も女もどっちも必要なのに女だけエラいっておかしい、どっちも同じだけ大事で序列をつけるべきではない、と思っておりました。


 だからか、「将来自分が子どもを産むかもしれない」ということについても、「ふーん」という感じで、別に嫌ではなかったです。

生命の産出において私は男女どっちの役回りを担当してもいいよ、だってどっちも良いことじゃん?という感覚です。

このあたりのことを考えると、FtMではなく、FtX(女性の身体特性に生まれたが、自分に性別がない等と認識している)なのかなあとも思えてきて、1人で大混乱です。ふう。



 やっぱ診断受けようかな……自分に社会的な所属シールを貼って落ち着きてえ……



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