[エピソード3-1]「あなたはあまのじゃくだから」
私の人生を語るにあたって欠かせない存在が、「母親」。
もう既に何度か登場しましたが、私のとってのお母上は、とても重要な存在でした。
なんでかって言われたらわからないけど、とりあえずママだいすき!な子どもでした。
母親にこっぴどく叱られてヘコんでも、私はママを嫌いになるなんてことは絶対にダメだ、という謎の正義を持っていました。
「もうお母さんなんて大嫌い!!」と言って飛び出していくシーンがドラマなんかでよくありますが、ああいう感情的な言動は良くないことだ、一時の感情で事実と違うことを言ってしまうと良いことがない、と思って慎重になっていました。
(実際にそんなことしたら鉄拳制裁が飛んでくる、とビビっていたのもありましたが。笑)
母子間の共依存関係、という言葉が頭に浮かびますが、まあ子どもなんて最初はみな親に依存しているものです。
だって子どもは親に捨てられたら生きていけないですもん。
それとも、私は母親に必要以上に依存していた(させられていた)のでしょうか……真実は闇の中(2回目)
ともあれ、私の親愛なるママ様は、とても愛情深い人でした。今でもそうです。
私や兄弟のことをよく考えてくれて、一生懸命「良いママ」「良い教育」を実現しようとしてくれました。
ありがとうオカン。あなたの愛を私はしっかり受け継いでいる。
ただ、私が子どもだったころは母親も若かったので、どうにもこうにも勘違い野郎でヒステリック野郎な部分(悪口……)がありました。
私がなにか自分の気持ちを口にすると「あなたは間違っている」「言い訳は良くない」「口答えしなさんな」が定石でした。
わい「ママは『物に八つ当たりするのは良くない』って私を怒るのになんで今ママは物に八つ当たりをしたの?」
ママ「そうやって口答えしなさんな!」
わい「ヒエッ(いや口答えじゃなくてこれは疑問!ぎ!も!ん!論理の矛盾のワケをきいている!!!)」
わい「もう無理、こんなにたくさん勉強したくない無理、やめたい」
ママ「しなさい」
わい「………」
ママ「しなさい」
わい「Yes, sir……。(゜^ω^゜)。」
わい「わーい!ドタバタドタバタ」
ママ「足音の大きい人は乱暴な悪い人よ」
わい「(なんで!?楽しくてドタバタした場合はそれに該当しなくね!!?どういう関連性のもとにその結論出たの!?!?)じゃあママもハイヒールでカツカツ音が大きく響いていたからそういう人ってこと??」
ママ「あなたはいつもそう親に向かって~~(略」
みたいな会話が日常茶飯事で、いやなんも疑問が解決してねえ~!というストレスがすごかったです。
どんなに考えても不明な点が解明できない、つまり次回から行動をどのように改善すれば良いかわからない、すなわち同じことで怒られる続けることになる、というストレス。
今でこそ「両者の論理思考能力に差があった」という結論に落ち着きましたが、当時のママ至上主義の私にとっては、「なんか全て私が悪くて間違っているという結論になって終わる、不可解にて不本意だがしかしそれは真実である、精進せねば」という状態にならざるを得ませんでした。うける。自尊心などない。
いやあの、めっちゃディスってますが私はそんな母親が大好きです。大好きだったら!
私は小学1年生時の「ランドセル赤じゃなくて黒がいい事件」の後にも、「服もスニーカーは青じゃなきゃ絶対嫌だ事件」「ママの買ってきた女の子の服マジでいらねー事件」「弟の衣服を奪って学校に着ていく事件」など様々な事件を引き起こし、怒られていたわけですが、そのたびに母子の問答のテンプレがありました。
わい「だってひかるちゃん男になりたいんだもん(`・ω・´)」
ママ「そういう捻くれた口答えをしたい年頃(※ギャング嬰児のこと)だものね」
ママ「異性への憧れがある年頃なのよね」
ママ「あなた昔から“あまのじゃく”だものね」
ママ「どうして口答えばかりするの?お友だちの○○ちゃんは聞き分けの良い素直な子なのに」
わい「………。」
わい「………( ´;ω;` )」
小学生女児、なす術なし。
いや、まあ、仕方ないですよ。
マミーも若かったから……うん……
その当時、トランスジェンダーやLGBについての理解が世の中に浸透していれば、もっと事情は違かったかもしれないし、そうではないかもしれない。