[エピソード2] 赤いランドセルと祖母の愛
先に言ってしまうと、色や形などの好き嫌いと男女の性差に関係はありません。
「女の子は赤やキティちゃんやオシャレが好き、男の子は青や乗り物やスポーツが好き」のような傾向は、統計上の割合として存在するだけで、例外なんていくらでもあります。
そのため、自身がトランスジェンダーであることを「好きだった色が男の子っぽかったから」「スポーツや乗り物が好きだったから」という理由だけでは説明しきれないと思います。
このエピソードでとりあげる「赤いランドセル」の「赤」は、「女性が好む色」であるという意味ではなく、「社会的な男女の区別のための色」という意味の強いもの。
「赤が嫌いだったからワイは男や!」じゃなくて「赤いアイテムを身につけることで女という区別シールを貼られているのが嫌だったんじゃ!だって女じゃないもん!」という話です。
私は赤色が好きですよ。当時はかたくなに拒否していましたが、赤もピンクも好きです。
というか、嫌いな色なんてない!どんな色でも美しい。
今の小学生を見ていると、カバンの色も種類も様々ですよね。
私が小学校に通っていたころは、今と違ってほとんど「男子は黒、女子は赤のランドセル」でした。
それが規則だったのかどうかは知りません。
たまーに、転校生や帰国子女が、緑色の格子柄のフォーマルなスクールバッグを背負っている、という印象でした。
小学生ひかるさんもその例に漏れず、「入学おめでとう!」と赤いランドセルをもらいました。
赤い手提げカバン、赤の上履きいれ、赤の筆箱(ちゃんとした高そうなやつ)もいただきました。
後から聞いた話によれば、今は亡き祖母がお金を出してプレゼントしてくれたものだそうです。
ありがとうばあちゃん。
まあしかし、当時はそんな祖母の愛など知る由もなく、「なんで私のは黒じゃないんだ~!」となっていました。
黒がいいんじゃ~~!黒じゃないと学校行かん~~!!!と駄々こそ捏ねなかったものの、母親に「黒がよかった」と主張したことは覚えています。
母からは「あなた、それはおばあちゃんがあなたのために買ってくれたのよ」と度々言われました。
しぶしぶ、しぶしぶと赤のランドセルで6年間を過ごしましたが、「いいなあ黒……いいなあ……」と思っていました。
あ、じゃあ油性ペンで黒く塗ればいいんじゃね?と思ってお高そうな筆箱の端っこを黒で塗っていたこともありましたが、さすがに怒られそうだなと思ったので途中でやめました。
(全部塗りつぶしたらインクでベットベトになることも薄々わかった。)
でもその代わり、自分で自由に選べる「お裁縫セットの箱」なんかでは、女の子っぽくないものを選ぶことができました。
ワンピースのイラストが描かれた黒の裁縫セットをもらったときは、すごく嬉しかったですね。
当時はまだチョッパーが仲間になっていない、5人(+ビビとカルー)の麦わら海賊団……えも……
当時の自分の落書きからもわかるのですが、私はワンピースのアニメを見ながら「剣術を練習して私はいつか麦わら海賊団に入るんだ……ゾロの弟子として剣士になるんだ!」という夢を持っていました。
私がルフィたちの仲間になるなら、自分と同じくらいの髪の長さの女の子で、二刀流で、本気を出すときはゾロと同じように服をバッと脱いで上裸になるんだぜ!かっこいい!と。
……妄想のなかでその子は「女の子」という設定だったはずなのに、イメージとして思いうかべる彼女の体はゾロ師匠(男)と同じである、というなんとも不思議な妄想でした。
しかも、ほどなくして「女は胸があるからどうしたって胸を隠さなきゃいけないらしい」ことに気づいてゲンナリし、じゃあもういいや、となっています。
そんなに脱ぎたかったんか~!ワンピースわからない方すみません。ゾロかっこいいよゾロ。
ただ不思議なことに、私は幼稚園児のころは「ちびうさになる」って言っていました。
セーラームーンのちびうさです。ピンク色の女の子です。
お遊戯会でフリフリのお姫様ドレスを着るのは好きだったし、ウルトラマンと機関車トーマスには全く興味を持たなかったし、お母さんの口紅を自分の唇に塗りたくったり、女の子の人形を使って普通におままごとをして遊んだりしていました。
やっぱり私はもともと女なの?と思うポイントも多々あるわけです。
色の好みや行動の傾向で「自分は女」「自分は男」を分別しようとすると、わけがわからなくなります。
ここではあえて「男っぽい」好みの指向を持っていたことにクローズアップしてエピソードを書きましたが、たとえ性自認が女性でも黒のランドセルが(色の好みとして)いいという人はいるでしょうし、FtMでも赤のランドセルで何も問題なかった、という人もいるでしょう。
大事なのはきっと、対象をなんでもかんでも一定の枠にあてはめて考えないことです。
「お前B型だから自己中じゃん~~!」なんかはよく耳にする類型論(個々の事象からいくつかの類似点を抽出し、典型的な類型をもって代表・記述することにより、それらの事象群の本質や構造を考察しようとする学問的方法論)っぽい考え方ですが、場合によってはそんなに(かなり)正確じゃありません。
必要な考え方ではありますけどもね。