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[エピソード1] 作文と整列とボクワタシ


 自分はFtMである、という仮説を立てるときに真っ先に思い浮かぶのがこの話。

幼い頃の素直な気持ちなだけに、シンプルでわかりやすい体験でした。

この体験がなかったら、私は自分がトランスジェンダーであるという認識には至りにくかったでしょう。





 小学1年ぼうずだった私は、毎日ウキウキして学校に通っていました。

友だちもいて勉強もおもしろくて、先生も優しく学校が楽しかったのです。


 そんなある日、「作文のかきかた」を学ぶ授業がありました。

「男の子は『ぼくは』、女の子は『わたしは』から書き始めましょうね!」と説明され、先生が黒板に「ぼくは」「わたしは」と白いチョークで書きました。(※1)



 「あーなるほどね!じゃあ私は女だから『わたしは』って書けばいいのね!」



 と理解した私は、「わたしは…」と書こうとエンピツを握って作文用紙に向き合いました。


 するとそのとき、突然「えっ」となったのです。

あの感覚をどう説明したらいいのかイマイチ分からないんですが、「え?それマジ?」みたいな感覚になりました。



わたし「わたし」と違うんだが ( ´・ω・` )



 …という、それまでに感じたことのない違和感が下りてきて、しばし私は固まっていました。

そこそこ厳しい幼稚園と家庭で育っていたので「大人の言う通りにしない」いう選択肢は思いつきもしませんでしたが、言うなれば冤罪で捕まって「その書面に『私はこんな罪を犯しました、反省していますもうしません』って書きなさい」って命じられたときに「ええ……(やだよ……だって違うし……)」となるような感じです。



「違う……わたしは作文に『ぼく』と書きたいんじゃ……だってわたしは『ぼく』だから……うん我ながら何を言っているかわからない☆」



 「ぼく」と書きたい、と感じる自分を「でもそれ理屈が通らないよ」とたしなめるもう一人の自分。



 作文用紙に向き合い、いよいよか……という謎の覚悟みたいなのがありました。

ここからはもう後戻りできぬ、みたいな。



 いや、もちろん小学1年生なのでここまで明確に言語に変換して感じていたわけではありませんよ。

後になって「FtMである」自分の説明のために、思い出を都合よく勝手に補正している部分もあるかもしれません。真実は闇の中……



 しかし大体は合っていると思います。

とにかく、「わたしは」って書きたくなかったことと、「先生、わたしは『ぼくは』って書いたらダメですか?」とわざわざ質問しに行ったことは確かですから。



 結局、そのとき私は作文に「わたしは…」と書きました。

空気を読みました。だってそこで反抗して「ぼくは」って書いたら、おかしいのは私じゃん。

欲に任せて筋の通らない行いをしたところで、怒られるだけ。

以降、「女なので作文の一人称には『わたしは』を使う」というルールに外れることなく今に至りますが、あのときの違和感はそうそう忘れられるものではありませんでした。



 まあ、実際に「わたしは」と書いてみれば、「ぼくは」と書くこととの違いは見た目と字数ぐらいでしたけどね。

「こういうものなんだな」と納得しましたし、「わたしは」と鉛筆を滑らせることに物理的な苦痛はありませんでした。

6歳児ひかるさん、順応してしまったのです。「わたしは」に。





 それからもうひとつ!



 幼稚園までは男女の区別なんてほとんど意識していませんでした。

制服は違うけど体型は同じだし、男女別にわかれてうんたら~という機会も少ないし、そもそも園児の頃なんて自分を中心に半径1メートルぐらいしか見えてないというか、「私とは……他者とは……」なんて考えに及んでいませんでした。



 しかし、小学校にあがると「男女別」でやることが増えますよね。

私たちのクラスでも、はじめて「男女別」に整列する機会がありました。(※2)



 先生が教室の入り口で「ダンシはこっち、ジョシはこっちに並んでね」と指示を出します。

当時の私は「じょし、だんし」の言葉を知らなかったため、「先生がヨッシー(任天堂の緑のドラゴン)の話しているけどなんで?」と思っていました。(マジ)


 でも、周りのクラスメイトたちがゾロゾロと並び始めているので、ああなんか並ばなきゃいけないんだな、と理解したのです。

きょろきょろと辺りを見回せば、どうやら2列になっている。

片方は男子だけ、片方は女子だけ。背の順は確か関係なかった。



「あー、そういうことね!」



 男女別に並ぶことを理解した私は、右の列(男の子の列)に入りました。

「私こっちだ」と咄嗟に思ったのです。


 当然、他の女の子だか先生だかに「ひかるさん、こっちですよ」と女子の列に導かれました。

私はハタと我に返り、「で、ですよねー、だって私女だもんな……」となりながら素直に男子列を出ました。



 体は女だし、誰もが「ひかるちゃん」と女子として扱うし、髪長いし、背ちっさいしスカート履いてるしで、「自分が女である」ことは自分にとって疑いようのない事実だったんです。

疑えという方に無理がある。

犬として育てられたネコが犬っぽくなる、という現象に近いと思います。



 私は無事に(?)女子の列に並び、ぞろぞろと体育館だかどこかに向かったと思います。

隣を歩く男子列を見ながら、「私あっちだと思ったんだけどな、違ったのかな」と漠然と思っていたのを覚えています。




 これらが、覚えている限りで一番初めの「性への違和感」エピソード。


 ちなみに、「私あっちなんだけどな」と思う機会は中学でも頻繁にありました。

ズボン制服で歩いている男子の群れを見ながら、ひかるさんは仲間になりたそうにこちらを見ている!となっていました。




 トランスジェンダーの人は「自分の身体特性へ違和感/嫌悪感を持っている」と説明されますが、実は当人たちが「違和感」を違和感として認識するのは結構難しいんじゃないかな、と思います。


 だって「自分の身体特性への違和感がある」とかいう難しい自覚をするよりも、「自分は男好きなのだ」とか「自分は男っぽいだけの女なのだ」として自分を位置づけるほうがわかりやすいじゃないですか。

男子の列にわりこんだり男子とばかり遊んでいたりしたら、普通は周囲から「男好きの女」「男っぽい女」という評価を受けますし、ああ自分ってそうなんだな……と思うくらいが関の山。


 気づいたときから自分の身体特性に「メチャクチャ強い嫌悪感!絶対ムリ!!!」って感じだったら分かりやすいかもしれませんが、「なんとなく、嫌だな、違うんだけどな……うーん……」くらいだと、周囲の環境によっては簡単にかき消されてしまうのでは。



 「未知の窓」が火を噴くぜ!




(※1)今の時代なら、ジェンダーへの配慮に(ちょっと大げさに)ピリピリした世の中ですから、そんな授業は展開されないかもしれません。


でも、私はその先生の授業がいつもおもしろくて、わかりやすかったことを覚えています。

完璧ではないにせよ、子どもの目線で先生が一生懸命考えてくれた授業だったんだなと思います。

なので、特に「あのときもっと配慮してくれれば良かったのに~ムキ~!!」とは思いません。


「ぼくは、わたしは、どちらでもいいです。好きな方を選んでね。でも実際、社会に出たとき男の一人称はぼく、女はわたし、ってのが一般的なんです云々かんぬん」なんてあんまり複雑なこと言うと6歳児なんて「???????」ってなっちゃいますしね。


(※2)学校で男女別で行動、と言えば「着替え」の時間。

低学年のうちは一緒の教室で着替えていましたが、学年があがると男女別にわかれました。


 女のなかで着替えるときに違和感があったかというと、特にありませんでした。

その状況を抵抗なく受け入れていたという点では、私はFtMによく見られる特徴には当てはまりません。


 今後、ジェンダーへの配慮が進んだとしても、マイノリティの配慮のためにマジョリティへの配慮が疎かになってしまうのは嫌だなあと思います。

「心は女なんです」というウソをついた男性が、私利私欲を満たすために女子トイレに入ってくるような事態は絶対に避けたいですからね。



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