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【第1章】はじめに 人の真実は無意識のなかに


 子どものころ、保健体育の教科書のなかにとてもおもしろい絵を見つけました。

「ジョハリの窓」という心理学に関係する表を、子ども向けのイラストにしたものです。



「ジョハリの窓」については、


「ウィキペディア ジョハリの窓」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93


「ジョハリの窓とは 「4つの自分の姿」を知り、自己開発に役立てる方法」

https://lightworks-blog.com/johari-window


 等をご参照ください。




 あなたは自分自身についてどれだけ知っている!?

ということで、「ジョハリの窓」では、自分自身の捉え方を4つの「窓」にわけて考えています。



 「自分が知っている自分 × 他者が知っている自分」(開放の窓)

 「自分が知っている自分 × 他者が知らない自分」(秘密の窓)

 「自分が知らない自分 × 他者が知っている自分」(盲点の窓)

 「自分が知らない自分 × 他者が知らない自分」(未知の窓)



 初めてこの図を見た時、なんじゃこれ!と衝撃を受けました。

それまで私は、なんとなく「自分のことは全部、自分が知っているハズ」という認識で生きていましたからね。


 「自分が知らない自分」×「他者が知っている自分」ってヤバくね!?


 それって例えば、兄弟でお菓子を分け合うとき、ズルしてお菓子を多めにとって「私は弟が太るといけないから多くとってあげたのよ」と言いつつも、本当は「自分の好みのお菓子だったから多く食べたい」という気持ちがあり、かつその事実を自分は認識できずに「自分は良いお姉ちゃんだぜ」と勘違いしている……そして弟や親からは「あいつ勘違い野郎だよな」って暗に思われている、みたいな状態ってことでしょ。


 ヤバい、それはこの上なくダサい(動揺)


 と思ったのでした。



 幼い頃からなにかとイジメられたり仲間外れにされたりすることが多かったので、常日頃「同じ思いを人にさせちゃいかん、人を傷つけてはいかん」という気持ちを持っていたのですが、この「自分が知らない自分 × 他者が知っている自分」の領域がでかければ、それは叶わないんじゃないかと思いました。

世には「自分にその気はなくても、知らないうちに相手を傷つけている」ってパターンがありますからね。

「盲点の窓」が大きければ大きいほど、そういうことをやらかす可能性が高いはずだ、と。



 あの保健体育の教科書のおかげで、幼き私は「自分の無意識」の領域について慎重になれました。

自分は本当の自分のことを知らない可能性があるのだ、謙虚にならねば、と常に意識するようになったのです。


 今振り返って思えば、その意識は大人になってから社会生活を送るにあたってとても良く影響しています。

よかったよかった。しかし、デメリットが1つありました。



 ダサい勘違い野郎になりたくないあまり謙虚になりすぎて自我を失いかけた。



 他者の評価に耳を傾け、自分を疑って分析ばかりしていたら、いつしかどれが本当の自分の気持ちなのか分からなくなったのです。

お母さんが「あなたはこう考えているはずよ」と言えば、自分の主張よりも先に「いやそれ前も言ったし絶対違うと思うし論理的にもおかし……いやでも私は私の知らない世界に直面しているだけなのかもしれない……だからやっぱマミーの言う通りである可能性が……」とか考えていました。




 私のこのスタンスは、今回の記事のテーマである「性自認」についても大きく影響しました。



「男になりたい(´・ω・`)」



 子どもの頃、そう感じて思いの丈を他人に主張しても



「そういう捻くれたこと言いたい年頃なのね(´_`)」



 と言われれば、「あ、そうですよねー……」と納得してしまっていたのです。

そうかワイ、昔から“あまのじゃく”って言われているし、なにか他に問題の所存があるのにただ勘違いして「男になりたい」って言っているんだ……という。



 中高生になって知識がついてきた頃に



「ワイ性同一性障害だと思う、男になりたいから(´・ω・`)」



 と主張してみても



「特別扱いされたいだけだと思うわ(^ω^)」



 と言われれば、「あ、その説はある~……わたし自己顕示欲つよいし、その説は有力~……」といった具合に。



 いや、大事ですよ?

問題の本質がどこにあるか、見極めるために自分を疑ってみることは大事なことです。

でも、やりすぎると自分を失うというか、自信がなくなって他者に振り回されるというか、依存体質なカンジになっちゃう恐れがあります。


 私は高校2年生になるまで「両親は私よりも経験知識豊富な大人である、ゆえに私よりは正しい(はず…)」と思っていましたから、生活の節々で自分の性について違和感を覚えつつも、それらを“本質的な問題”としては捉えていませんでした。

この違和感にはきっと他に原因があるんだ、という。

ママ殿たちの言う通り、目立ちたいとか、特別視されたいとか、男に憧れているだけ、とか。



 しかし、四半世紀以上生きてみたけふこの頃、やっぱり自分は“そうなのかな”と思うのです。




 自分は(自称)トランスジェンダーのFtMである……




 ……のではないか、と。




 私はここで、「自称」であることを強調しておきたいと思います。


 なぜなら、もしこの自己判断の結果が間違っていた場合、その判断にもとづいて書かれたこの文章が「本当のマイノリティに属する人たちへの誤解を植えつけてしまうきっかけになる可能性がある」からです。

自己診断マイノリティの危険なところはそういうところ。

なので、この文章の筆者が「FtM」であるということは、あくまで仮説だということを心に留めておいてくだされば幸いです。



 ちなみに「FtM」とは「性自認が男性で身体特性が女性」の状態のこと。

生まれ持った性別は女性だけど、自分のことを男だと認識している状態のことです。


 「トランスジェンダー」「性自認」「身体特性」については、次の第2章で説明いたします。



 それでは、次の章へレッツゴー!



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