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伯爵令嬢の休養

五の鐘が鳴り一日が終わりを告げても、アマーリアはぐっすりと眠っていた。


しかし自分の額に感じた冷たさで、衣服が濡れて肌に張り付く不快感で、目を覚ます。


「お嬢様。お目覚めになりましたか」

「メルシス……」


額に氷嚢を乗せてくれたのはメルシスだったのかと理解し、もうクラウスに看病してもらうことはないのねと苦笑する。


「お身体の調子は?」

「少し楽になったわ」


アマーリアの身体を起こして背にクッションを挟み、ケープを肩に掛けてからメルシスが尋ねれば、アマーリアは少しだけ軽くなった身体に安堵し、そう答える。


「湯浴みがしたいわ」

「本日は湯と布で身体を清めるだけにしましょう。粥で栄養を取って……お薬も、飲まなければ」

「湯浴み……」

「ダメです、アマーリア様」


ぴったりと衣服が肌に引っ付いて不快感を露にすれば、メルシスに代替案を出されてしまう。アマーリアは湯に浸かってゆったりしたいと主張を重ねるが、メルシスとクラウスに反対されてしまえば我慢するしかない。


「じゃあお湯と布と替えの衣服を用意してくれるかしら?」


溜め息を吐き諦めたアマーリアにメルシスは頷く。


クラウスが湯と布を用意しに行き、メルシスが替えの衣服の用意しにアマーリアから離れる。


「熱だなんて……いつぶりかしら?」


一人ベッドに残されたアマーリアは久々に感じるこの重たい身体を懐かしく思う。


父と母が存命であった頃はよく熱を出しベッドで伏せていることが多かった。それでもいつも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた両親のことが、大好きだった。


『アリー。マームのすりおろし。好きだろう?』

『アマーリア。今日は拭くだけにしましょうね』


アマーリアが好きな果実のすりおろしを作って食べさせてくれた父が、アマーリアが湯浴みしたいと騒いでも冷静に嗜め身体を拭いてくれた母が。


もう十年以上前の記憶で、父の低い落ち着く声も、母の耳によく馴染む触りのいい声も、二人の顔でさえ霞み始めていることが、アマーリアは寂しい。


父と母の存在はもう形見にしかない。現当主である父の弟が、全て燃やして、売り払って、しまったから。




「アマーリア様」


熱のせいか、感傷に浸ったアマーリア。それを呼び戻すのは、いつだってクラウスの役目。


「湯と布とマームのすりおろしです。お好きでしたよね?」


そしてこういう時のアマーリア泣かせなのも、過去を共有しているクラウスである。


「くらうすぅ……」


えぐえぐ幼子のように嗚咽を上げて泣き出してしまうアマーリア。いつもであればアマーリアの手を握り締めて、華奢な肩を抱いて、大丈夫ですとクラウスは慰める。


けれどもう、そうすることは出来ない。許されない。


アマーリアはもう、伯爵家で愛されていた幼い少女でも、伯爵家で迫害されていた不遇な独りの少女でも、ない。


バーゼルト公爵子息の、婚約者なのだ。



「大丈夫ですよ、私がずっと、お側にいます」


そんな彼女にクラウスが出来ることはそう言葉を掛けるだけ。そんな言葉しか、許されない。


「あらクラウス!お嬢様を泣かせたらダメじゃない!」


とタイミングよく戻ってきたのは替えの寝巻きを持ってきたメルシス。泣いているアマーリアを視界に捉えたメルシスはクラウスから湯と布とマームのすりおろしを奪い、しっしっと部屋から追い出す。


クラウスから奪った物はサイドテーブルに一度置き、アマーリアの寝巻きを剥いでいく。


ネグリジェなどという可愛いモノではない、綿麻で織られた可愛げのない白いローブ。ケープを掛けていなければ身体のラインが透けてしまうが、着心地はネグリジェより優れる。


目覚めて一番最初に会うのが女性のメルシスだからこそ着れる寝巻きである。


「お嬢様。そんなに泣かれては目が腫れてしまいますよ」


アマーリアの身体を丁寧な手付きで拭いながら、未だに泣き止まない顔を覗き込む。


「メルシス……」


これまでアマーリアを看病してくれた人間は三人。その中で、メルシスは生きていれば同じくらいであろう亡き母の年齢と近い。そんな彼女に介抱されれば余計に感傷を呼んで、泣き止めるはずもない。


「大丈夫ですよ、すぐ良くなります」


一通り身体を拭き終えたメルシスは新しい寝巻きをアマーリアに着せ、クラウスが作ったマームのすりおろしを食べさせる。


「おいしい……」


ぱくぱく食べ終えお腹が満たされたアマーリアは強制的に横にさせられ、そのまま休むよう言い付けられた。それに逆らうことなく、眠りにつく。



因みにアマーリアは気付いていないが、マームのすりおろしにはクラウスが中庭からこっそり摘んできた薬草も共に擦られて入っている。しかし薬草を悟らせないよう、マームの爽やかな甘さと高級嗜好品である蜂蜜の甘さに隠れるように味を整えているクラウスの気遣いが裏にある。



「クラウス、これお願いね」

「はい」


メルシスがアマーリアの介抱を終え部屋から出れば、横にはクラウスが並ぶ。抱えていた湯桶と布とマームが入っていた器を受け取って去っていくクラウスの背を、メルシスはじっと見つめていた。


そして暫し見つめた後、メルシスも自分の仕事に取り掛かった。




「メルシス、アマーリアの具合はどうだ?」

「大分良くなっているようです」

「そうか」


本宅で夕食を取り終えた公爵夫人の元を訪れたメルシスは、本日の出来事を語っていく。


「夫人。宜しかったのですか?」


報告し終えたメルシスがハーブティーを注ぎながら漠然とした質問を投げ掛ける。長い付き合いである彼女の言い分を、公爵夫人は汲み取った。


「構わない。あの二人を引き離すのは逆効果になるだろう」


アマーリアと、クラウスのこと。


クラウスがアマーリアへ向ける感情は主に向けるモノのみではない。それは貴族界で生きてきた人間であれば誰でも気付いてしまうことだ。


「アマーリアに自覚はないだろう。そしてクラウスも、自分が従者という立場であることを理解している」


()()()()()()


しかしそれを鑑みても、二人は良い関係である。互いを高め合う、主と従者として。


「アマーリアからクラウスを取り上げれば競争相手がいなくなってしまう。一番の理解者も」


とん、とん、とん、と指で机を叩き思案する公爵夫人。そんな彼女の懸念を、メルシスが突く。


「しかしいずれは、引き離さなければならないでしょう」


至極全うなその意見に、公爵夫人は頭を悩ませる。


当初であればポートリッド伯爵令嬢など眼中にもなかった。故に、彼女が獣人を従者として引き連れていようがどうでもよかったのだ。


しかし、今は違う。


全ての五感が優れている獣人程ではないとはいえ、それでも人間にしては優秀過ぎる才能。


実際このまま次期公爵夫人として育てても良い程の逸材なのである。


だからこそ、そんなアマーリアに獣人の従者を付き従わせる訳にはいかない。


いくらこの国が種族格差撤廃を執り行っていても、長年行われてきたそれが今日明日で変わる程貴族の頭は柔らかくない。


公爵夫人として立つのなら、アマーリアはクラウスと決別をしなければならないのだ。


「お優しいですね」


かつて公爵夫人はアマーリアの立場であった。だからこそこうして感情移入をしてしまうのだ。


従者としての彼を、恋人としての彼を引き離された痛み、に。


「まあ、まだ……時間はある」


公爵夫人らしくなく言葉を浮かせ、メルシスの追求を躱した。


「そうですね」


学園に通っていた頃のような曖昧さにメルシスは懐かしく思い、目を細める。


他愛のない同級同士の会話は何かに触らぬようなぎこちなさで、幕を下ろした。



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