伯爵令嬢の二十日目
「アマーリア!!違うと何度も言っているだろう!!!」
「申し訳ございません!」
現在、アマーリアはとても、叱られていた。
「何故ダンスが出来て剣舞が出来ない!?」
それはそう、全てにおいて高い才能を持つ公爵夫人の思い込み故の、アマーリアへの叱責。
「身体の使い方は同じだろう?アマーリア」
アマーリアの、全然違うという発言は疲労感に潰される。
バーゼルト公爵家は政治がメインだと思われがちだが、その血筋の多彩な才能を生かした結果、王族直属の護衛を勤める者もいる。
実際、長男であるジークムートは政治界と騎士界を兼任している程、優秀な男である。
バーゼルト公爵家には次男と三男、長女も存在するが、長男が全て出来てしまう為に、例え秀才であってもどうしたって比べられてしまう。
それが嫌で長女は隣国へ嫁いだと、言われる程に。
「アマーリア。お前は私の子供達に匹敵するくらい……いや、それ以上の才能を持っている。この程度のことが出来んとは言わせんぞ」
床に座り込み肩で息をしているアマーリアを見下す公爵夫人。アマーリアは拳を握り、顔を上げ、立ち上がる。
既に、手首は死んでいる。それでも、アマーリアは立って指導を乞う。
「宜しい。剣舞祭までにはモノにしてもらうからな」
そもそも何故婚約者留まりなアマーリアがバーゼルト公爵家を代表して国祭である剣舞祭という祭に出ることになったのか。
話は、五日程前に戻る。
「アマーリア。私が来ない間、よく姿勢が戻らなかったな」
公爵夫人は忙しい。それは当然であり、来て頂くこと自体が贅沢なのである。
だから、そう、来るのが唐突であってもアマーリアは文句を言えない。
「公爵夫人の指導の賜物です」
自室に突然現れた公爵夫人に動揺しながらも、アマーリアはここ数日で少しずつ身に付いてきた作法で公爵夫人を出迎える。
その様子に公爵夫人は深く頷き、アマーリアを名前で呼ぶくらいの気持ちにはなった。
「アマーリア。お前は覚えが良い。今日は公爵家の舞をやってみないか?」
「舞……ですか?」
メルシスから教わった公爵夫人の好みの茶葉を用意し、軽いティータイムが始まる。
「そうだ。ダンス、歌の合格を私から出したお前に、剣舞を教えたい」
その言葉にアマーリアは少し考え込む。
自分に剣舞を教えた所で得る公爵夫人のメリットは何か。
そう考えたときに、答えは見つかる。
「剣舞祭の為ですか?」
すぐさま答えを引きずり出したアマーリアに、公爵夫人は内心驚く。そして微笑み、肯定した。
現在、バーゼルト公爵家に剣舞を踊れる女性がいない。その為ではないか、というアマーリアの推察は正しかった。
剣舞祭。
国王に奉納する為の奉納剣舞ではなく、美しさを競い合う為の、もの。
騎士で著名な家系の女性がここぞとばかりに参加し、自分達の美しさを競い合う為の、もの。
「剣舞に興味はあるのですが……」
アマーリアは口を濁す。知らないことを教えてもらうのは良い。しかし、アマーリアは人前に立って目立ちたい訳ではない。
アマーリアの負けず嫌いな、完璧主義な性格と徹底して追い込み技術を高める公爵夫人が合えば、剣舞自体はそこそこ見れるものになってしまう。
だからこそ、アマーリアは濁した。
「ふむ、まあ、私に教わったからといって別に参加しなければならない訳ではない」
悩むアマーリアを見た公爵夫人はもう一押しだろうと畳み掛ける。
折れたのは勿論、アマーリアだ。
「そういうことでしたら、是非。宜しくお願い致します」
頭を下げる。保険が出来たとほくそ笑む、公爵夫人。その悪い顔を見たのは従者のクラウスと、侍女のメルシス。そして公爵夫人の護衛。
肝心のアマーリアは、見れなかった。もしここで見てしまったとしてもお願いした以上断ることなどもう、出来ないのだが。
そんなこんなで始まった剣舞の指導。暫く休みを取ったからと連日指導してくれる公爵夫人。初日、二日目は良かった。アマーリアが初心者だと理解した上で指導していた。
しかし、三日目。それまでも厳しくはあったが、何故か公爵夫人の指導にとても熱い熱が入り始めた。アマーリアも、おかしいとは思っていた。しかし、それでも良くなってしまう動きのお陰で気にしないことにしてしまった。それがいけなかった。
四日目、公爵夫人が剣舞用の剣を持ってきた。
細身の両刃剣。刃が潰してあるとはいえ回してる最中にうっかり自分に引っ掛けたのならば青アザが出来るものを。
細身で軽いとはいえ、それを一日中振り回していたらとんでもない疲労になる。
そこでアマーリアは漸く、尋ねた。
「公爵夫人。私は……剣舞祭に参加しませんよね?」
指導後、物一つ掴めなくなるくらいにまで酷使した腕を擦り、恐る恐ると言葉を掛けた。公爵夫人はとても良い、美しい笑顔で、こう言った。
「その予定だったが、変えた。お前を剣舞祭に出す」
その時の、アマーリアの悟ったような、絶望したような、分かりきっていたような、現実から目を背けた遠い眼差し。
丸まった背中からはとても、哀愁が漂っていた。
何故公爵夫人がアマーリアに剣舞祭へ出場することを強要したのかと言えば、実に単純な話である。
現在、長男のジークムートの婚約者はアマーリアを入れて三人。
そこを、バーゼルト公爵夫人と仲が悪いフェロスエラー公爵家の夫人に目を付けられた。
曰く、仮にも騎士で名を上げたバーゼルト公爵家の婚約者が剣舞すら踊れないなんてことはないだろう?三人もいるのだから、誰か一人くらい踊れるだろう。まあ、うちのフェロスエラー公爵家の長男、ムスツェバーの婚約者程ではないと思うけど。ぷっ。
的な手紙が、来たらしい。それがそう、アマーリアが二日目の剣舞の指導を終えた後の話。
公爵夫人も又、プライドが高い。自分が貶されることは勿論、家名を馬鹿にされることも、他の二人は良いとしても最近のお気に入りであるアマーリアを比較されたことがとても、ムカついた。
これは、そう、全てはバーゼルト公爵夫人がフェロスエラー公爵家が気に入らんからという理由で起こった、巻き込み事故のようなものだった。
「ふむ、そろそろ休養が必要か」
そして六日目を迎える。二の鐘が鳴る前にアマーリアの部屋へと赴く公爵夫人。そこで顔を真っ赤にした、けれども剣舞用の服に着替えて待っていたアマーリアを見た公爵夫人は、呟く。
「熱か。少し飛ばしすぎたようだ。すまない」
アマーリアへ教養を叩き込んだ時の何倍も険しいことをアマーリアに課している。いくらアマーリアの心が指導を乞おうと、身体は着いていけるはずもない。
当然、体調を崩した。
「申し訳ありません……」
動くことさえ困難な頭痛。吐き気。倦怠感。五日間、主に後半の二日間で追い込まれた身体は怠くて、重くて、公爵夫人へ謝罪することさえもままならないことに、アマーリアは苛立つ。
折角教えてもらえるのに。
それがアマーリアを苛立たせる原因だ。
「メルシス」
メルシスを呼び、寝巻きに着替えさせる公爵夫人。その間にクラウスは厨房へ下り、氷枕と氷嚢の支度をしていた。
「ふむ、暇になってしまったな」
甲斐甲斐しく世話をされた結果、アマーリアは眠ってしまった。そうなってしまっては、公爵夫人は手持ち部沙汰になる。
かといって本宅に戻っても優秀な部下に仕事を渡してしまったし、かといって他の婚約者と仲睦まじく雑談をしたい訳でもない。
「バーゼルト公爵夫人」
どうしようか、とこれからの行動を決めあぐねていると、自分を呼ぶ声に振り向かされる。
「なんだ?」
そこにいたのはクラウス。女性の世話は女性がする、とメルシスに役を取られてしまったクラウスも又、時間が空いていた。
「私に剣舞を教えて頂けませんか?」
先を促されたクラウスはそう端的に用件を告げた。これには公爵夫人も眉をしかめる。
「一度で構いません。一度だけ、ご教授ください」
普通であれば使用人が一家の夫人に直接口を利くなど、願い事をするなど無礼もいい所である。しかし、この一家の夫人は普通でない。
「何故だ?」
端から叩き落とすことなどしない。アマーリアにはそれなりの情が湧いている今、耳を傾けるくらいならしてやろうと興味を示した。
「アマーリア様に置いていかれない為です」
主が出来ることを従者が出来ぬなど言語道断だと、クラウスは言い切った。
その歪みない心持ちに公爵夫人はほう、と感心する。
齢18程度の娘に人生を捧げるのかと、獣人であれば従者としてではない方が稼げるだろうに、と。
「いいだろう」
クラウスがどの程度の覚悟でアマーリアに仕えているのかを公爵夫人は知らない。だが、自分を見るそのアマーリアとお揃いの赤い目が揺らがないことが気に入った。
努力する者は嫌いではない。例え礼を失した行動も上へ駆け上がる為の手段なのだと知ればそれでもよい。
そんな変わり者の公爵夫人は今日だけは見てやろうと決めた。
どうせなら、と自分の護衛の剣を奪い、クラウスへ持たせる。
「やってみろ」
アマーリアが扱っていた剣の何倍も重いそれ。クラウスはアマーリアが舞っていた剣舞を思い出しながら、それでいてこの無骨な剣が目立つように、アマーリアの華麗な、儚い、消えそうな舞とは正反対にの舞を舞う。
鬼気迫るイメージ。一歩踏み出せば殺されると思わせる程の迫力を。剣が空を舞えば自分も同じように舞って優雅さを。くるくる剣が手元で踊れば遊んでいるような無邪気さを。
「…………見事だな」
想像以上の獣人のポテンシャル。何度もアマーリアにやらせたとは言え、それを見ただけで再現し、かつ剣が立つようにアレンジまで加えてきた。
見事。その一言しか、クラウスを評する言葉はない。
「いや、教えることなどない」
一通り終わったクラウスが公爵夫人へ意見を伺いに行けば、公爵夫人はばっさり切り捨てた。
「恐らくお前が剣舞祭に出たら優勝するだろう、な」
剣を取り上げて護衛の腰に佩かせる。そして一応、釘を刺す。
「ありがとうございました」
クラウスの剣舞を見た公爵夫人は別宅から去って行った。
一方、合格点をもらったと解釈したクラウスはこれからも自己研鑽の為に剣舞を舞おう、と決意した。