伯爵令嬢と中庭
遂にこの日が来てしまった。
以前贈られた深緑のドレスに身を包み、ルイスに髪を整えられているアマーリアは既に何度目かわからない心の嘆きをまた呟いた。
寂れた中庭へ向かう最中偶然出会ったあの日、後に詳細な日時の記載がされたお茶会への招待状をしっかり送ってくれたサラセリーカ。
手紙の結びにもバイオリンが楽しみですと無垢な微笑みが浮かぶ文字が書かれており、申し訳ないがその期待がちょっと重たく感じてしまうのは仕方のないことであった。
とはいえ、一介の伯爵令嬢が大国サウシェツゥラの皇女と交流が持てるなど誇らしい以外の何者でもないし無論それはアマーリアだって例外ではない。
ないが、あの不可思議なことをたまに言うランドルフもその場に同席しているということ、そして何よりバイオリンの名手であるハイディの面を汚したらどうしようという心配が足首に鎖を掛けているのであった。
「今日もありがとうルイス。行ってくるわね」
「はいお嬢様、行ってらっしゃいませ」
しかし内心でそううだうだしていても何も変わりはしないので、準備を終えたアマーリアはバイオリンを手にしてさっと部屋を出た。
小さなお茶会が開かれる時間は正午。丁度昼休憩に当たる時間帯であり、極一般的な茶会が始まる時間でもある。
「ポートリッド伯爵令嬢」
重い足取りを加味して時間のゆとりを持ちつつサラセリーカの過ごす部屋へと赴く最中、目的地まで半ばといったところでアーノルドと出会い呼び止められる。
「どうかされましたか?」
挨拶も手短にこちらへ向かう途中だったであろう彼にそう尋ねれば、ちょっとしたトラブルがあってお茶会の会場であった部屋が汚れてしまったため、場所を変えたいとのことであった。
今はその場所を見繕っている最中だから少し時間をずらしていただけないか相談に伺うところだったと告げられる。
「もし貴女様が何処か場所をご指定なさるのであればそちらで、とも言付かっております」
「なるほど」
話を一通り聞き終えたアマーリアは思案する。
格差の激しい自分達が過ごす部屋に招く訳には行かない、それは自国の恥を晒すのに等しいから。
しかし基本的にバイオリンを練習する以外外に出ていなかったので目ぼしい場所が思い付くはずもない。
故に日時を改めた方が良いのではないかと提案してみたところ、アーノルドが悩まし気に目を伏せた。
「実は明日、ランドルフ様が自国へ帰る予定でして。勿論こちらの茶会はサラセリーカ様がホストとなって開催するものではあるので明日以降へずらしても問題はないのですが……その、どうしても茶会に参加したいとのことでして」
話し難そうに内情を説明してくれたその先を察する。もし仮にサラセリーカとアマーリアのみで茶会を行おうものならばサウシェツゥラの二人のやり取りは白熱するに違いないだろうと。
「整った場所、ではないのですが」
「何処か宜しいところが?」
慣れているとはいえ板挟みになることを望んでいる訳ではないであろうアーノルドを案じて、通るかはわからないものの一つ候補地を上げる。
「人通りもありませんし、充分です。ありがとうございます」
例の寂れた中庭、そこへ案内をしたところ許諾された。
「それ程時間は掛からないとは思いますがどうされましょう、お部屋に戻られるのであれば準備が整った後にお声がけさせていただきますが」
「いえ、こちらでお待ちしております」
「承知致しました、そのようにお伝えして参ります」
アーノルドの気遣いを有り難く思いながらも断り、主人を呼びに行った背を見送る。
「まさか練習場所と本番が同じ場所になるなんてね」
いつも使っているベンチへ腰を掛けては何故か浮かない顔をしている従者を見上げるアマーリア。
「どうしたの?」
「いえ」
何でもないというのには余りにも表情が硬いのに、彼は今日も何も教えてくれやしない。この場所でのお茶会を提案したのは不味かっただろうかと考えるもそもそも何一つ話してくれないのだから思考するだけ無駄かと俯く。
「……もし」
「うん?」
暫し昼下がりの心地よい風を浴びながら静かに眼を閉じていたとき、不意な呼びかけに耳を傾ける。
「もしもこの世界を救って欲しいと突然言われたら、アマーリア様はどうなさいますか」
あまりに突拍子のない話題に一瞬面食らうも、その真剣な面差しから決してふざけている訳ではないと理解して同じように考えてみる。
「出来る範囲でなら、と答えるかしら」
きっと、全ては救えないから。だけど自分が出来る範囲では頑張ると答えたアマーリアに、クラウスは続ける。
「自分の大切なものを一つ失う代わりに、世界を救えるとしたら?」
至って冷静な口調。突拍子もない仮定の話。引き合いに出された天秤。
何故ありもしない未来を深堀りするのかはわからないが、それが彼にとって重要なことならばと再び頭を働かせる。
「大切なものが何かはわからないの?」
「アマーリア様の思う一番大切なもので構いません」
空を見つめる赤い眼は自分を映さない。
だから自分も、荒れた地面を見つめる。
「アマーリア様!」
そうして一つの言葉を口に出そうとしたとき、丁度サラセリーカが小径から顔を覗かせて話は途切れた。
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
「いいえサラセリーカ様、お会い出来て嬉しいです。それとこちらのドレス、お気遣いいただきありがとう存じます」
「いえ!私の我儘でこのお茶会に参加してくださるのですから、それくらいのことは。良くお似合いでいらっしゃいますね」
茶会を行うためのテーブルや椅子やパラソル、菓子類茶類を乗せたワゴンが運び込まれてくる中で挨拶を交わし、贈られたドレスへの礼も忘れない。
「一つお尋ねしても宜しいでしょうか」
「何でしょう?」
「何故ドレスを贈ってくださったのですか?」
届いたその日からずっと不思議だったこと。勿論その気遣いのお陰で私的とはいえ皇族の茶会で同じドレスを着回すという恥、しかも王女の代理として招聘されている身での自国の恥を晒さずに済んでいるのではあるが、何故そのような気遣いをしてくれたのかアマーリアはずっと疑問だった。
「このドレスがアマーリア様に似合うと思ったからですわ!」
「……それだけ、ですか?」
「それ以上に何かあるのですか?」
「いいえ。大切にさせていただきます」
そしてそんな疑問はシンプルに答えられた。無垢に首を傾げるサラセリーカの腹にどんな意図があったとしても、それは自分を害するものではないのだからこれ以上の追及はいらないと話を切る。
「良かった、私の贈ったドレスを気に入っていただけて」
「……はい、ありがとう存じますサラセリーカ様」
「そ、そのお顔はもしかして何か問題がありましたか?何か気に入らないところが?」
「いえ。そういった訳では」
常識的に考え贈り主が彼女であることは違いないと考えていたものの、それが明白になったことであのメッセージカードが一瞬浮かんで返事に遅れる。それを悟られ苦い顔で詳細を要求された結果、あの宛先のことを話すとその顔は更に歪む。
「申し訳ありません、本来の私のメッセージカードが捨てられてそちらに変わっていたようです。そうなると……」
アマーリアが今日どのような心情で自分が贈ったドレスを身に纏ってくれたのかを想像したサラセリーカは、あとであの兄を話し合いをしようと決意を固めた。
「アマーリア様、改めてそのドレスとてもお似合いですわ。さ、立ち話もそこそこに先にお茶をいただきましょう、兄は後から来ると思いますので」
「はい」
何事もなかったかのように振舞う彼女に倣い、二人は設置の終わった椅子へと腰掛けて和やかなお茶会を一足先に始めることにした。




