伯爵令嬢と皇族の茶会と
待ち遠しい日、というのは来るまで随分長く感じるものだが、反対に遠くへやりたい日というのは幾分も早く訪れる気がするものである。
即ち本日、アマーリアはサウシェツゥラ皇族の茶会に参加する日である。
「ポートリッド様、本日は突然の招待にも関わらずこうしてお会い出来たことに感謝と陳謝を述べます」
「殿下、」
「おやめくださいポートリッド様、伯父に巻き込まれた方に堅苦しい挨拶口上なんてさせられませんわ。ひとまずあちらへ」
三の鐘が鳴る頃、申し訳なさそうな第二皇女サラセリーカに出迎えられたアマーリアは社交界のマナーに則り、挨拶と称す社交辞令を語ろうとするがそれは即座に制されて中へと通される。
「改めまして、自己紹介からさせてくださいませ。私はサウシェツゥラ第二皇女、サラセリーカと申します。お気軽に名前でお呼びください」
部屋の中央に用意された茶会の席に着き、ここに招待した張本人がいないことに若干の安堵を覚えたアマーリアの正面、薄いグレーのドレスを纏うサラセリーカが挨拶を述べて茶会が始まる。
「レスカレド王国から、第一王女殿下の代理で参りましたアマーリア・ポートリッドでございます。どうぞご自由にお呼びくださいませ……サラセリーカ様」
「はい、アマーリア様。よろしくお願い申し上げます」
許可があるとはいえ、恐れ多くも皇女の名前を呼ぶことなど出来ないと差し障りのない挨拶を締めようとしていれば、その意図を汲んだ皇女から非難の視線を受けてアマーリアは最終的に彼女の名前を呼ぶ。
そのことに満足そうに微笑んだサラセリーカは、途中雑談を交えながらも手ずから茶の支度を始めた。
「伯父は今向こうの部屋に閉じ込めていますの。そのうち出て来るとは思いますが、一旦あの方のことは忘れてくださいませ」
良い香りが立ち昇る部屋の中、この場にいない王兄殿下の存在に触れたサラセリーカに、内心で閉じ込めたとはどういう意味なのだろうと首を傾げるアマーリア。
それをそのまま聞くことは勿論ないが、顔を合わせなくても良いというのであればそれに越したことはないので彼女は何も突っ込まずにただ頷いて応えたのだった。
「あ、そういえばアマーリア様、動物はお好きですか?」
「……はい。昔は、屋敷の庭園に小動物が集まっていたこともありましたので」
そして暫く、慣れた手付きで紅茶を注ぎ終えればそんなことを尋ねるサラセリーカの言葉に、比較的自然の多い場所に位置する伯爵邸を思い出してその日常を語る。
「良かった。それならば呼んでも大丈夫でしょうか?」
「サラセリーカ様の飼っておられる子をですか?私は構いませんわ」
「ではお言葉に甘えて。ソル」
あくまでもアマーリアの淀む答えには深く触れず流し、彼女の許可を得てから何かを呼ぶ声。
応じて、銀色の毛並みが視界を横切り二人の足元に現れる。
「……!」
それに一早く反応したのは、入口付近でずっと待機していたクラリス。今までなかった気配に警戒するように耳を立て、状況を把握しようと素早く主の傍に近寄りそれを見下ろす。
銀色の毛並み、二つ立つ耳は自分と同じもので、また等しく赤い眼は試すようにこちらを、見上げていた。
「……幻狼の一族が、残っていたのですか?」
「はい。城内で行き倒れていた彼を偶然見つけ、手当てをしたところ懐かれまして、こうして護衛として共にいるのです」
驚愕のあまり、疑問を口に出してしまったクラリスを咎めることなく肯定したサラセリーカは出会いを語り、己の腰丈程の全高である、もう既に滅んだとされていた銀狼の一族、別名月光狼と呼ばれていた彼の頭を撫でる。
「ソル、というお名前はこの子の種に因んで名付けられたのですか?」
「いえ……お恥ずかしながらその当初は昔話を存じ上げていなくて、適当に名付けたものです。妙にこの名前を気に入っているなとは思っていたのですが」
サラセリーカの手にされるがままのソル、何処か既視感のある赤い眼をじっと見つめていたアマーリアが、ふと所以に触れる。
月光狼の一族の始まりは、かつてこの世界を治めていた女神の守護者であった原初の狼が太陽を食べてしまったことから。
それまでいつの時間も明るかった世界は光を失い、そのことを女神に叱られ彼女の世界から追い出された原初は仕方なしに自分の腹でずっと輝く太陽を分けてやることにした。
太陽の力を持つ自分の分身を作り、その銀色の毛並みで世界を照らす。
それは煌めくような太陽の光でありながらも淡く、白い。
太陽とは異なる性質を持った光を女神は気に入り、それが定期的に見れるように太陽の時間と白い光の時間を作る。
いつしか人々が二つの時間で過ごすのが当たり前となった頃、誰かがもっと暗い時間が欲しいと言い出し、女神はその要求に答えるべく原初にもっと分身を作ってそれを増やしたり減らしたりして明るさを調整して欲しいと頼み出来上がった結果、白い時間内での明暗が生まれた。
そんな風に人々が過ごしやすいよう分身を作っているうちに管理が面倒になった原初は分身に自我を与え、白い時間の管理を任せることに。
女神が管理する賑やかな太陽の時間、原初の分身が管理する静かな白い時間はやがて人々の時間基盤を作ることとなり、朝と夜が出来上がって、経過する時間を日と週、月と年として数えるに至った。
そして白い時間の明暗が一月とほぼ一緒であることから白い時間を作る原初の分身は月と呼ばれ始め、信仰と名前を得たことでそれは象徴となって月の女神が誕生する。
こうして分身は役目を終え消え行く定めであったが、月の女神の恩寵と原初の許しによって彼等は一つの種として生きることとなり、人間達の世界に降りる。
原初の分身、世界に降りた彼等は月の恵みを浴びて生きて行き、満月の夜に淡く発光する身体で野を駆ける姿から月光の狼と呼ばれ始めた、というのが歴史書に記されるルーツ。
「太陽を思わせるような赤い煌めき、この子に良く合っていると思います」
脳内でさらりと昔読んだ本の内容を浚い現実に戻り、未だにこちらをじっと見つめているソルへ無意識に手を伸ばすアマーリア。
「こ、こらソル、何してるの」
こんっと自分に伸ばされ掛けた腕に頭突きをかまし、ぐりぐりと強引に銀色の毛並みを擦り付けるソルを嗜めるサラセリーカだが、寝不足で仕上げられた紺色のドレスはきらきらと光を纏うばかり。
「ソル……!」
とても申し訳なさそうな顔をしながらなんとか引っ張り離そうと彼女の護衛騎士もアマーリアに引っ付くソルを動かそうと奮闘に参加。
「問題ありませんわサラセリーカ様、その子の気の済むようにさせてあげてくださいませ」
「誠に申し訳ありませんアマーリア様、後日正式に謝罪をさせていただきますから……」
「いいえ、本当にお気になさらないでください」
しかし何がなんでも動かないソルの頭を撫で、毛まみれのドレスを纏う当の本人は全く気にした様子もなくサラセリーカの申し出に首を振りつつ口を開く。
「こんなことを申し上げると不可思議に取られると存じるのですが」
「はい?」
手が沈み込むようなふかふかの毛並み、しっとりと肌を包み込むかのような手触りにアマーリアが目を伏せつつも恥ずかしそうに続ける。
「……とても、懐かしい気がするのです」
幼少期、もしかしたらずっと前かもしれない記憶の端にあるような感触を手繰り寄せて呟き、ソルの毛並みも、香りも、気配も、何処かで知っているような気がすると、そんな訳ないのにと、苦笑いを浮かべたアマーリア。
「……」
「……」
目を伏せているアマーリアの上、交わされる二人の視線が意味していることを、渦中の少女はまだ知らない。




