伯爵令嬢と招待状
ケープトンを訪れて一週間余り。
ハイディが懸念していたような王太子殿下暗殺による国家の揺らぎは思いの外少なく、毎日のように開かれていた友好関係の維持を目的とした個人達の茶会も大分頻度が落ちてきた頃。
それはある意味、皆がゴシップに飢え始めているいうことでもあって。
「ポートリッドのご令嬢はどちらにいらっしゃるの?」
「私達、以前からあのバーゼルトご子息の婚約者であるポートリッド令嬢とお話ししたいと思っておりましたの」
「昨日会場にいらした騎士の方もどちらにいらっしゃるのかしら?」
「申し訳ございません、お嬢様及び護衛の方は只今庭園へと出掛けておりまして」
即ち、先日自国のパーティにさえ滅多に顔を出さないと言われるサウシェツゥラの王兄殿下に話し掛けられたアマーリアは、新たな良いゴシップの的だった。
ただでさえ夢見が悪くて寝不足であるというのに、昼頃からひっきりなしに部屋へ訪れる他国のご令嬢達にうんざりしつつルイスが部屋の扉を閉めたのを確認してから、入口からは死角となる右手前側の壁際に据え付けられたチェストから姿を現すアマーリア。
「……何人目かしら?」
「五人目、でしょうか。きちんと招待状をお持ちして茶会に招待してくださった方も合わせれば十五になりますね」
「はあ……」
昨夜の件も相俟って珍しく溜め息を吐き出すそんな主の背を、今日は侍女服に身を包むクラウスことクラリスは見つめる。
ここに来てから、アマーリアの体調はずっと宜しくない。それは目に見えぬ闇の精霊のこともあってだろうが、主自身にもとある変化が起きているからだということも理解していた。
そしてその最たる原因は、昨夜のパーティで出会った明らかにアマーリアの母と同じように人ではないサウシェツゥラの姫君に感化されているからだとも察している。
これ以上、この国にいるべきではないとも。
「お嬢様は元々の招聘者であった第一王女のアリーシャ様の代わりにいらしていますから、その代理権限で王家の方々以外の茶会を断ることも可能、というのは不幸中の幸いでしょうか」
どうすればアマーリアを何事もなくケープトンから連れ出せるだろうか、と思考を始めたクラウスを他所に、気疲れしているアマーリアをなけなしの言葉で慰めるルイス。
社交界のルール上、爵位が上である家門の招待は断れない、断れるが断ったらどうなるかわからない、という風潮がある故にもしアマーリアが普通の伯爵令嬢としてこの場に参事していたらこの招待状全て受けなければならないところ。
しかし、アマーリアは一応第一王女であるアリーシャの代理。なので仮初めとはいえ彼女に与えられている立場は王女と等しいのでこうして他の御令嬢達が態々お伺いを立てているのだ。
部屋に押し掛ける令嬢達は、別として。
「正式に王家の方から招待状が届かない限りは参加しなくてもいいと思うけれど、ハイディ様のことを思えばここで社交を重ねて少しでも良い取引先を作るのが賢明よね」
一つの束になりつつある招待状を眺め、伯爵位より上しかない家紋の印が捺されたそれに気乗りはしないものの手を伸ばす。
ハイディには、ただ無事に帰ってくれば良いと言われた。
しかし、第一王女の代わりとして列席をしている以上、ある程度の社交はこなさなければならないのではないだろうかと内なる真面目なアマーリアが主張しているのだ。
気乗りはしない。気乗りはしないが、中身を確認するだけだと一番上の招待状を手にして封を切り替えたとき、部屋に軽快なノックが響く。
「やあ、麗しの月の女神。ご機嫌如何かな?」
「……申し訳ありません、ポートリッド様」
このノックの仕方は魔術師団長のルーカスだろうか、と腰を上げたアマーリアが扉を開ける前に不機嫌そうなクラリスがその二人を出迎えていた。
「ああ、そのままで構わないよ。これを届けに来ただけだから」
王族に会うような服装でもないし態度でもなかったアマーリアが急ぎ挨拶の礼だけでもと身体を屈めれば、それを王兄殿下であるランドルフが制する。
そして一枚の手紙を懐から出して、無表情のクラリスへ渡した。
「それじゃ」
「申し訳ありませんでした」
その中身をクラリスが察し、その表情でそれが何かを悟ったアマーリアが口を開く前に嵐のようなランドルフと終始謝罪を繰り返していた第二王女、サラセリーカは去っていった。
「……」
「……」
「……」
静まり返る空間の中、三人で顔を合わせる。
「……開けるわよ?」
数十秒か、数分か。
暫くじっと互いを探るように目線を右往左往させていたものの、諦めたようにアマーリアはクラリスから手紙を受け取り封を切った。
そこに書かれていたのは、予想通り茶会への招待。
三日後の昼、軽食も兼ねてどうだろうかという旨のお伺いだったが、仮初めの王女であるアマーリアに正当な王家の血を引く方からの誘いを断るなんて選択肢、ないのである。
「……アーディ、呼んでくれる?」
「はい」
となればこれから三日後の茶会に備えて支度をしなければならないから、とりあえず衣装係であるアーディを呼ぶことに。
普段来ているドレスは着易さ重視で、とても王家の方々と肩を並べる場所で着て良いものではない。
それに、ドレスが変わればアクセサリーも靴も全てが代わる。
王家の方が開くような茶会に来て行けるドレスなんてあったかしら、なんて遠い目をしても真っ白い招待状は消えることなくアマーリアの視界の端に映り続ける。
「アリー、災難だねえ。どうしてそんな大国の王族になんて気に入られちゃったの?」
「アーディ、不敬で獄中へ入れられても助けられないわよ」
「ははっ、確かに。気を付けよ」
サウシェツゥラの二人が部屋を訪れてから半刻程。
とても他所様には聞かせられない軽口とドレスの入った木箱達を携えてやって来たアーディは、軽口の合間にちらりと入口横に控えるクラリスを見やる。
説明しろよ、と訴え掛けるその視線に自分だって変わらず良くわからないと首を振るクラリスにしか聞こえないくらいの舌打ちをかますアーディ。
「アリーが王族の人間とお茶会ねえ……公爵夫人から一応これ持っていけと言われて持ってきて良かったよ」
無口無表情なクラリスからは何も情報は得られないと諦め、本来の目的である見立てを始めたアーディは一つの木箱から一枚のドレスを取り出して傷めないようそっと台の上に置いた。
「……随分と上等なドレスね?」
「うん。公爵夫人が何があってもいいようにそれは持っていけって、向こうにいるうちに仕立て終えろって言ってたからさ」
一目見て上質とわかる紺の絹地にあしらわれる艶やかなシルクのフリルとそれを引き立てる意匠のレース。
所々に散らばって動く度にしゃらりと揺れそうな宝石がまた目を引くのに、決して下品にはならない絶妙なバランスで足元を彩る。
一度も目にしたことのないこのドレスは恐らくハイディのものか、ハイディが密やかに自分の中のために仕立ててくれていたものかのどちらかであろうが、嬉しそうでありつつ何処か陰を帯びるアーディの言葉を聞くに後者であると察せられた。
「アリーが公爵邸に行って暫くかな?多分その頃にはもう次期公爵夫人としての期待をしていただろうから、それに相応しいドレスを用意して欲しいって言われてね」
本来、お披露目はもっと先だったんだけど、と加えるアーディの目元に若干の隈が出来ているのはきっと、そういうことなのだろう。
「でも、間に合って良かった。昨日クラリスからアリーがサウシェツゥラの二人と知り合ったって聞いてさ、急いで最終調整に取り掛かったから」
「アーディ……」
「僕は大丈夫。だからアリー、とりあえず着てみてよ。ルイス、手伝ってあげてくれる?」
「かしこまりました」
自分達と会っていない間、まさか仕立て屋としての仕事をしていると思っていなかったアマーリアが彼を気遣う言葉を吐く前、それに重ねるようにして着替えるよう促すアーディ。
申し訳なさそうな顔をしつつもルイスと共に衝立の中へと入ったアマーリアを見送ってから、脳内に存在する彼女の姿を思い浮かべつつ今度はアクセサリーの類いを選んでいくのあった。




