伯爵令嬢の三日目
「さて、今日は図書室に行くわ」
「宜しければ私が見繕って参りますが?」
「ううん、本の匂いを嗅ぎたいから」
本日も朝早く準備万端なアマーリア。二の鐘が鳴る前に起き出し、支度を済ませ、図書室へ行こうとクラウスへ急かす。
そんなアマーリアを見たクラウスは気を利かせてアマーリアの趣味に合うだろう本を持ってくると提案したものの、それは敢えなく却下された。
実に久々である趣味の時間は、例えクラウスであろうと邪魔されてたまるものかとアマーリアははしゃぎ、半ば駆け足に近い状態でクラウスに図書室まで案内をさせる。
「皮の匂い、インクの匂い、埃の匂い……!」
図書室は一階の左端に存在した。I型の、公爵家にしては少し小振りな屋敷ではあるものの、それは別館であるし蔵書量も余り期待は出来ないだろうと思っていたアマーリアの想像より二倍はあった。
戸を開けた瞬間に感じる自分が大好きな香りにアマーリアは駆け足で近付き、手当たり次第本棚を眺める。
「ふうん、悪くはないわね」
貴族のステータスとして、如何に高価な物を持っているかという面が存在する。貴金属は勿論、流行りの服飾だったり、食べ物であったり。しかし、沢山の本を持っているというのはそれに当てはまらない。だから、物好きな貴族でなければ高価で、劣化しやすい本を蔵書する人間はいない。
が、公爵家はどうやら物好きな人間がいるようだ、とアマーリアはご機嫌であった。
「読んだことのない本ばかりだけど、この医術の本とか戦争指南の本とか……面白そうね」
棚を舐めるように隅から隅へ目を通したアマーリアは、とりあえず興味の惹かれた医術の本と戦争指南の本を手に取り、クラウスへ持たせた。
「…………五歳から始める立派な令嬢……?マナー教本かしら、これも必要ね」
アマーリアの両親が亡くなったのは八歳の頃。レディの嗜みを始めるのは丁度その年からであった為に、アマーリアの教養は完璧とは言えない。唯一義両親が付けてくれたのは講師は、失敗すれば鞭で十回叩くような人間。その癖間違っていることを平気で教えたりと、アマーリアを貶めることに熱意を注ぐ講師であった。
「思い出したらムカついて来たわ」
アマーリア的にはかなり失敗した社交デビューを苦い程に噛み締め、その本も重ねる。
「絶対に失敗しない刺繍……詩集……これも一応」
「覚えておきたい領地経営……?」
「トューハ(鳥だよ人名じゃないよ)でもわかる!はじめの一歩の勉強!」
「これで完結!護身術!」
「…………アマーリア様」
気になったもの、必要だと思った知識に該当する本を片っ端から読み上げ積み重ねていたアマーリアに、ついにクラウスが声を掛けた。
「一度、ここで引き返しませんか?」
両手に本を抱えているクラウスの顔が本になっているのを見たアマーリアは、見えていないだろうけど頷いて了承し、ひとまず自室に戻ることにした。
「アマーリア様、止まってください」
うきうきで後ろを歩くアマーリアを制したクラウス。何事かとひょっこりクラウスの背から頭を覗かせ、前を窺った。
「なによ!このわたしのいうことがきけないというの!!?」
がっしゃーん、と、盛大な効果音が付属する。
「何事?」
即座に顔を引っ込め、伯爵令嬢か子爵令嬢か区別付かないくらいの距離であるが故に、クラウスに尋ねる。
「ユリリス・リベルドリア元伯爵令嬢ですね。起き抜けに湯浴みの用意をしていなくて気が利かないと、今すぐ用意しろと侍女へ言っているようです」
「ふうん、通れない感じかしら?」
五感に優れる獣人特有の視覚、聴覚の高さで状況を判断したクラウスが顛末を説明すれば、アマーリアは興味を無くしたように自室に戻れるのか戻れないのかを聞き返す。
「恐らく無理でしょうね。声が響いているので一階のホールで仰っているのでしょうし、あそこ以外に二階へ上がる階段が存在しないのです」
「…………そう」
明らかに気落ちし、肩を落としたアマーリアは廊下で黄昏る。部屋に早く戻り、ゆっくり読書がしたい。けれども、まだ他の令嬢とは顔合わせをしたくない。そんな優先順位のうち、後者を優先させたアマーリアはきょろきょろと周りを見渡し、目当ての窓に近付く。
「仕方ないから、窓から出て中庭か庭園で読書することにするわ」
クラウスだけなら、誰にも気付かれずにホールを通って自室に戻ることが出来る。けれど、普通の少女であるアマーリアを連れては流石に厳しい。故に、アマーリアは部屋に戻るのは諦め、安全に読書が出来る所を求めて屋敷の外に出ることにした。
「屋敷の裏だし、木陰だし、適度に風も通るし……ここでいいかしら」
窓から抜け出し、適当に散策すればうってつけ、とまではいかないものの、それなりに腰を据えられる場所はいくつかあった。
そんな中からアマーリアは一区画に真白の草木が纏められ、土は適度に湿り気を帯び、風は抜けるという人目を憚りつつ快適さも兼ね備えた場所で読書をすることに。
「アマーリア様、これを」
クラウスが何処からか取り出した敷物を木陰に敷き、アマーリアを誘導する。それに倣いアマーリアはそこへ座り、クラウスが差し出した本を開く。
「うん…………腰高くらいの装飾草のお陰で見つかりにくいわね」
日が昇ってる故に本来の美しさは隠れているが、純白の草木越しに真っ白のアマーリアがいたとしても注視しなければ気付かない程にはアマーリアは隠れていた。
「クラウス、誰か来たら教えてくれるかしら?」
「はい、アマーリア様」
そう告げ、アマーリアは読書に入る。クラウスは持っていた本を敷物の上に並べ、アマーリアの邪魔にならないようにと純白の、雪の木へと登る。
綺麗に生い茂る雪の木にクラウスは埋もれ、アマーリアに注意しつつも周りの警戒も怠らない。
そうして過ごす間にアマーリアは持ってきた本のいくつかを読み終え、五の鐘が鳴った。
「アマーリア様、そろそろ戻りましょう」
木から下り、文字を追うアマーリアの肩を叩く。緩やかに上げられた視線がクラウスを捉え、アマーリアは漸く日が沈みかけていることに気が付く。
「なるほどね、通りで先程から文字が読みにくいなと思っていたわ」
パタン、と閉じた本をアマーリアは読み終えた本の上に置く。
日が暮れ、装飾草と雪の木が微かに光を帯びていることを確認したアマーリアは、再びクラウスに本を持たせて自室に戻ることにした。
「もういないかしら」
「はい、自室に戻られているようです」
抜け出した窓から屋敷へ戻り、ひっそりとホールの様子を窺うクラウス。特に誰もいないとのことなので、アマーリアはそのままホールを抜けて階段を上り、漸く自室に戻ってきた。
「少し冷えたから、先に湯浴みの支度をしてくれる?」
「かしこまりました」
屋敷の室温をぬるく感じたアマーリアは自分の身体が冷え初めていることに気が付き、クラウスへ指示を飛ばす。
自分が湯に浸かっている間に夕食の支度が出来るだろう。そう考えたアマーリアは、とりあえず中断した読みかけの本に手を伸ばし、ソファに凭れた。
「うーん、ジークムート様は私に教育係を付けてくださると仰っていたけれど、いつ頃になるのかしら……」
昼と合わせ、借りてきた教養用の本を一通り読み終えたアマーリアは呟く。前準備としての知識は頭に叩き込んだ。けれど、知識であるのと実践をするのとでは勝手が違う。出来れば他の令嬢と顔合わせをする前に、アマーリアは公爵家の教養を身に付けておきたかった。
「アマーリア様、湯浴みの支度が終わりました」
「ありがとう、今行くわ」
そう考え始めた頃、支度が整ったとアマーリアは呼ばれたので、そちらを優先することにする。
そして、湯に浸かりつつ、どうやってジークムート様に接触しようかを考える。クラウスに頼めばいとも容易くジークムートへ手紙を持たせられるだろうが、それでは不敬だと言われてしまう。かといってここの屋敷の人間に手紙を預けたって恐らくジークムートの元には届かない。
「…………面倒ねえ」
余りにも露骨な嫌がらせは慣れているとはいえ、辟易する。
「本宅の人間に預けましょう、か」
それでも駄目だったのなら、それを説明した上でジークムートに手紙を直接渡すことにしよう。と、半ば思考を放り投げてアマーリアは決めた。
「さて、次はご飯ね」
楽しみである。クラウスの作ってくれる食事と、ここの素材の良い料理が。
アマーリアはそう心中皮肉りつつ、甘い香りのする石鹸で身体を洗い、洗面場に用意してあるタオルで身体を拭う。
ネグリジェを着て、ケープを羽織り、濡れた髪はクラウスに乾かして貰う為にボディタオルより一回り小さいタオルで纏め、メインフロアへと戻る。
「先に御髪を乾かします」
湯冷めします、と、食事よりも先に髪を乾かされることになったアマーリアは洗面場に戻された。軽く髪の水分をタオルで拭き取り、洗面場に備え付けてあった火と風の混合属性鉱石が埋め込まれた道具で髪を乾かしていく。
「…………便利だわ」
その道具に魔力を流せば、温風が出る。そうすれば、短時間で髪が乾く。髪も艶々に仕上がる。何も手入れをしていない割には綺麗に髪を維持していたアマーリアだったが、この髪を乾かす道具をここで使うようになってからは、更に磨きが掛かっていた。
「これで大丈夫ですね。すぐに夕食の支度をして参ります」
洗面場から出ていったクラウスの後を追う様に再びメインフロアに戻り、テーブルに付いてクラウスを待つ。
そうして幾ばくかして、並べられる食事を堪能したアマーリアの一日は就寝の鐘と共に終わった。
アマーリアが便利と言っているのはあれです、勿論お風呂上がりに使うにあれ。