伯爵令嬢と記憶2
うつらと、また夢に沈んでいくアマーリア。
「……ここ、は、」
自我ははっきりとあるに、決して自分の思い通り身体は動かないという不思議な感覚に佇んでいたアマーリアは、突如暗闇の中開けた曇天に息を呑む。
『お、おとうさま……?お、おかあさま……!』
鋭く甲高い、幼い声がぐしゃぐしゃになった馬車を見つめて叫ぶ。
『クラウス……!クラウスッ!』
私と同じように投げ出され、馬車の近くに横たえる彼の名前を呼びながら痛む身体で駆けるその姿。
『あ、リー?』
『クラウス!よかった、あのね、お母様が、お父様が、』
土煙にまみれ、美しい赤銀の髪を汚す彼を叩き起こして残骸と化す馬車を指差すその眼は虚ろで、ただお母様が、お父様が、と繰り返す。
見たく、なかった。
楽しくて穏やかな記憶に反し、ずっとこびりついて離れない、こんな記憶は。
『……っ!』
けれど、目を閉じるとこは許されない。過去を繰り返すだけの夢は、アマーリアが直視していようがしていまいが、構わず彼女の頭の中で繰り返されるから。
『…………アリー。僕が、見てくる。だから君は、ここにいて?』
『いやよ……!わたしもいく、いくわ……!』
『いいから。ここにいて、ね?』
幼くとも、アマーリアよりは年を重ねているクラウスが全て状況を把握し、努めて明るくまだ現実を受け入れようとしない少女を窘めて、一歩ずつその馬車に近付いていく。
崖から落ちてひしゃげる箱、何処かへ飛んでいった車輪、空の御者台へ。
歪む扉は引いても開かない。
だから、割れて粉々に砕け散る窓から香る死に怯えながら、クラウスはぽっかりと口を開けて待つその場所に手を掛けて、覗き込む。
『……っ!』
そして飛び込むのは、木目の美しい内装にこびり付く朱。
互いを守るように重なり合う身体。
音のない、空間。
『クラウス……?ねえ、お母様達は……?』
惨状を呑み込み、理解したところで、宙に浮く自分の足に震える手がすがり付く。
『……ねむっ、て、いるみたい』
今、こうして年を重ねた今ならば、それが何て不器用で優しい気遣いだったのかを知れる。
『あは、なんだ……よかった』
すがり、震える自分の手が力なくクラウスの足から滑り落ちて、現実から逃避する幼い自分。
気が付いていた。
空を見上げても落下場所が見えない程高いそこから落ちてきて、私達を助けるためにその身を犠牲にした二人が、ただ眠っているだけな訳などないと。
『ねえ、クラウス……どうして…………』
ああ、でもどうして私達二人は生き延びられたのだろうと至極当然の疑問をアマーリアが抱いたとき、今の自分よりそれを理解している幼い自分の声が、耳に残る。
『……どうして、精霊さんたちはいじわるをするの?』
掠れ行く視界の彼方、確かに黒く染まるその空を見上げていた自分の背が遠く、滲む。
「……っ!」
また悪い夢見に飛び上がり、ずきりと痛む頭を押さえたアマーリア。
蝋燭の落とされる室内は暗く、カーテンからも光が差し込まないことから今を深夜だと把握し、跳ねる心臓を落ち着かせるように細く長く息を吐く。
「また、夢……」
溜め息の混じる重たい息を吐き切り、幾らか穏やかに鼓動を重ねる胸に手を当ててここ最近立て続けに見たその夢を振り返る。
「お母様と、中庭でお茶をしながらバイオリンを聴く夢。お母様とお父様が亡くなったときの、夢」
その二つの時系列は振り返る限りどれも近しい時期のことで、夢を見る度にこの先へと進むのならば、もう見たくないとアマーリアは首を振った。
「ずっと……見ていなかったのに」
真っ暗な部屋の中、のそりとベッドから起き出して窓際へと寄り、開けても月明かりが差し込むだけのカーテンを開いて薄暗い空を見上げる。
「ここに来てから、なんだかずっと変ね」
まるで齧られたようにぽっかりと凹む黄金を見つめ、この場所に来てからのことを辿り始める。
「妖精処へと導かれて、参加しなければならないパーティで気を失って、寂れた中庭でバイオリンの練習して……ああ、でも今日は気を失わなかったわね」
自分の思考を整理するためだけに吐き出される言葉は単列で、 意味を持たない。
「師団長様に気遣っていただいたり、ルイスとそれなりに良い関係を築けていたり、バイオリンが少し上達したり……」
そうしてただあったことだけを並べるアマーリアがぽつぽつと細かいところまで思い出し始めたとき、無意識に溢れそうになった言葉を、寸で止めた。
「……好き、だったのにな」
けれど、誰もいないのだからと結局、アマーリアは最後の一言を口にした。
「お日様の下できらきら輝く赤銀の髪。多分、私がずっと前に好きだって言ったからずっと、伸ばしてくれていたのでしょうに」
ざっくりと切り落とされて床に散らばった見慣れた色。彼の頭の横でふわふわと存在を主張するその色が、大好きだった。
夢で見た今よりもずっと幼いクラウスは確か丁度髪を伸ばし始めた頃で、まだ肩にさえ付いていなかった。
けれどそれ以来、両親が亡くなって以来伸ばし続けてくれていた彼の髪は自分と同じく腰まで落ちていて、動く度に揺れるそれを眺めているのもまた、好きだった。
「……私、クラウスのことばかり考えているわね」
ふと、夢のことを考えていたはずなのに何故かただ一人クラウスのことを考えていることに気が付いたアマーリアは、苦笑いを浮かべてカーテンを後ろ手に閉める。
「ふふ、だめね……戻ったら、お別れをしなければならないのに」
握り締めるタッセル。
声が震えているのは気のせいだと自分に言い聞かせて、ベッドへと潜り込むアマーリア。
ああ。前は、こんな風に嫌な夢を見て眠れなくなってしまったときはクラウスがずっと傍にいて手を握っていてくれたな、なんて余計なことを思い出しながら、彼女は今日も目を閉じるのだ。
一人ぎゅっと、手を重ねて。




