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元伯爵令嬢の下克上と恋愛譚  作者: 高槻いつ


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伯爵令嬢とバイオリン2

弓を構えた。


引いて、その行為と共に重なる音色はやはりいつもと変わらずに何処か寂しげだから、ああ、やはり駄目かと前回と同じように序盤で止めてしまいそうになる。


けれど、その不安を察するように微笑むクラウス、ルイスが大丈夫と首を縦に振るのがアマーリアの視界に入れば、彼女は震える手で漸く曲の半ばを辿った。


懐かしいと感じるその音は、母の響きとは程遠い。


が、大気を震わす音に馳せる感情には初期程の嫌悪はないから、アマーリアの手は次第に震えることなくその弓を握り続ける。


「お上手です」


大分抵抗が薄れ、初めて母の曲を弾き切ったアマーリアが手を下ろす。腑に落ちない出来ではあったが、それでも観客である二人は弾き終えたアマーリアを称えた。


「お嬢様の母君はそれほどまでの腕前だったのですか?」


たった一曲弾いただけにも関わらず、どっと疲れてもう弾く気にならないバイオリンをケースへと仕舞うアマーリアへ、ルイスが問う。


彼女からすれば、アマーリアの腕は本人が卑下する程のものではない。


望めば、の話ではあるが、普通に弾き手として充分食っていけるだけの腕はあると思うし、何よりその人目を惹く容姿と併せれば何処かのお抱えとなって生きることも出来るだろうと。


それなのに、一切納得の行かない表情を浮かべる他国のお嬢様が不思議でそう尋ねれば、ケースの蓋を閉じたアマーリアはルイスを見上げる。


「……いえ、私に師事して下さったハイディ様の足元にも及ばないでしょう」


そしてゆるりと首を振って、否定する。


そもそも、彼女にバイオリンを本格的に仕込んだのは王国随一の名手と名高いハイディウィルダ・バーゼルト公爵夫人である。だからこそ普通であれば名手と名乗れる母もハイディには劣ると、アマーリアは評した。


「それならば……」


何故、とルイスの疑問は深まる。


隣国でも良くバイオリンの名手として名の上がるハイディの名前こそは知れど、肝心の音は知らない。


知らないルイスだが、ハイディがアマーリアへ貸し出している妖精楽器の価値は知っていた。だからこそそのバイオリンを持つアマーリアのその顔が、不思議だった。


「……そうね、何と言えば良いのかしら」


そんなルイスの疑問を汲み取ったかのようにアマーリアはふっと表情を緩め、柔らかい色を宿す眼を彼女へ向けて言葉を探す。


「母の音は、心が躍るの。そしてもっと、安心する。ああ、『帰って来たのだ』と思い込むくらい、その場所にいるはずなのに、すごく、そう思うの」

「かえって、きた?」

「ええ。……といっても、伝わらないと思うのだけど。でも、幼い頃の私は、本当にそう思っていたのよ」


決して伝わらないと知りながらも、アマーリアは自分の心をルイスに説明した。心が躍るのに、絶対的な安心感があって、とても安らぐあの音色。もう一度聞くことは出来ないからこそより強くなる想いがあるから、納得出来ないのだと。


「何が違うのか、わからないのよ。ハイディ様にバイオリンを教わって、昔よりもずっと腕は上がったと思う。それなのに、母の音からどんどん離れていく気がするのは、どうしてかしらね」


同じ音を鳴らす必要はないという言葉には惹かれた。それを経れば、ずっと弾き切れなかった母の曲を弾くことも出来た。けれど、弾き終えて尚残るこの悔いは、きっとそれでは消化出来ないということも今、知ったから。


アマーリアは、迷子の瞳をバイオリンに落とす。


「大丈夫。弾けるようになれば、少しずつ近付けると思うわ」

「……はい」


そしてその間で()()()顔を作り上げ微笑めば、ルイスは惑うように笑い返した。


「クラリス、戻りましょう」

「はい、アマーリア様」


二人が話している間、ずっと虚空を眺めていた従者に声を掛ければ、クラウスは主の傍に侍りつつも何処か様子のおかしい妖精達をもう一度見やる。


騒がしい、訳ではない。ただ、バイオリンの音に導かれたかのように散らばっていた精霊が集まり、ふわふわと漂っているだけ。


しかし、そもそも城に拠り着かず自分にさえ一切姿を見せなかった彼らがこうも集まるのは不可思議。同類の香りに惹かれてやって来たのかと既に散り始める妖精達に問えば、彼らは否定するように揺らめく。


「クラリス?」

「申し訳ありません、只今」


答えを聞くため、数歩離れてしまった主が振り返れば、妖精は散る。聞きそびれた答えに疑問が深まれどもクラウスはもう一度主の傍に寄って、今度こそ共に寂れた庭園を後にした。


『まあ、それは惹かれるだろうよ』


神出鬼没な大精霊の呟きを、聞きながら。


『かえりたい、だろうからな』


遠くなるその言葉に。


『……みな、世界樹に』


耳を、傾けて。




「……クラリス」

「はい」

「どうしたの?」


庭園から客室へと戻っても、クラウスの様子は変であった。何処か落ち着かず、そわそわしているように見えるその態度は流石に不審で、アマーリアは終ぞその理由を聞くために傍へ呼ぶ。


じっと見つめ、だんまりを決め込む彼の表面上に目立った変化はない。体調が悪い訳ではないのならば何がそんなに気を引くのかと、妖精の類を視認することの出来ないアマーリアは疑問に思う。


「……言えない?」

「申し訳ありません」

「そう。……体調が優れない訳ではないのね?」

「はい」


しかし、最近良く出るようになった無言にも慣れて来たアマーリアは、告げられない内容であることを確認した上で、体調に障りがないこともしっかり確認し、再び赤い眼を覗き込む。


「……」

「……」


クラウスのこの無言を、疑っている訳ではない。しかし、恐らく自分に関係する()()がひた隠しにされているのは、どうしても気になる。


話したくないことを詮索したくはないが、それでもふと浮かび、ずっと漂う仮説を胸に留めておくことは、アマーリアには出来なかった。


「ねえ、クラウス」

「はい」

「……妖精達が、見えるの?」


茶の支度へ行ってこの部屋にルイスがいないことを機会と踏んだアマーリアは、単刀直入に切り込む。


ずっと胸に感じていた違和は、そう仮説すれば全て腑に落ちるのだと。


「……」

「そうなのね」


困ったように垂れ下がる耳、沈黙を肯定と取ったアマーリア。


「獣人は、人間よりも彼らに近しいと聞くものね。貴方が視認出来ていても不思議はないわよね」


それだけ、ではないが、この類の話をすることはアマーリアの母から禁じられている。故にクラウスはただアマーリアの言葉を呑み込み、少しだけ納得がいってすっきりしている主を見返す。


「もう、触れないから」


その眼を非難だと受け取ったのか、アマーリアも眉を下げて話を断った。


「……お話します、必ず」

「ええ」


そしていつか交わした約束をもう一度口にする従者に、寂しそうに微笑んだ。


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