伯爵令嬢とバイオリン
部屋に戻ったアマーリア達を出迎えたのは、困ったようにソファへ視線を向けるルイス。
「おかえり、邪魔しているよ」
「……魔術師団長様、おはようございます」
「おはよう」
何があったのか尋ねる前に掛けられたその挨拶で状況を把握したアマーリアは一旦ルーカスに挨拶の礼を取って、目配せでクラウスに茶を用意するよう伝える。
「朝早くからすまないな。ポートリッド嬢が私に文を出したと聞いたから訪ねても構わないかとね」
「いえ、私の方こそお礼申し上げることも出来ず、大変失礼しました。改めましてあの日会場から連れ出してくださったこと、感謝致します」
クラウス達が茶菓子の用意をしている最中、訪問の中核となる理由には触れずに当たり障りなくアマーリアの礼を受け入れたルーカス。
一方、何となくこの訪問の旨を悟っているクラウスはそれとなくルーカスに視線を向けて何か用なのかと言いたげな主張を呈する。
あるのならさっさと済ませて欲しいとの意見を含む、その目で。
「……こほん、ポートリッド嬢。体調はどうだ?」
「特に問題はありません。この通り、動けますので」
「そうか、それは良かった」
そんなクラウスの眼差しを受けたルーカスは無駄な会話をする前に、一番の懸念事項であった点の確認を済ませる。
見た目に違和はなくとも、本人にしかわからぬ不調は多いだろう。しかし、なに一つ表情の乱れぬアマーリアの声音から、従者であるクラウスの態度から嘘はなさそうだと判断したルーカスは、素直に安堵の息を吐いた。
「そういえばポートリッド嬢」
「はい」
「……妖精処の話を伺っても?」
最重要の確認を済ませ、丁度運ばれてきた紅茶に口を付けながら話を変えるルーカス。
時間があるのならば少しその話を伺いたい、という提案に頷いたアマーリアを止めることはクラウスにも出来なかった。
「そうか、バイオリンを?」
「はい。私の場合はそちらが宿賃だと言われまして」
「妖精……いや、精霊に求められる音か。是非とも聴いてみたいものだな」
しかし、暫らく経てどもあの弾丸のような勢いを覚悟していたクラウスに反してあの態度は何処にもなかった。
ただ、一問一問を丁寧に答えるアマーリアに合わせつつ、次の話へ繋げるという普通の会話を繰り広げているのだ。
それならばあの初めて出会ったときの勢いは何だったのだろうと首を傾げるクラウスを視界の端に映しながら、ルーカスは再度アマーリアへ視線を向ける。
是非ともバイオリン聞きたいという意思を宿しながら。
「魔術師団長様へお聞かせするようなものでは」
「だが、あのバイオリンの名手と名高いバーゼルト公爵夫人から手解きを受け、更にはその夫人が扱うバイオリンを預かっているのだろう?」
冗談か、若しくは世辞のようなものだと思っていた言葉。
故にそれとなく辞退したアマーリアの逃げ場を純粋な気持ち、そして瞳で塞いで行くルーカスは、他意なくあのバーゼルト公爵夫人からバイオリンを預かるその少女の演奏を聴きたいともう一度乞う。
「……わかりました。では、少しだけ」
ルーカスの裏表のない言葉、そして先日手を掛けさせた負い目から、アマーリアは迷いながらも頷いた。朝方少し触っただけあって、何もしていない状態よりはまだ動く己の手に再びバイオリンを取り、構える。
「ほう」
朝弾いた曲を、ハイディへ聴かせる予定の曲は選ばなかった。先程弾いて駄目だったのならば、多少時間が空いたところで弾けるようになる訳ではないから。
そんな風に考えたアマーリアが選んだ曲は、ハイディが好んでいた曲。このバイオリンを見せてくれたとき、自分を送り出す前日に試し弾きと称して聴かせてくれた曲だった。
「うん、上手いな。ありがとう」
「いえ……お耳汚しを」
思うものがないから、何事もなく弾き終えたアマーリア。ただ綺麗なだけの演奏を終えたアマーリアは、魅力のない自分の音を理解しながらも褒めてくれたルーカスに頭を下げた。
「また、聴かせて欲しい」
「……お望みとあれば」
そろそろ時間かと懐中時計を確認したルーカスは残りの紅茶を一息で飲み干して、アマーリアの感情に寄り添うように微笑む。
そしてそのまま、部屋を去って行った。
「お上手なのですね」
「ありがとう。けれど、私は並みよ」
ルーカスを見送り、軽く弓を手入れしてからケースへと保管したアマーリへ、珍しくルイスが話し掛ける。
褒めてくれるのは嬉しいが、弾き手としては二流にさえなれないと自嘲するような笑みを浮かべたアマーリア。事実、自分でさえ満足出来る音を出せていないのだからと。
「……弾きたい音が、あるのですか?」
バイオリンから離れ、クラウスの淹れ直してくれた紅茶で喉を潤すアマーリアをじっと見ながら、ルイスはそんな漠然とした質問を投げ掛ける。
自分でもその問いの主旨を理解していないのか、滑り落ちたような己の言葉に驚くようにしているメイドを見ながら、アマーリアも目を瞬かせた。
「そう……そう、ね。出したい音が、あるの」
しかし、ルイスの言葉を良く噛み砕いて己の中で消化すれば、こくりと縦にその首は振れる。
思えば、アマーリアが母の弾いていた曲をなぞる度に手を止める程の感情に襲われるのは、あの音が出せないからなのだろうと。
あの楽し気で弾むような心地の良い音が、自分の出す暗くて重い音で新しく掻き消して良いはずないという理由から、いつも乱れるのだろうと。
この感情を増幅させて周りへと広げてくれる妖精楽器が拾うのは決して悲しい音だけではなく、この自分の音を強く否定する心も含むのだろうと、理解したから。
「……こんなにも美しい音を奏でることが出来るのですから、アマーリア様の音を出しても良いのでは?」
暗く俯き、自分なりの回答を見つけるアマーリアへ、自分の意見をぶつけるルイス。音楽は自由であると、そう常日頃聞いていた彼女だからこそそんな言葉を口にした。
「……そういう、ものかしら」
「はい。少なくともただ弾かないよりは、あれやこれやと試してみた方が良いような気がします」
「そう……」
一方で、そんな発想は片隅にもなかったアマーリアは余りにも当然のことのように話したルイスの言葉に少し惹かれて顔を上げる。
そしてそんな彼女に再度迷いなく肯定したメイドを見て、その提案を受け入れた。
「まだ早いわよね?」
「そうですね、皆様は大体早くても昼前に起床されるでしょうから」
早朝は過ぎても、本格的な活動帯ではないこと確認したアマーリアはまたバイオリンを手にしてあの庭園へ向かうことにした。
基本的に何においても新しいことは試したくなる本分であるが故に二人に付き合わせることを申し訳なく思いつつも、彼女の足取りは少しだけ軽い。
そうしてまた、あの庭園へと足を踏み入れた。




