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元伯爵令嬢の下克上と恋愛譚  作者: 高槻いつ


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伯爵令嬢と記憶

深く、微睡むような浅い夢をアマーリアは見ていた。



『アリー』


流れる純白のお揃いの髪。愛おしそうに自分を呼ぶ柔らかい声。あたたかいことを知る、伸ばされたその手。


全てが失われた幻想だと知りながらも、ただ心地良い温もりの中に蹲る少女の傍に、母はいた。


『どうしたの?』

『…………』

『あら』


幼い自分と、記憶にしか存在しない母。二人のやり取りを傍目で見ているアマーリアに、何かを指差して母に告げる自分の言葉は聞き取れない。


寂寥を覚えるこの光景は確かに覚えがあるのに、庭の茂みの中へ消えて行った二人を追い掛けることは出来なくて、彼女は伯爵邸の庭の中、一人きりになった


「……ゆめ?」


何故、自分の記憶を俯瞰して見ているのだろうと首を傾げたアマーリアは、己の声が普通に出ることに更に戸惑いながら、今はもう残っていない景色の中を歩く。


緑が溢れ、きちんと手入れされているこの庭は、母が亡くなると次第に誰も手入れをする人間がいなくなって、今は寥々とした庭園になっている。


「……こっちかしら」


懐かしさと共に滲む冷たい感情を抱えつつ、それを振り払うように二人が消えた方向へと歩を進める。


『いい、アリー?助けを求められたら、こうして還してあげるのよ』


アーチを描く植栽を潜り、僅かに聞こえる声を頼りに暫く歩けば良く母と共にお茶を楽しんでいた開けたスペースに出た。


季節を彩る木々、花々に囲まれて香りと味を楽しんだその時間は今も、自分の記憶に残っている。


『わあ……!』


いつかこの手で必ず戻したいと思っていた景色を静かに堪能していたアマーリアの耳を、幼い声が突く。そうだ、自分は二人を追い掛けていたのだと目的から逸れた思考を元に正してその様へ視線を向ければ、ふわふわと光り輝く母がいた。


『これでかえれるの?』

『ええ。後はみんなが何とかしてくれるから』


母が、というよりは母の周りが淡く煌き、漣のように溶けた後、まるで何事もなかったかの如く母の膝に縋って見上げる自分。この風景は覚えにあるのに、そんな姿だけはすっぽりと抜け落ちている不完全な記憶は、急に暗転した。


『アリー、覚えておいて。精霊達はね……』


遠くなる意識の中、掠れ行く母の声。


微笑みながら、静かに消える母の言葉を、アマーリアはもう覚えていない。




「……お嬢様?」


ぱちりとアマーリアの目が瞬く。それを見落とさなかったルイスはすぐさま近くへ寄り、水を注いだコップを渡した。


「ありがとう……クラリスは?」

「お付きの方でしたら先程お嬢様をこちらへ届けた後、そのまま出て行かれましたよ」

「そう」


体感的には倒れてからそれ程時間は立っていないように思えたアマーリアは、間もなく戻ってくるであろうクラウスを待つ。


「お母様……」

「はい?」

「いえ、なんでもないわ」


そうやってぼうっと過ごしていれば、ふと今仕方見た夢を思い出す。とても不可思議な夢で、本当に存在する記憶なのか空想だったのかさえも曖昧な夢。


けれど、懐かしい母の声と姿は確かに新しく記憶に残って、自分の身体を包む上掛けを握り締める。


「……アマーリア様。お加減は?」


クラウスへ預けている両親の形見であるロケットペンダントを、久し振りに眺めたくなった頃。


相変わらず無の表情をしながら客室へと入ってきたクラウスが、真っ先に主の眠っていたベッドへと目を向けて傍に侍った。


「問題ないわ」


顔色にも呼吸にも特に問題は見つからずとも、尋ねずにはいられないクラウスの心情を知らないアマーリアはただ首を振って答える。


そして、心情を誤魔化すように言葉を重ねた。


「魔術師団長様へご迷惑を掛けてしまったわね。後で謝罪をしないと」


取り繕う自分から目を逸らすことなくじっと見つめてくる従者から視線を外し、アマーリアは気を失う直前に世話になっていたルーカスの存在を思い出す。


体調が優れず、ホールから連れ出してくれたというのにまともな礼一つさえ言えなかった。直接伺える日を聞きたいという旨を認めた文を書かねばと予定を立てたアマーリアは、とりあえずクラウスに一番綺麗な便箋を用意するように言付けた。


ハイディへの連絡用として用意していたものだが、多めに持ってきているから問題ないだろうと考え、文章を頭の中で組み立てていた主、何かを隠すように言葉を続ける主を察した従者は口を開く。


「……畏まりました。が、書かれるのは明日になさってくださいね」


倒れたのだから、身体に気を遣って欲しい。


ルイスがいる為にアマーリアへ追及することは出来ず、ただ慮る言葉だけを残してクラウスは客室を出た。



翌、早朝。


未だに癖として抜けぬ朝陽が昇れば共に起き出すという習性のせいで早くから活動していたアマーリアは、深夜のうちにクラウスが準備して机に置いておいた文に文字を書いていた。


「おはようございます、アマーリア様」

「おはようクラリス」


書き終え、違和感のある場所はないかと見直していたアマーリアの元へ、同様に早起きであるクラウスが訪れる。その手には湯の入った桶、布が持たれていて、主が軽く身を清められるようにと部屋の中央に衝立を用意していく。


「よろしければ」

「ありがとう」


衝立で空間を囲み、桶と布と新しい簡素なドレスを用意すれば既に手紙に封をしていたアマーリアを招いて客室を出る。


クラウスの聴覚を持ってすれば扉一枚挟んだとしても主が支度を終えたかどうかはわかる。水の滴る音が聞こえなくなって、出るために衝立を動かした音がしたのならば頃合いであると、扉を開けた。


「助かったわ」

「いえ」


決して、タイミングを間違えたりはしない。過去に一度だけ、間違えてしまったことがあるのだから。


無事に着替えを終え、衝立を片して湯を捨てに行くクラウス。朝食まではまだまだ時間があるし、何をしようかと悩んだアマーリアの目に、ハイディのバイオリンが映った。


「……バイオリン」


ハイディから、次はもっと良い演奏をしろと言われている。しかし、こちらへ来てからバイオリンを手にしたのは妖精宿へ泊まるときだけで、以来全く練習をしていない。


一日休めば取り返すのに三日掛かると言うのなら、果たして自分はどれくらい続けなければならないのだろうと思考したアマーリアはバイオリンを手に取った。


「人気の少ないところなら、許されるかしら?」


客室で弾いては左右の部屋、廊下へ響いてしまうのは免れない。クラウスが戻って来たら何処かそんなところへ案内してもらおうとケースを抱え、待機する。


「バイオリンを?……かしこまりました、少々お待ち下さい」


暫し待ち、用件をクラウスに伝えたアマーリアは、確認にして来ると再び客室を去って行った従者の背を見送る。


「あちらの方に手入れされていない庭園があるそうです。そこならば誰も立ち入らないから好きにして良いと」

「そう、ありがとう。何処へ行けば良いのかしら?」


程なくして誰かに確認を取ったクラウスが戻り、窓からは見えない位置を示す。何処であろうと弾けるなら構わないアマーリアはバイオリンを携え、案内を頼む。


「……寂しいところね」


客室を出て十数分程度。人の少ない方少ない方へと歩みを進めるクラウスの後を追って辿り着いたのは、既視感のある庭。


本来のように管理されていれば季節毎に違う色と香りを楽しめたであろう面影しか残らないその場所は、アマーリアの胸を悲しみに似た、けれどもそうではない感情が占めさせた。


「……」


言葉なく、バイオリンを持つ。そして、弓を構えた。


弾く曲は自然と迷わなかった。ハイディへ聴き比べてもらうのにも同じ曲が良いだろうと、思ったから。


『果たしてタイミングが良いのか悪いのか』


弓を引く直前、クラウスの前には妖精処へ棲む大精霊が姿を現す。主には見えずとも、自分にははっきりとみえるその姿を視認したクラウスは、大精霊がぽつりと溢した言葉に引き摺られてアマーリアから目を逸らした。


『……悪いのであろうな』


目を眇め、何か呟いたその言葉は始まりの音を奏でたアマーリアによって掻き消される。それと同時に、何をしに来たのかもわからない大精霊も姿を消す。


そして、アマーリアの奏でる美しい音色だけがこの寂れた庭園に響き渡った。


以前聞いたときよりもずっと重く、悲しげな音色が。


「……だめね」


それは、弾いている本人が良くわかっていた。


故に彼女は曲の半ばにも満たぬところで、ぴたりと手を止めた。


何故、自分の音がこんなにも不安定なのかは理解していた。間違いなく、先日見た夢のせいだろうと。


一日経てばこれまでと同じように気にならなくなると思っていたのに、以前と違って時間にゆとりがあるからか、アマーリアはその夢を封じることが出来なかった。


「ごめんなさい、戻りましょう」

「かしこまりました」


寂しそうにアマーリアが笑う。クラウスはそれに今日も気付かぬフリをして、歩いてきたばかりの道を再び戻った。


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